第11話 王都へ

 現代において精霊王の功績を語る際には、時機を読む目の素晴らしさをたたえる傾向があるようです。


 精霊王というのはようするに私のことなのですが、その評価について語る私がどうにも他人事のような気持ちになってしまうのは、言わずもがな、私には『時機を読む目』などはなく、また、時機を読んだところで、それに合わせて行動するようなモチベーションさえも、ありはしないからなのでした。


 あらゆる政治、統治は、ある時点が来ると乱れ始める定めにあります。

 私が北の国へ渡った時期というのは、偶然、そういうタイミングだったのです。


「この国の人たちは、精霊の救いを求めていたのです。さすが、お兄様は、そこまでお見通しだったのですね」


 なんの話をされているのかわかりませんでした。

 しかしシンシアは私がすべてを見通していると思い込んでいるので、くわしい説明をしてくれませんから、私は彼女の言葉を拾い集め、どうにか状況を推測する必要性にかられたのです。


 シンシアの話をまとめると、この国は混乱期にあり、精霊信仰を受け入れる下地があったということなのでした。


 いわゆる神官と呼ばれる人たちを輩出する『昼神教』、魔術師を多く抱える魔術塔こと『夜神教』。

 世界の信仰はおおよそこれに二分されており、それ以外はすべて『邪教』という扱いになっています。


 この邪教というのは、もちろん昼と夜どちらの神殿からも征伐・教化の対象とみなされ、昼神教および魔術塔に所属する神官たちは、簡単な手続きを踏むだけで『邪教討伐』のための神官戦士団を動かすことができます。


 しかし神殿も暇ではなく、精霊信仰と一言で表される邪教というのは細分化されあちこちに点在し、しかも国家はいちおう、宗教の自由をうたっています。

 これはもちろん『昼でも夜でも、どちらの神でも信仰していい』という意味の『自由』なのですが、法文にはただ『信仰を自由とする』とだけあるので、あらゆる邪教は、実のところ、違法ではなく、征伐される理由はないのです。


 そういった背景から、『規模が大きくなった宗教に、危険な連中だというレッテルを貼り、危険な思想を持つ集団のテロ行為を防止するため、神殿は国家の許可を得て邪教を征伐できる』というのが建前であり、規模が大きくない宗教は邪教であろうが目こぼしされる状況ができあがっているのでした。


 この法律はたいていどこの国家にもあり、私が五番目の住処としたこの北の国でも施行されていました。


 しかし、『征伐すべき邪教かどうか』の認定は国家と昼夜の神殿に委ねられており、北の国はとにかく、邪教に厳しい世情だったようなのです。


 だからこそオデットは『まさかあそこの国にだけは行くまい』と思われることを期待して、私をこの国に連れ出したようなのですが……

 シンシアに発見されたことにより、オデットの策略はすべて裏目に出てしまうことになったのです。


「ここは国の端のほうですから、まださほど緊張感がないですけれど、国の中心などは、もう、精霊という言葉を出しただけで逮捕されかねない様子のようです。この国が精霊信仰に厳しいという話は聞いていましたが、現地を見るまで、ここまでとは思いませんでした。だというのにお兄様は、あの牢獄にいながらにして、この国の状況をここまで読んでいらしたのですね。さすが、シンシアのお兄様です」


 そんなわけはないのですが、このころになるともう、シンシアの『お兄様像』に反することを言っても、意味がわからないというように首をかしげられ、それでも言い続ければだんだん瞳から光が消えていき、最後には話を聞かなかったことにされるということが起こるのを、私はよく知っていました。

 なのでシンシアに『お兄様』ではない私の真実の姿を告げるのは徒労感もあり、なによりおそろしく、私はもはや指摘し彼女に現実を見せようとする努力をすっかり放棄してしまっていたのです。


「今代の国王が狂信的な昼神教の信徒らしく、シンシアのような魔術師さえも肩身が狭いありさまでした。国王がそのようなものだから、民間にも監視の目が自主的に発生し、王都はもう、密告に怯える人たちの群れです。……この国にこそ、精霊の助けが必要なのです。私は実際に目にするまで、それに気付けませんでした」


 王一人の暴走がそこまで国に影響を及ぼすというのは、法と裁判によって罪人が決まる制度に慣れ親しんだ私のような者には、にわかに信じがたいものでした。

 しかし、お国柄、と言ってしまうのもためらうぐらい、王というものの影響力は絶大なのです。

 私自身も精霊王になる過程で、『中心にいるたった一人』が集団全体に影響することを、幾度となく思い知らされるはめになりました。


 人と人とは、コミュニケーションがとれないのです。


 そして人は人に忖度そんたくをするのです。


 その結果として、中心にいる人物よりむしろ、そこから遠い人のほうが、『主がお望みだ』と言葉を交わしたこともない主の意向を体現しているつもりで暴走し、主が気付いた時にはもう、歯止めが効かない状態になっているということも、よく起こるのでした。


 もちろん、主自身が率先して暴走するケースも想定はされますが、私が王となったのちに回想しているせいなのか、民衆の暴走を止められないというような事態のほうが、よくあったように思われるのです。


