第9話 決着

「ちょ、ちょっと薄……じゃなくって――みつと知り合いだったん?」


 状況を把握できないここり先輩が尋ねる。


「薄荷でいいわよ。ついさっき自分で言ったから。そうね、最近はなんとかして会わないようにしてたんだけど」


 どんだけ嫌われてるんだ。


「え? 名前言っちゃうなんて、なんで? あんなに頑なだったのに」


「ん~、心境の変化ってやつかしらね。色々と思うところがあったのよ」


「ほほー、ナマイキな口利くじゃん! ま、薄荷がいいならいっか」


 ここり先輩は自らのスタンスを崩すことなくトロアちゃんを肯定する。


「……ねえここり。今日はもう先帰ってくれる? 用ができちゃったの」


「ちょちょちょっ! これまた急じゃん! なんでさ一緒に帰ろうよぉ~」


「ごめん――だから、ね?」


 トロアちゃんは諭すように言う。駄々をこねていたここり先輩もこれにはお口にチャック状態。


「んぐぐ……はい」


 神妙に頷くしかなかったのだった。どっちがお姉さんなのかわかったもんじゃない。


「よろしい。あと大月さんも。今日は色々話が聞けて楽しかったわ」


「こちらこそ。定期的にやりたいね、これ」


「定期的、ね……次はいつになるやら」


「ん……? 別にいつでもいいけど。明日は?」


「えらい早いわね!?」


「社交辞令は嫌だもの」


「抜け目ないというか……まあ、その時はまた参考にさせてもらうわ」


「絶対に次もやるから! って、参考?」


 大月先輩の疑問は解消されることのないまま、トロアちゃんは続ける。


「とりあえず、今日のところは解散ってことでいいかしら? なんだかどんどん人が増えていってよくわからなかったけれど……楽しかったです」


「は~い。薄荷ちゃんが言った通りまた今度ね。そんじゃメスガ――鳥沢さん? と、歩くエロマンガ――新倉さん? 今日初めて会って図々しいかもだけど、一緒に帰ろっか」


「いまめっちゃ失礼なこと言おうとしたっしょ!? 絶対そうっしょ!?」


「なぁにが図々しいのかしらこの女は! 私に関しては言い切りましたわよね!? 一から百までハッキリと!!」


 大月先輩は聞こえませーん、と耳を塞ぐ。よく考えたら二人とは一つ下になるのか。面倒なことになりそうだから言わないようにしよう。三人はぎゃあぎゃあ言いながらコンビニを後にしていったのだった。


 豪雨は収まりかけていた。しとしとと雨は降り、今にも晴れ間が見えてきそうな外に目をやる。


「とりあえず、この三人で話しましょうか」


「なんでですかあなた様ぁ~。私は二人っきりでお話がしたいんです! ねえ鹿留くん、死ぬほど帰ってくれない?」


 日本語変なんですけど。


 しっかり者。冷酷。変人……三峠には三つの顔があるのだと思った。ハッキリ言って対応しきれない。


 だが、僕はこの三峠――そう、この間までモモちゃんと言ってニヤニヤと彼女のお尻を追っていた女の子と向き合わなければいけない。トロアちゃんが僕たちを残したということはそういうことだ。


「――帰りません。僕はあなたと話をしなければいけないんです」


 だから、毅然とした態度でそう言ってやった。がくがくと震えている両足は座っているから見えていないと願いたい。


「ふうん。ですって、あなた様。どうします?」


「どうしたもこうしたもないんだけど!? 私が残したんでしょ!? ばかなの!?」


 うわぁ、今までにないくらい叫んでるぞ。


「ぜえ、ぜえ……さて、どこから話したものかしらね」


 トロアちゃんは一度首を捻り、うーんと唸ると、


「……そうね、簡単に言うと、この三峠みつとかいう女は、枢と同じタイプの人間よ」


「……は?」


 この人が? 僕と? 何をおかしなことを……。


「枢には言っていなかったけど……というかこの女は数にいれていなかったというか。私がワオチューブしてることバレたの、こいつが最初なのよ」


「えええっ!?」


 その時の三峠の得意げな顔ときたらなかった。


「な……なんで言ってくれなかったんですか!」


「だから言ったでしょ!? こんな変態、数にいれたくなかったの! 記憶から消したかったのよ! 何より、枢にそのことを訊いたら知らないって言うし、だったらそのまま通そうって思って……!」


