エピローグ

 突然の引退宣言がされてから二か月近くが経った、七月。


 その動画を目の当たりにした当時の僕は、何の前触れもなく世界が終焉を迎えたかのような、とにかく生きる糧とか、これからどうしていこうとか、目の前が真っ暗になった。


 しかし何事もなく、それでも明日はやってくる。


 次の日の朝、僕はこれまでやってきたことは無駄ではなかったことを実感した。僕には約五人の友人ができたのだ。世界が終焉を迎えようと、目の前が真っ暗になろうと、この事実は揺るがない。


 五人の女の子を眺めるために歩いていたこの道も今では――。


「あ、枢おはよう」


 大月先輩。


「おはよ」


 ……薄荷ちゃん。


「枢くーん! 一緒に行きましょーう!」


 ひばりさん。


「私もまぜろっての!」


 ここり先輩。


 全ては、トロアちゃんが僕の世界を変えてくれたのだ。学校内でも人とコミュニケーションをとることを意識しながら過ごしていたりと、楽しくやらせてもらっている。


 ……三峠はむこうから何かと絡んでくるので、それに応戦している感じだ。彼女はここり先輩やひばりさんと同じ三年生。一応敬意を払わなければね。


 ワオチューバートロアは四月から活動を始め、二カ月も経たないうちにインターネットから去った。現在でも過去にアップされた動画のコメント欄は引退を惜しむ多くの声が投稿され続けており、彼女の影響力の高さを実感する。


 トロアちゃんは消えた。でも、薄荷ちゃんはいる。僕は今でも薄荷ちゃんと仲良くさせてもらっており、ほぼ毎日やり取りをしている。休みの日にはここり先輩を交えて遊んだりとかも。


 なんで引退したのか。何回か訊いたことがある。その度に返ってくる言葉は「心境の変化」の一辺倒。これ以上はわからなかった。


 楽しい。今まで生きてきた十五年とちょっとの中で、今が一番楽しい自信がある。


 ……それでも心の片隅――もしかしたら土手っ腹にぽっかりと穴が開いたような気分になっているのは、トロアちゃんがいなくなってしまったことが原因なのだろう。アーカイブを覗く度に、僕はそう思うのだ。






 そんなある日の晩。八時になる前くらいに、薄荷ちゃんからメッセージが届いた。日常的にやり取りはしているので特に思うこともなく僕はスマフォを開く。


 メッセージにはURLの文字列。見た感じ、ワオチューブへのリンクのようだ。そのあとに特にメッセージはなく、これを見ろと無言の圧力を感じる。


 不審に思いながら、僕はURLをタップした。


「――――」


 飛んだ先はトロアチャンネル。全くの予想外のことに、スマフォを握る手が震えた。


 タイトルはない。動画画面の隅に表示されている八時開始予定のカウントダウン。


 これは、ライブ配信だ! 電撃引退からの電撃復帰なのか!? でも今まで配信なんてやったことなかったのに……どうしよう、心の準備が……。


 そうだ、突然の復帰配信なんだし、きっととんでもない人数が待機してるに違いない。僕は配信の待機人数を確認したのだが。


 二人。


 画面に表示されるこの文字に、僕は困惑した。いやいやいや、底辺ワオチューバーならまだしも、つい二か月前まで猛威を振るっていたお人だぞ。何かの間違いでは?


 僕はそう思い再度確認する。すると、とんでもないものを見落としていたのだ。


「……は? ……限定、公……開……!?」


 限定公開。この四文字が示すもの。それは、URLを知るものしかこの配信を見ることができないということだ。つまり、待機しているこの二人は――。


 僕と、トロアちゃん本人だけだということになる。


 なんで? 頭の中を無限に巡る困惑の言葉。


 そんなことを考えているうちに僕の理解は追い付かぬまま、配信スタートの八時は訪れた。と、とりあえず見届けるしかない。 


「……」


 静かに喉を鳴らす。そして。


『――だいじょぶかな、できてるかな……よし……やほほー! 元気してるぅー? トロアだよー!』


 ……ああ。


『突然ごめんねぇ。今日は趣向を変えて、配信スタイルで行こうと思ってまーす! もしかしたらトラブル起きちゃうかもしれないけど、その時は許して!』


 だめ。これ泣きそう。ほんと泣きそう。


『…………ふう、とか言って、どうせ枢しか見てないんだし、もういいわよね』


 トロアちゃん!?


『はいはいーい。見てますかー。視聴者数が二人ってことは、見てるのよね、よしよし』


 トロアちゃんは水を一口含むと続けた。


『急に引退してから二カ月くらい経って、あんたから散々なんで引退したのか突っ込まれてきたわけだけど、面と向かって言うのもなんだし、配信しようって思ったの』


 これじゃ対面で話してるも同じじゃないか。


『あんたに私がトロアってことがバレてから、短い間だけど本当に色んなことがあった。前にも言ったけど、最初は本当に嫌で、いつ縁を切ってやろうか考えてたくらい。でもね、枢が私を知って、私が枢を知っていくうちに、これも悪くないもんだなって思うようになってきて。そしたら私ね、気づいたことがあったの』


 ハギノ前の信号のこと。一緒に撮影をしたこと。SDカードを返したこと。色んなことが思い出される。


『私ね、枢のことが好きみたい』


 ――――。


『色んなサポートをしてくれて嬉しかった。これから先も一緒に色んな動画を作って、もっと有名なワオチューバーになるんだって頑張りたかった。でも枢、三峠に付きまとわれてたんでしょ? それが原因で危ない目になんて遭わせられないし、だったら普通の学生として、仲良くやっていきたいと思ったの』


 そんな……そんなこと……。


『これが私の全部……え、まだ五分も経ってないの? 何話そうかしら』


 あの……くそばか!


 僕はスマフォからPCへの視聴に変え、電話を掛ける。相手はもちろん――。


『ん? 電話だ……って、もう……今掛けてくるかなぁ』


 トロアちゃんはおっかなビックリとしながらも、電話に出てくれた。


『……あんたの顔が見えないのは不公平よ』


「好きです」


『……は?』


「僕もトロアちゃん……薄荷ちゃんが好きです」


『や……』


 耳まで顔が真っ赤なことも丸わかり。


『ひ……卑怯よこんなの!』


「こういうことはきっと、僕の口から言うのが普通なんでしょうね」


『……そうよ! 言わせないでよ!』


「だからまた、一緒に動画を撮りませんか」


『――――――いい、の?』


「もちろんです」


 直後、僕の言葉を待っていましたとばかりに大粒の涙が溢れる。


『よろしく……またよろしくね……枢……!』


 当然、この配信はアーカイブになんて残せない。一夜限りのスペシャルだ。


 高嶺の庭園に一際強く咲き誇る一輪を手に取り、僕は思った。





おわり

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高嶺ガーデン saco @saccoro

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