「お兄様、これからどうするおつもりですか?」


 シンシアに問いかけられても、私は答えを持ちませんでした。


 この時の私は、穏やかに、静かに暮らせれば、もうそれ以上を望まないような気持ちだったのです。


 たまに歌っておひねりをもらい、ささやかな贅沢をし、生きていく。

 それこそが私の『したいこと』であり、しかし、シンシアの『お兄様』は、そんなささやかな願望を持ちはしないのだというのも、わかります。


 私の沈黙を想定していなかったのか、シンシアは首をひどい角度にまでかしげて、目を見開いて私を凝視したあと、ここ数十秒の記憶を失ったように首の角度を戻して、口を開きました。


「この街にいる人たちは、すでに精霊の教えに目覚めています。次はどこを精霊の教えで満たすべきでしょうか」


 そんなことをしなくてもいいんだ、もう、精霊信仰なんかやめて、静かに生きていきたいんだ。

 そう述べることができたら、なにかが変わったのでしょうか? ……わかりません。

 私はこの時もう、シンシアにかけるあらゆる言葉が無駄に思えてしまって、しかもシンシアに生活のすべてを握られているから、うかつに彼女の機嫌を損ねたくもなく、結果として、黙ることを選んでしまったのです。


 私の運命の転換点での行動は、いつでも、こんな様子なのでした。


 過去に自分がしでかしたことの責任が予想外に大きくなって襲いかかってくるのに直面し、その時に立ち向かうのではなく、もっともストレスの少ない選択をしてしまう。

 それはたいてい逃避とか、沈黙とかで、すると私に選択肢をつきつけてきた人や状況は、彼女たちの思う『私の選択』を代弁し、それに応えようと暴走を開始するのです。


 一言、ほんの一言、『私はそんなことを望んでいない』と言えれば、なにかが変わったケースも、あったような気がします。

 けれど私は現在、精霊王などという立場に祭り上げられてしまっており、ここにしたためているものは、肥大した虚飾の中にある矮小で醜い私自身の真実であり、動かすことのできない、過去に起こった出来事にしかすぎないのです。


「次は、王都ですか。お兄様は、これ以上、苦しむ人たちを放置できませんものね」


 シンシアがしかたなさそうに笑うのを見て、私も、同じような顔で笑ってしまったのでした。

 彼女は私のために行動している。けれど、彼女の思い描く私は、私ではない。

 私は彼女の機嫌を損ねないように沈黙している。それは、シンシアの中にしかいない『お兄様』への忖度的行動に他ならないのです。


 幻想上の私が、現実の私を支配している。


 私は気付けば、喉を鳴らすようにして笑っていました。


 自分の命運が妄想上の『お兄様』に握られている状況がおかしくてたまらなかったのです。

 きっと命懸けの行動をしていくだろう流れはさすがにこの時点の私にもわかっていました。精霊信仰に厳しい国で精霊信仰を広めていくのですから、私たちの未来には血が流れることでしょう。

 けれど私は、おかしかったのです。


 故国の王都に参上した時に、こっそり行った広場で見た、人形劇を思い出しました。

 操られている人形たちが剣を持って争い、情けない断末魔をあげながらぱたりぱたりと倒れていく様子を、私もふくめ、子供たちは笑いながら見ていました。

 こうして成長して思い返せばなんとも悪趣味で、救いのない物語だったのですが、人形師の操る人形たちの動きと、へんに甲高く読み上げられるやられ役のセリフとか、格好つけた様子で語られる主人公のセリフとかで、私たちはわけもわからず、笑ってしまったのです。


 今の私は、その時の人形のようでした。


 そして私を操るのは、精霊だとか、あるいは『お兄様』だとか、私がその実在をちっとも信じられず、また、運命を委ねてもいいほど偉大にも思えない存在なのです。


 信じるものさえ、自分では選べない、滑稽劇の、人形。


 おかしくてたまらず、私はお腹を抱えて笑いました。


 妹は最初、私が笑っている理由がわからない様子で不思議そうな目をしていましたが、私があんまりにも笑うのでだんだんおかしくなってきたのか、彼女もまた、しんから笑うような、そういう顔になっていったのでした。


 シンシアの笑う姿はとてもかわいらしく、銀色のさらさらした髪も、金銀の瞳も、幼いながらすらりとした体が笑うに合わせて揺れるのも、なにもかも愛おしく思えてきて、これが私の運命を支配する女王の姿だと思えば、これから先に待ち受けるものも、悪くはないような気がしてくるのです。


「王都へ行こうか」


 それは勇気ある決断ではなく、捨て鉢の特攻なのでした。

 私の中にあったのは、この誰も喜ばない死出の旅路の行き着く先を見てみたいという興味だけだったのです。


 この先の人生がどうにもならないと無意識のうちに理解してしまったがゆえの、自殺願望にも似ていました。

 両親は今なにをしているかわからず、故郷では公爵邸から逃げ出した罪人で、昼神教には敵視され、冒険者稼業もままならず、吟遊詩人もできず、ただ、閉じ込められて、シンシアやオデットに命脈を握られて生きていくしかない人生。

 こんなおそろしい、濡れた布を首に巻きつけられるような日々がこれからずっと続くぐらいなら、いっそのこと、自分の意思でこの命を台無しにしてやりたいと、そういう破滅願望があったのです。


「さすが、お兄様です」


 シンシアの中の『お兄様』はきっと、まったく違う道筋で、同じ決断をしたのでしょう。


 もはや、なにもかもがどうでもよかったのです。


 ここで人生が終わることを私は望んでいました。


 けれど、そうはならなかったのです。


 私の苦しみは、少なくとも、この記憶をこうして文字にしたためる時まで、続いていくのですから。

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