 悲痛なんだけど、苦笑してしまう自分がいた。


「……へ? そんなこと僕に訊きましたっけ?」


「言ったでしょ! 誰にも言ってないかって訊いたもの!」


「あ……」


 トロアちゃんに初めて声を掛けられた日――いや、まだあの時はトロアちゃんではなく、僕の中では根ツイ先輩だった。確かに僕は根ツイ先輩にこう問われた。『誰にも言っていないでしょうね』と。


 身に覚えはなかった。ああ、全くだ。


「あの言葉は、僕がトロアちゃんと三峠……さんが何かをしている場面を見てしまったということなんでしょうか」


「まあ、今更隠したってどうにもならないから言うけど、そうね」


「……あ、トロアちゃんが何やらビニール袋を抱えて歩いているところならGWの最終日に見ましたけど」


「え、それって」


「私があなた様にお会いする前じゃないですか?」


「ん……そうかも」


「それってつまり」


 トロアちゃんは大きくため息をつくと、話し始めた。


「――事の発端は枢と似たようなもの。動画を投稿し始めてから何日か経って、突然この女に話し掛けられたの。ワオチューブやってる人ですかって」


「あの時の興奮は今でも忘れられません」


 それはわかる。


「うるさい! ……でも、私の動画を本当に見てくれてる人がいるんだなぁって嬉しかったのは事実よ」


「あなた様……」


「最大の過ちは、とにかくこの三峠とかいう女にバレてしまったこと。それ以外にないわ。イカレてるのよ、こいつ。最初のうちは私も浮かれてたのか何回か会って話もしたり、連絡先も交換したりしたんだけど、こいつを知れば知るほど、こいつには近づかないほうがいいって思えてきて……」


 どんだけヤベーやつって思われてるんだこの人。


「ねえところで三峠、あんた私の動画にdreiとかいう名前でおかしなコメントしてるでしょ」


 え。dreiって、さっき大月先輩が言っていた全動画に性癖全開のコメントを残しているっていう、あの人か?


「おかしなとは心外です! あなた様が動画を投稿したその日から、私がどれだけあなた様のことを想っているかをコメントに表していますのに!」


「あれのどこがよ! 普通に通報案件じゃない!」


 うわー、男じゃなかったー。そう来るかー。だが……なるほど。トロアちゃんが三峠に対してかなり迷惑していることは伝わった。


「しまいにはこいつ、私の名前でメッセージ送るような真似しだしてね。さすがの私もプッツン。すぐにやめさせたわ」


 ああ、そういう……。それならばメッセージアプリの名前が上暮地薄荷から三峠みつに変わっていたことも頷ける。


 しばらく二人の会話を聞いていた僕が思ったこと。それは、確かにトロアちゃんの言う通り、三峠と僕は似ているところがあるのかもしれない。三峠は理性を失った僕だ。少しの間違いで動画にヤバいコメントを残すかもしれないし、トロアちゃんになりきりたくてアプリの名前を変えることだってあったかもしれない。そして、それをしなかった僕は偉い。すごく偉い。


