第7話 実験

 緊張が走った。今朝学校で会った時のことが瞬時に脳裏によみがえる。柔和な表情から見え隠れする、黒い何かが僕を飲み込もうとしていた、あの校舎裏。


 私を隠して。トロアちゃんは僕にそう言った。それはモモちゃんがコンビニの前に姿を現したと同時。つまり、トロアちゃんはモモちゃんのことを知っているということになる。


 ――トロアにこれ以上近づくな。


 僕が思うに、あのメッセージを送ったのはモモちゃんだ。しかし、メッセージの送り主は上暮地薄荷。ついさっきトロアちゃんが名乗った名前と同じ。こんなに珍しい苗字に名前だ。同姓同名なんてまずいるはずがない。じゃあどういうことか。


 トロアちゃんか、モモちゃんのどちらかが嘘をついているということになる。だが待ってほしい。この場合僕には、トロアちゃんが嘘をつく理由が見つからない。あるとすれば、やはり自分の本名を知られたくないから、とりあえず適当な名前を言った、くらいだろう。となると、あの晩僕にメッセージを送ってきた人間こそが上暮地薄荷であり、モモちゃんだということになる。


 しかし、これでモモちゃんが嘘をついていたことになっても話が見えなくなってきてしまう。メッセージを送った人間がモモちゃんではないとなると、トロアちゃん本人が『トロアに近づくな』と脅迫じみたことを言っていることになり、怪文書に拍車が掛かる。


 頭の中を解けない糸が満たす。解こうとすればするほど複雑に絡み合い、こじれていく。解決策が見いだせない。


「ねえ枢、なんか静かじゃない?」


 僕とトロアちゃんの空気が変わったのを察知したのだろうか、大月先輩はひそひそと僕に話しかけてくる。


「さ、さあ。なんででしょうね」


「なんか居心地悪いし、立ち読みでもしてくるね」


「あっ――」


 立ち上がろうとした大月先輩の手を、無意識のうちに掴んでしまった。


「んひゃ!?」


「行かないで……ください」


「びっくりさせないでよ……なに、校門前のお返し?」


「そういうわけでは、ないですけど」


「……んもう、困った後輩だ」


 大月先輩は嘆息すると、もう一度着席した。


「薄荷ちゃんもだんまりしてるし、なにがどうなってるやら」


「先輩? 顔が赤いのはなんで――」


「え、なんでもないけど」


「はあ……」


 いつものことか。


「……とりあえず、電話番号でも交換する?」


 藪から棒に大月先輩は言った。


「何その顔は。こうなったら交換くらいするでしょ」


「そういうものですか」


「……あたしもよくわからないけど。ほら、スマフォ出して」


 言われるがままに僕はポケットからスマフォを取り出――。


「……あ」


 そこでふと、思いついたことがあった。


「先輩、ちょっと待ってもらっていいですか」


「んん、はいはい」


 ちょっとムスッとする大月先輩を横目に僕はメッセージアプリを開く。実験をしようと思ったのだ。


 今この場で、『上暮地薄荷』にメッセージを送ったらどうなるのか。恐らくはトロアちゃんかモモちゃん、どちらか一方のスマフォが鳴る。そう踏んだのだ。


 自慢じゃないが普段から他人と連絡を取らない僕だ。この間の履歴なんてすぐに見つかる。そう思ったのだが。


 ……いくら探してもアプリ内に上暮地薄荷の名前が見つからない。もしや、あの日怖くなってそのままブロックした? いや、そこまで頭が回らなかったから今まで放置していたはずだ。ではなぜ?


 僕は一度深呼吸し、再度上から画面をスクロールさせていく。そんな馬鹿なと思いながら。あの日から数日しか経っていないんだ。その間、僕はトロアちゃんと母さんとくらいしかやり取りをしていない。上暮地薄荷の名前が履歴の上部にあって然るべきなんだ。


 ――と。


「……は?」


 すぐ、スクロールする指が止まった。


 見つけてしまったのだ。


 見つけたといっても上暮地薄荷を、ではない。依然としてこの五文字は見当たらず、僕を悩ませている真っ最中。では、何を見つけたのか。



 三峠みつ



 また、知らない名前が画面に表示されていたのだ。

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