第3話 シンシアという少女の来歴
両親は二週間ほどシンシアの捜索を続けていました。
しかしさすがに体力も資金も費やしすぎた様子で、終わりごろになると疲れ果てたように「あの子はきっと、どこかで湖にでも帰ったのだろう」などとつぶやくようになったのです。
それは『見つからないなら死んでいてほしい』というようなつぶやきに聞こえました。
もっと切実に、『死んでいないと大変困る』というような、そしてその根拠のない可能性を肯定することで安心したがるような、そういう……
私はしばし、シンシアのことについて両親にたずねるのをこらえていましたが、捜索終了後も毎日食卓でシンシアの死を願うような話ばかり両親がするもので、ついに堪えきれずにたずねてしまったのです。
「シンシアとは、なんなのですか? どうしてあそこまで必死に捜索なさったのですか?」
マナーを心得た貴族の食事というのはもともと静かなものですが、その言葉を発した時には、呼吸音や心音さえも凍りついてしまったのではないかというほどの、息苦しい静寂がおとずれました。
私はあの時の居心地の悪さを今でもたまに夢に見ます。精霊王として他国との会談をするようになった今でさえ、あれほどの緊張を強いる静寂は、シンシアについて両親にたずねた当時の食卓と、あと二つしか思いつかないほどなのです。
十歳当時の私は自分の発した言葉のまずさを察して、すぐに謝り、言葉を撤回しようとしました。
ところが声を発するのは父の方が早く、ここ二週間でとがりヒゲにすっかり白いものの混じった、疲れ果てた男は、誰かに聞いて欲しかったように、ぽつりぽつりと語り始めたのです。
「あの子は、お前の母さんの子ではないのだ。沐浴していた私が湖でこぼしたものを、精霊に宿らせた結果として授かったものなのだよ」
父の言い回しにはもはや取り除くことのできない『保身』がこびりついており、その口ぶりは遠回しであり、あらゆる明言を避ける傾向があります。
ほんの一言ですむようなことに十も二十も言葉を費やし、複雑な比喩を用いるその言い回しは、幼い当時の私には難しく……今でさえ、それを詳細に思い起こしてそのまま記すには、かなりの力が必要に思えます。
なので要点だけを抜き出すならば、ようするにシンシアは、若いころの父が結婚を約束していたメイドとのあいだの子であったそうです。
私の実母か、そのメイドか、どちらが浮気相手かと問われると、時系列的に先に付き合いがあったのはメイドで、契約的に正妻の座にいるのが母なので、少々ばかり配慮が必要でしょう。
……ああ、不意に、身につまされてしまった。
誰に見せるわけでもないのに、責任を逃れるような一文を記してしまう、この感じ。
この奇妙な用心深さというのか、臆病さというのか、常に誰かの目を気にして、それがいつ自分の悪行を糾弾してくるのかとビクビクしながらでないと生きられないこの感じ、本当に父によく似た性格をしていると、こうして過去を振り返って身につまされるのです。
シンシアが父の
ともあれ、かつて美貌の貴公子であった父は、屋敷にいた若いメイドと恋に落ちました。
その後、貴族の娘である私の実母との婚姻が決まり、両親、すなわち私にとっての祖父母に逆らえなかった父は、母との結婚を優先しました。
メイドには金を持たせて暇を出したそうです。
しかし私が生まれたあと、ひょんなことから別れたメイドと再会し……
そうして私には妹ができました。
問題なのはこの妹が左右で色違いの目を持っていたことと、妹の出産のさいに、妹の生母が亡くなってしまったことです。
「あれは呪いの子なのだ……水の精霊がその恋を裏切った私を破滅させるべく送り込んだ
ようするに『混ざり目』の子のことなのでした。
人は昼か夜の神に加護を受けているということになっていますが、そのどちらにも属さない、左右で目の色が違ったり、他にも宗教上『神に見放された者』の特徴を備える子を、『神ではなく精霊の子』という意味合いで『精霊子』と呼んだりします。
これは私からしても少々古く、大仰に感じる言い回しでした。
古い歌劇で使われる言い回しなのです。……そういった物語において、精霊子は美しい容姿で人心をまどわし、成立しかけた恋を破滅させ、男を不幸にする存在として描かれます。
ようするに父はとても縁起や古い慣習を気にする人で、そういったものから、シンシアのことを『自分に不幸を運んでくる存在だ』と、半ば本気で信じていたのです。
その狂信は母にも伝播し、それで両親が不安そうにしていた、と。
十歳当時の私からすれば、あまりにも肩透かしでくだらなく、そんな程度の理由でシンシアがあれほどひどい扱いをされていたとなると、怒りさえわいてくるようなことなのでした。
しかし年齢を重ねた今の私からすると、あながち笑い話でもないのです。
人は人生経験を重ねると、たびたび神や精霊の姿を幻視します。
人事を尽くしてもどうにもならないことはあまりに多く、また、まったく用意のないことについて不意に幸運が舞い込んだりというのも、数
そういった人智、すなわち自分の認識範囲の外で、なにかが動く経験をするたび、そこに神や精霊が見えるのでした。
そういうものをないがしろにすると、予想だにしないしっぺ返しが襲いくるような気がしてなんとも落ち着かず、そうしておそれているうちに、だんだんと、神や精霊は実在性を帯びてくるのです。
それは人生が自分の努力以上に順調だとより色濃く存在を感じるようになり……
ようするにこの記録を
シンシアを生かした理由は、精霊を怒らせたくないから。
シンシアを『子ではない』と扱ったのは、関係性を断ちたかったから。
シンシアをそれでも家に住まわせた理由は、これもやはり、精霊を怒らせたくなかったから。
