第3話 熱波
まさかこんな日が訪れようとは。
僕の隣を、憧れの女の子が歩いている。しかもこれはたまたま隣にいるのではなく、同意の上で一緒に帰っているのだ。
「なんか不思議な感じ。光城の生徒になった気分」
肩に鞄を掛け、姿勢よく歩くデニ子はくすりと笑った。正直、べらぼうに絵になる。
「ていうかさ、光城って毎日あんな感じなの? 学園祭でもやってるのかと思った」
あなたが来たからでしょうよ、あなたが。
「楽しそうだなぁ。あたしも光城に行けばよかった」
そう言うデニ子の顔は少しだけ曇っていた。
「……この辺の出身でトン高に通ってるってことは、『特進クラス』なんですよね」
「うん。でもこれはね、あたしの意思じゃないんだ。あんな空間、息が詰まってダメ」
「そう、なんですか」
「っと、その前に。そう言えばあたしたち、あのコンビニで会った時にお互いの詮索はしないって言ったけど」
「そういえばそうでした」
「それ、破ってもいい?」
デニ子は僕に向いて言うと、
「君、あのコンビニに行ってるから光城生かなあと思って来てみたは良いけど、肝心の名前がわからないんだもの」
「はは……」
「だからさ、自己紹介しよっか」
「それってつまり」
「そ。友だちになろって言ってるの」
至って普通の会話。それなのにここまで緊張するのはなんでだろう。今まで自分で勝手につけて楽しんでいたニックネームが、必要なくなる。サコちゃんの時は不意打ちみたいなところがあったから驚きの方が大きかったけど、今回は満を持してということになる。
「……どっちからいきます?」
「ぷふっ、なんだかコンビニの時と似てる。あの時は確か……」
「僕から言いましたよね」
「そうだね。んじゃ攻守交替ってことで今度はあたしから――」
攻撃も守備もないだろう。
デニ子は立ち止まる。それにつられて僕も止まり、彼女を見た。
「あたしは
……ああ、やっぱり、そうだったんだ。
「君は?」
「鹿留枢です。一年生です」
「お、年下かなぁとは思ってたけど、やっぱり」
「よろしく……お願いします。それでええと……大月先輩は今日はなんで僕なんかに……?」
「うわぁ、そんな呼ばれ方したの初めて。あたし、部活とか入ってないから後輩と接点がないんだよね。もっと他にないの?」
「いや、そんなこと言われても先輩は先輩なんで……ましてやほぼ初対面ですし」
「そんなもんかなぁ。じゃあとりあえずはそれでいっか。他の呼び方、楽しみにしてるよ」
「はぁ……」
この間会った時もそうだったけど、デニ子――大月先輩はかなり掴みどころのない性格のようだ。なんていうのかな、何を考えているのかわからないというか、僕の言っていることが本当に伝わっているのか、手ごたえのない感触。
――そう。彼女こそが光城生の間で話題になっていた、他校の万引き容疑者、大月美沙夜。夜な夜なコンビニに出没していたという理由なだけで突拍子もない容疑を掛けられた、思春期ど真ん中の女の子である。
「……何、その顔はぁ。先輩に対して失礼じゃないかっと!」
「おわっ!」
そして異性に対しての距離感がバグッている。大月先輩は隣を歩く僕に軽く体当たりをして先輩風を吹かせる。そのまま腕に手を回してくるのだからいよいよおかしい。僕は咄嗟に先輩の手から逃れると、
「今、後輩がいないって言ったばかりじゃないですか!」
「あたしの後輩第一号だもの。こういう扱いでしょ? 後輩って」
「どこから仕入れてきた情報ですか……」
これじゃ後輩というか、弟というか、こい……びと……いやいやいや! それはない!
「そんなことより、そろそろ本題に入ってください……!」
茹でダコになってしまうので……。
「む、生意気な。まあそのためにこうして枢に会いに来たんだからね」
ああもう! 下の名前! しかも呼び捨て!
「あたしと枢の接点なんて一つしかないでしょ?」
「……トロアちゃん、ですか?」
「ご名答。ね、最近の動画見た? 焼きそばのやつよりはインパクトに欠けてるけど、炭酸とか、見てて癒されるっていうかさ!」
うきうきした声で話す先輩に僕はぽかんとして、
「――――そ、それだけのために、わざわざ光城に来たんですか?」
「それだけとは心外だぞ。トロアはあたしをコンビニ通いから脱却させてくれた恩人なんだ……今でもたまに見に行ってるけど……それに、あたしのクラスじゃそんな話する人間なんていないし」
いつしか彼女の中でトロアちゃんの存在が神格化されてしまっていた。
「あ……」
熱い。なんだか無性に熱い。まだ夏が来るのは先のはずなのに。
――違う。これは熱気だ。僕は大月先輩の体から漏れる熱気にあてられている。これはそう……僕が初めてトロアちゃんの動画に出会った時のような、今まで自分が見たことのないものに触れた時の驚愕と、彼女のこれからの成長から片時も目を離したくないという、興奮。今でもこの気持ちは大事にしているつもりだ。それでも、初めて視聴をしたときの衝撃は今でも忘れられず、あれを超える体験はそうそうないだろうなとも思っている。
大月先輩は、一か月前の僕だ。そんな気がした。
「誰にも話ができないのは、さみしいですもんね」
だから、本心からそう言った。
「トン高には自分で決めて行ったわけじゃないって言ってましたけど」
「……そうだねぇ。ちゃんと反対しなかったあたしもあたしなんだけど、お父さんとお母さんがね、今のうちに勉強しときなさいって。それで入学してみたらアレだもの。みんなどこどこの大学に行って、良い仕事に就くんだーって。辟易するでしょ?」
大月先輩は自嘲気味に言った。僕はまだ高校生になったばかりだから自分が将来何をしているか、そんなこと考えたこともない。ただ今が楽しければそれでいいと。思えばとても楽観的である。それに比べて先輩は、その容姿や置かれている環境、その全てが僕には『大人』に見えた。
「だからね、いてもたってもいられなくなっちゃって。君が通ってるなんてわからないのに来てみちゃった」
好きなことに対しての行動力は、どんな非効率も一掃することを僕は知っている。
「いいでしょ? コンビニまでなんて言わず、ちょっと飲み物でも買ってさ、話そうよ!」
この前置きはずるい。ずるすぎる。
「そう、ですね。そうしましょうか」
「それでこそあたしの後輩だね」
「はは……」
大月先輩は凛としたその顔とは正反対の、満面の笑みを浮かべて僕の肩に手を乗せてくる……のをやっぱり
「――その話、私も混ぜてくれないかしら」
……ん?
