第2話 妹を追放する

「服装が汚らしいな。僕の服を着せてやる」


「言葉がわからないのか? 教えてやるから覚えろ」


「家の者がお前を探している。僕の部屋に隠れて出て行くなよ」


「お前のぶんの食事を運んでやった。僕の夜食ということにしてあるから、早く食べるんだぞ。……テーブルマナーも知らないのか。教えてやるから覚えろ」


 私が妹に命じた数々のことは、あまりにもなにも知らない妹のシンシアを、『見てて我慢ができる程度の存在』にするための、いわば、私自身の身勝手な都合によるものでした。


 妹は放っておくと部屋の片隅でうずくまり、またボロ雑巾の山のようになってしまうのです。

 しかも混ざり目で私をジッとながめて、指先の動き一つにまで過敏に反応するので、正直なところ、うざったく、私は妹を連れ込んだ翌朝にはすでに自分の行為を後悔していました。


 しかし時すでに遅く、シンシアを連れ出した翌日にはもう屋敷は大騒ぎになり、家中の者がシンシアを探して駆けずりまわり、父などは一日中大声で怒鳴り散らすし、母は心労で倒れてしまって、今さら『私が犯人でした』などと名乗り出る勇気もありません。


 なんとしても隠さなければいけない。

 そうしないと、ひどく怒られる。勘当かんどうさえ、あるかもしれない。


 私の心にあったのはそういう自己保身の気持ちだけだったのです。


 幸いにも父母や家人が私に『シンシア失踪』を隠そうとしているようで、私を相手にシンシアの行方をたずねるようなことはしなかったのでボロを出さずにすんでいましたが、直接問いかけられればきっと、この当時の私はあまりの罪深さに泣きながら言い訳を並べたことでしょう。


 家中は慌ただしく、家人はいらついていましたが、私への教育はそれまでと変わらないように続けられました。

 私はといえば部屋にシンシアを隠しているものですから、授業の最中も気が気でなく、そぞろになって初歩的なところでつまづいたり、お得意の『逃亡』さえもできないようなありさまでした。


 家庭教師などは私の身を案じて、「坊ちゃん、家が慌ただしい時で、不安がるのはわかります。しかし、こういった時こそ、貴族家の未来の当主として、心を落ち着け、冷静に、優雅に行動すべきですよ」という、励ましをくれました。


 しかしその言葉は貴族家現当主の父がみっともなく髪を乱し、爪を噛み噛み、金切り声で家人たちを叱責する姿を見せられてしまうと、なんの説得力もなく、私は愛想笑いを浮かべる以外に対応できなかったのです。


 私といえば『混ざり目の妹の失踪』がまさかここまで父母の心を乱すと想像していなかったものですから、なぜそこまで慌てふためくのか是非とも理由を知りたい気持ちでいました。

 ところが家中が一丸となって私に『大騒ぎの原因』を隠すもので、へたにシンシアの失踪について知っていると思われる行動もできず、『なぜ、ここまで騒ぐのか』という疑問を抱えて悶々としながら、平静を装って日々を過ごすしかなかったのです。

 もちろん妹自身も、自分がこのような境遇におかれている理由については知らないようでした。


 自分が隠し事をしている時、その隠し事を暴こうとしているがわが、わけのわからない理由で高いモチベーションを維持しているというのは、かなり、おそろしいものでした。


 一週間。


 私はそれを区切りとすることにしました。一週間、両親がまだシンシアの捜索を打ち切らなければ、あきらめて素直にシンシアを差し出して謝ろう。

 もしも一週間で捜索が打ち切られるようなら……


 私はその先のことを、具体的に思い浮かべることができませんでした。


 もしも捜索が打ち切られ、両親がシンシアのことをあきらめたとして、そのあとでシンシアをもとの場所に戻すなんていうことは、できません。

 それは沈静化した問題を蒸し返し、私にとってより不利な未来をもたらすような気がしてならなかったのです。


 となると部屋にかくまい続けるぐらいしかないのですが、それはとても現実的とは言えず、この時の私は、捜索が続けられても困るし、かといってやめられても困るという、どうしようもない状態でした。


 この時の私が愚かな思いつきをしたのは、そうして追い詰められた結果、どうにかして、自分の部屋に横たわる問題の火種をどこか遠い、見えない、知らないところに遠ざけたいという、醜い保身が原動力だったのです。


「シンシア、お前、冒険者にならないか?」


 その時に保身欲にまみれた私がシンシアに告げたのは、自活の道でした。

 とはいえ十歳の子爵家長男である私が『冒険者』などという庶民の稼業に詳しいはずもありません。

 なんとなく概要は知っている程度であり、しかもその『なんとなくの概要』も、冒険活劇から知った、フィクションを通した知識でしかなかったのです。


 しかし当時の私はどうにかしてあらゆる問題がおのずからどこかへ行ってほしいと思っておりましたから、シンシアを冒険者にするという起死回生の一手をどうにか成立させるべく、必死になって彼女を褒めました。


 この当時からシンシアは物覚えがよく、一度見た魔術は必ず再現します。しかも、もとの術者である私より、一段も二段も上のクオリティで、やってのけるのです。

 文字や言葉も、これまでうめき声ぐらいしか発することのできなかった七歳の少女が、ほんの数日私に教わっただけで、最初から貴族家の子女として育てられたかのように、流麗な言葉遣いをするのでした。

 しかもその記憶力たるや、一度でも読んだ本は一字一句漏らさず暗唱できてしまうほどです。


 シンシアはほんの数日でいっぱしの魔術師を名乗っていいほどの知識と魔術の腕を身につけていました。

 この才を活かすのに、子爵家の台所から出られない状況がよろしくないのは、もちろんシンシアを出て行かせたい私の保身からくる思い込みもあったでしょうけれど、あながち、まったくの嘘とも言えないぐらいには、真実なのでした。