精霊だの神だのという見えないものに巻き込まれて被害に遭う存在がいるというのは、はなはだおかしく、義憤にかられるようなことではあります。
しかし、そういう扱いこそ、父が『精霊の怒りをかわない』と定めたギリギリのラインであり、そこにはもちろん父の確信があるだけで、明確な法則などはないのでした。
「お前は、一人の女性だけを愛しなさい」
……もしも『水の精霊の呪い』というものがあるのであれば、まさにこの時、父を通して私に降り注いだのです。
私の人生における苦難を誰かのせいにしていいならそれは、シンシアの生母を裏切り、こうして呪いめいた言葉を吐いた父に責任を問うことになるでしょう。
もっとも、もはや両親とも故人ですから、墓前に立って彼らを責める気にもなれません。
それに、今現在の私を悩ます問題は、やはり、私自身の小心と自己保身と、そのくせ厄介ごとの気配に疎い、愚鈍な動物めいた心のせいなのでしょう。
……さて、両親はこれでシンシアにまつわる問題をすっかり忘れてしまったようでした。
その後の様子としては、父からは険がとれ、私に少しだけ優しくなりました。
母はほがらかになり、父に内緒でこっそりと私に街で評判のお菓子などを用意してくれるようになりました。
皮肉にもシンシアを家から追放したことによって私の家族はこれまで家の空気に染み付いていた恐怖を忘れ、人生に余裕ができ、人に優しく、また、人付き合いに大胆になったのです。
ではその後の私の人生もいいことばかりだったかといえば、シンシアが出て一年ほどはたしかにそうでしたが、その後はずっと、家を出ることになるまで不安にさいなまれる毎日が続くことになります。
『号外! 冒険者の少女シンシア、ドラゴンを討伐!?』
『新ダンジョン発見! 発見者は新ダンジョン資源の卸先に〝さる貴族家〟を指名!?』
『写し目の魔女シンシアがまた快挙! 王都南に蓋していたダンジョンを開通!』
『公爵家嫡男破談!? 魔女シンシア、異例の縁談を断る!』
毎日のように『冒険者シンシア』の話題が届くのでした。
私はこの名がとどろくたび気が気でなく、号外の報を聞いた時などは、おそろしくて両親と目を合わせられないほどでした。
両親はといえば穏やかなもので、シンシアという冒険者の活躍について知らないか、あるいは、知っていてもそれを『家から出ていった精霊子』ではないと、心の底から信じている様子でした。
いいえ、家で家庭教師に教育を受けているだけの私が知っている情報を、両親が知らないわけがないのです。
であれば、両親の中ですっかりシンシアは死んだことになっており、私だけが彼女の生存と正体の発覚をおそれているのでした。
我が家が順風満帆であればあるほど、日々轟くシンシアの武名が私の心をさいなむのです。
遠くに放り出したと思っていた問題は、たしかに地理的には遠くにいったのですが、むしろ家にいた時以上の音声で我が家を、私の心を震わすのでした。
この平穏が壊れてほしくない。どうか、どうか……
十四歳当時の私が神に祈る時間を増やしたのはそういった心労からひとときでも遠ざかるためでしたが、両親からすれば、一人息子がやけに信心深くなったように思えたのでしょう。
なので、両親にこんな話をされたのは、私の行動が招いた結果なのです。
「来年から、神学校へ行きなさい」
貴族と宗教とは切っても切れない関係であり、貴族家当主が神官籍を持っているというのも、珍しいというほどではありません。
また、我が家が管理している禁書庫の中には、魔道とは異なる体系の術式……ようするに『神力』だの『法力』、あるいは『神官魔術』だの呼ばれる、神官特有の力の扱いについて記したものもあります。
なので我が家を継ぐという意味でも、神学校はそう突飛な選択肢ではないのです。
ただしこの時はすでに魔導学校へ行く話になっており、そのために私も準備をしていたものですから、唐突な提案に対し、私はなにかが……この当時はなにもやましいことはしていませんでしたが、それでも『なにか』が発覚したのではないかと冷や汗を垂らし、理由を問いました。
すっかり穏やかになった父は「うむ」と鷹揚にうなずいて、理由を述べました。
「お前の縁談の相手が神学校に通っているのだ。卒業後に引き合わせるつもりであったが、お前も祈りに熱心なようだし、学生のころからよしみを通じておくのも、悪い選択ではあるまい」
私の縁談について、そんな話が持ち上がっていたことも、その相手と卒業後に引き合わされることも、私は初めて聞きました。
しかし貴族とはそんなものです。基本的に両親が子の縁談を決め、子がそれに異を唱えることはありえません。
直前まで話さない家も、早い段階で告げておく家もありますが、そこは単なる教育方針の違いという程度のものでしょう。
もちろん私も『そういうことですか』と安堵し、父からの提案を承諾しました。
というより、父が私に告げた時点で、私は拒否する選択肢を持ってはいないのです。
……もしも運命に『芯』があり、それが『子爵家次期当主』というものに向かってまっすぐに伸びていたのなら。
私の人生に、のちに響く深刻なダメージを与えたのは妹のシンシアに違いありませんが、より決定的にその芯を曲げてしまったのは、神学校に籍をおいている時代に出会う、悪友になることでしょう。
つまり、私の次なる間違いは神学校で起きるのです。
私はこの時に両親に食ってかかってでも予定通り魔導学校へ行かせてほしいと言うべきでした。
しかし、未来を知らない視点からそんな行動をとろうとするはずもなく、私はなにが待ち受けているかも知らないまま、神学校という予想だにしなかった新天地に胸を躍らせていたのでした。
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