一瞬何が起きたのかわからなかったが、僕たちはすれ違いざまに声を掛けられたらしい。いや、僕たちに掛けたのか、もしくはただの勘違いか。突然女の子の声がしたのだ。
そして、背後から鋭利なもので刺されたような悪寒が走った。これは、ああ……あの日と同じ……。
……振り返っては、いけない。僕は直感した。しかしそういうわけにもいかず、電池の切れかかったおもちゃのように違和感てんこ盛りで後ろを向く。
その言葉に、僕はなんて返すのが正解なのだろうか。
「あ、バスの女の子」
大月先輩も気づいたのか、おもむろに振り返り一言。
「やっぱり知り合いだったんだ」
「……」
女の子は僕をじっくりと睨みつけてから聞こえないくらいの舌打ちをし、次に大月先輩をどこか観察するような仕草で、足から頭にかけて眺めた――無論、トロアちゃんである。
トロアちゃんは大月先輩の「知り合いなの?」という問いに、僕がなんて答えるのか待っていた。実に冷ややかな眼差しで。うわぁ、これ怒ってる。なんかわからないけどすごい怒ってる。
――さあ。人違いじゃないですかね。
こんなのだめに決まってる。
――友達なんですよ。
何か違う。
――恥ずかしいんで言わなかったんですけど、幼馴染です。
もっと違う。
考えに考えた末、僕は決断に至った。
「…………パートナー、です」
「パッ……!?」
ボッ! という幻聴が聞こえたくらいに、トロアちゃんの顔が真っ赤になった。
「ぱっ……ぱぱぱパートナーってあんた」
「ははぁ~、そりゃあ、あの夜にコンビニで睨まれても仕方ないですなぁ」
先輩は訳知り顔で僕を小突く。なんだなんだ、僕は何か間違いを言ったのか? だってそうだろう、僕とトロアちゃんはお互い協力し合うと誓ったのだから、そういうことになるんじゃないのか?
「彼氏、彼女じゃなくて、パートナーか。なるほどだからあの時も否定したワケね」
「……一体何の話をしているんですか?」
「あたしの中でパートナーって、交際を始めたてのカップルとは違って、もう完全に成熟しきった男女のことを言うってイメージがあるなぁ。枢自ら言う辺りも、相当な段階にまで来てるんじゃない?」
「え……え……?」
「結婚はまだ……できないか。でもだからと言って子供は作らないこと!」
「も……もう我慢ならないわ、あなたね――もががが!」
トロアちゃんが叫びだしそうになったところを、僕はギリギリのところで口を塞いだ。うわ、カラダ熱っ!
「冷静になってください! この人はトロアちゃんの大ファンなんです! いま大声なんて出したら、僕の時みたいに勘のいい人間だったら気が付かれますよ!」
最小限の声量でそう諭す。
「もがーー! むぐーー! ――え、そうなの?」
するとファンという言葉にトロアちゃんの動きが止まった。
「ええ、だから感情的にはならずに、なるべくクールに否定してください!」
「……べ、別に否定したいわけじゃないけど」
「へ?」
ぷい、とそっぽを向くトロアちゃん。え、なにこれ。否定したいわけじゃない? それってつまり……まんざらでも……ないってこと……?
「……いつまでくっついてんのよ暑苦しい! このくそばか!」
「うげっ!」
恐らくは大月先輩から見えない位置で、トロアちゃんの腹パンが見事に炸裂した。これみぞおち入ったぞ。息が……!
「んー、なにコソコソしてるのさ」
「いや……別になんでも……」
蚊の鳴きそうな声で僕は答えた。この説得力のなさ。
「んで、彼女さんが混ぜてほしいって言ってたのはどうなったの?」
「だからそうじゃなくって――!」
僕が反論しようとすると、更にそれを遮る形でトロアちゃんが前に出て、小さく息を吸い込んで一言。
「あなたが思っているところのパートナーとは意味合いが違うけれど、私たちは協力関係にあるの。だからその……付き合ってるとかそういうのではないから、ご心配なく」
努めて冷静にそう言った。
「協力ねえ。隠さなくてもいいのにぃ。まあこの話は置いとくとして……ほら枢、行くの? 行かないの?」
「……行きましょうか」
「決まり! なになに、混ざりたいってことは、あなたもトロアのファンなの!?」
「ひっ……え……ええ、そうね……」
「なんだ、知ってたらバスで声掛けてたのに!」
大月先輩は嬉々としてトロアちゃんに詰め寄り、むんずと両手を握った。トロアちゃんは先輩から大きく目をそらし、ぎこちない笑みを浮かべる。先輩、それ本物です。あなたが神のように崇めるワオチューバーに過剰なスキンシップしてるんですよ。
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