 そうして、彼女の才能があの台所で腐って土にかえることを許せない、義憤のような気持ちもまた、ほんのわずかながら、私の中に存在したことは、認めるべきでしょう。


「この家にいる限り、お前は一生、飼い殺される。お前がどうしてこんな扱いを受けているのか、僕は知らない。でも、お前の一生は、うちの台所の片隅で生ごみにまみれて終わっていいものではないはずだ」


 こんなような言葉を告げたと記憶しています。


 シンシアは金銀の瞳で私をジッと見ていました。


 もともと表情に乏しいこの少女は、多少の言葉や感情表現を覚えようとも、その美しい顔立ちに内心を浮かべることがなかったのです。

 それは、現在まで続く、もはや彼女という存在を語る上で欠かせない特徴とさえ呼べる無表情でした。


 暇さえあればいていたおかげでボサボサだった銀髪は美しくなめらかに流れており、擦り切れた毛先を軽く整えてやっただけで、貴金属のように硬質でつややかな、美しい長髪となっていました。


 白い肌に銀色の左目、それに銀髪。全体的に白みが強い色合いの妹の右目にある黄金の色が、やけに私の底の底までのぞいているように思われて、私は思わず手を胸に当てて祈りの姿勢をとってしまいそうになりました。

 妹の黄金の瞳は昼を司る神にでもつながっているかのように、隠し事のいっさい通じない、そういう、見通す雰囲気を持っていたのです。


「わかりました」


 妹の声は静かで、それでいて心地よく耳に残るものでした。


「シンシアは冒険者になります」


 そうか、と応じた声に安堵が出てしまい、たいそう焦ったのを覚えています。

 妹の黄金の右目は私に嘘を許さない圧力を常に発していたのでした。

 私はその目に、内心にある、シンシアという厄介ごとをどうにかして遠ざけたい保身の気持ちが見抜かれないよう、慌てて表情を引き締めました。


「冒険者というのは、子供でも、誰でもなれるし……そう、そういえば、成功すれば大英雄として名が広まり、人によっては貴族に叙勲される者もあるようだ。この家でお前は一生貴族として認められないだろうけれど……実力で貴族になればきっと、こんな、こそこそする必要もなくなるだろう」


 私の知る『冒険者が主人公の英雄譚』は、だいたいそんなようなあらすじだったのです。

 しかしこれは、『実例が皆無ではないけれど、そこまでの功績をあげるには、時代も、環境も、運勢も、もちろん実力も必要で、百年に一人も出てくるようなものではない』ぐらいの功績なのでした。

 つまり、机上の空論であり、多くの冒険者が最初に抱いて破れる夢なのです。


 この時の私は本気でシンシアに『冒険者のロマン』を語りつつ、内心では冷静に『まあ、そこまでのことにはならないだろうな』というように思っていました。


 私は冒険者の英雄譚を好みましたが、実際に英雄になった冒険者というのを見たことのない世代だったのです。

 のちに『写し目の魔女シンシア』をはじめとして煌びやかな英雄たちが流星群のように次々生まれる黄金期が到来しますが、この当時は社会情勢も安定し、魔物やダンジョンも不活性状態でしたから、そもそも英雄の生まれる余地が、世界になかったのでした。


「お兄様、冒険者になって、活躍して、貴族になったら、またシンシアを家族にしてくれますか」


 ああ、記録がついに、第三にして、もっとも大きな失敗にさしかかろうとしています。

 どうして私は詳しい意味をたずねなかったのか。どうして私はシンシアとこれで永遠の別れになると思い込んでしまったのか。どうして私はシンシアを家から出せると決まった時点で安心し、油断してしまったのか……


「うん。いつかきっと、また家族になろう、シンシア」


 無表情な妹のはにかむような微笑みを見たのは、これが人生で最初のことでした。


 こうして十歳のころの私は、醜い保身と、問題に直面したくない怠惰さと、それから両親に怒られることへの恐怖のあまり、七歳の妹を家から追放することにまんまと成功したのです。


 もちろんこうしてかかわってしまったからには、出て行く妹に最大限のサポートをしました。

 とはいえそれは、親に事情を察されてはならない十歳の子供ができる範囲のことであり、わずかな路銀と台所からくすねた食料、それからなくしても困らないいくつかの書物と宝飾品、そして……


「お兄様が普段からよく使うものを、ください」


 子爵家長男としてはあまり貴重でもない、ただ一本の、ペンのみ。


 七歳の、世間を知らない少女を放り出すにはあまりにも心もとないサポートです。


 この当時のことをシンシアに感謝されるたび、私は自責の念にさいなまれ、自分はお前の思うような思いやりの気持ちがあったわけではないんだと叫びたくなります。


 実際に叫び、この当時の私がいかに小心で自分のことしか考えなかったかをとうとうと語り聞かせたこともありました。

 しかし妹は「お兄様が出してくれなければ、私は台所でゴミにまみれたまま死んでいたのです。本当にありがとうございます」と言います。


 どうすればよかったのでしょう。

 私は妹の思うような高潔な救い主ではないのです。ただ両親をちょっと困らせたかっただけで、予想外に問題が大きくなったのをおそれて妹を追い出しただけの……

 どうすれば、わかってもらえるのでしょう。


 賞賛と感謝のたびに、胃の腑がねじきれそうになります。


 しかしもはやすべては終わった過去のことなのでした。

 これはあくまでも、覆せない過去の記録であり、私の虚飾にうずもれた小さな醜い心を吐き出すための書き殴りでしかなく、すでに未来は、今、紙面から顔を上げた先に、厳然と存在しているのです。

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