 ……待てよ。六、七日目の万引き犯って。


「――っくしゅん!」


 ここで、かわいらしいくしゃみが聞こえた。


「やだ。そういえばあんたずぶ濡れだったの忘れてたわ! 悪かったわね、さっさとどっか行きなさい!」


 労わっているのかそうでないのか、めちゃくちゃな言われようだった。


「ちょうど迎えも来たので、今日は失礼しますね! あとそうだ、鹿留くん」


 三峠は僕の耳に口を近づけると、囁くようにこう言った。


「――トロアのことを一番理解してるのはこの私。もしまだあの方の近くに居続けるようなら、容赦しないぞ?」


 屈するものか。僕がこの女からトロアちゃんを守らないといけないんだ。


「……いいですか三峠さん。その人を理解しているかどうかは、自分で決めるものじゃありません。相手が決めるものです」


 自販機でトロアちゃんにコーヒーを買うように言われた時のことを思い出す。


「あなたが自信満々に言うそれが、いわゆる解釈違いにならなければいいですね」


「……それじゃ」


 最後、苦虫を噛み潰したような顔になった三峠は、何か言いたげな様子だったがそのままコンビニを後にしたのだった。






「え!? あのくそばか、枢にメッセージ送ってたの!? しかも私の名前で!?」


「かなりの怪文書でしたよ」


「今度会ったらとっちめてやらないと……会いたくはないんだけど」


 六人いた謎の集会は三人に減り、最終的に僕とトロアちゃんの二人だけとなった。雨が止むのを待ってから僕たちはコンビニを出て、帰り道を歩く。


「トロアちゃんは」


「薄荷でいいわよもう」


「あ、そのなんというか」


「ハッキリ言いなさい」


「トロアちゃんの方がしっくりくるというか」


「……好きにしなさい。で、何よ」


「三峠さんのことは、本当はそこまで嫌ってはいないんですよね」


「んなななっ!? そんなわけないでしょ! あんな変態女……!」


 挙動不審になる辺り、やっぱりそうなのだろう。


「正直、僕はあまり好きではありません。脅迫じみた行動とか、行き過ぎているものがあります」


「そうよね! 私もそう思うわ!」


「恐らくですが、六、七日目の万引き噂を流したのも彼女です」


「え、ええええええ!?」


「言っていなかったんですが、この間ハギノで撮影した時に、三峠さんが映っていました。でも誰しもスーパーには行くでしょと言われればそれまです。僕たちの様子を見に来たんじゃないでしょうか」


「あいつ、そんなことまで。寛大な私でもさすがに怒るわよ……」


「でも悔しいですが、彼女も僕と同じように、トロアちゃんの大ファンの一人です」


「……」


「ファンとしての方向性自体は違いますが、あの人からは強いエネルギーを感じます」


「……はぁ、あんたも、そう思うのね。そうよ、ヤツは性格にはかなりの難があるけれど、ファンとしては一級品よ」


「やっぱり」


「でも、あいつは枢に迷惑を掛けた。例えファンだとしても、それは許せないわ」


「僕のことはいいです」


「え?」


「トロアちゃんにもしものことがあったらと思うと。大月先輩も言っていました。この手の人間は留まるところを知りません」


「まあ、それはそれで心配だけど」


「……僕が守ります」


「枢が……私を?」


「はい」


「どうやってよ」


「それは……まだ考えてません」


「……ふふっ、あんたもくそばかよ」


「うぐ……すいません」


「しっかし、あんたもこの何日かで変わったわよねぇ」


「そんなことは……」


「――よし、腹は決まったわ」


「何のですか?」


「内緒」


 ウィンクしておどけてみせるトロアちゃんは、何かが吹っ切れたようなすがすがしい笑顔をしていた。


 ともあれ、七日間に渡るエア万引き騒動はこれで終結したと思う。三峠がこれから先もちょっかいを出してくるようであれば、僕は全力で立ち向かう。それと同時に、彼女はトロアちゃんのファン仲間であり、ライバルだ。掛かって来い、三峠みつ。またの名を、モモちゃん。






 ――ワオチューバ―、トロアの電撃引退動画が投稿されたのはそれからちょっと経った、その日の晩のことだった。

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