第6話 吐露

「うわっ……あんたのそんな声、初めて聞いた」


 肩をびくりと上げ、トロアちゃんは怪訝な表情で振り返った。


「何? まだ悩み事でもあるの?」


「……今から喋ることは、全て僕の妄想です」


「はぇ?」


「だからトロアちゃんがおかしいと思ったところがあったら、すぐに言ってください」


 両手をぎゅっと握って、僕は言った。


「……冗談を言ってる顔には見えない、か。いいわ、もう一回座りましょう」


 そう言って僕たちはさっき座っていたベンチにもう一度腰を下ろした。


「聞こうじゃない、その妄想ってやつを」


「……はい」


 言葉を選べ。単刀直入には喋るな。経緯を、いきさつを述べ、段階を踏んで喋れ。


 目を瞑って、これまでのことを考える。なぜ僕はそう思って、件の結論に達したのか。


 あれはそう――。


「今思えば、違和感を覚えたのはあの時でした」


「のっけから私置いてかれてるじゃない」


 じっとりとした目でトロアちゃんは「どの時よ」と仕方ない様子で訊いてきた。


「う……GW開けの朝のホームルームで担任が言ったんです。最近万引きがあったって」


 万引き。この言葉にトロアちゃんの眉が少しだけ動いたのがわかった。


「僕にとってはすこぶるどうでもいいことでした。だから話すことはなかったし、聞こうとも思っていませんでした。でもその日のうちにクラス中、いえ学校中が万引きの話題で持ち切りになっていました」


 そうだ。昼休みに話しかけてきた小林も、この数時間の間に多くの情報をかき集めて僕に詰め寄ってきた。学食でもそうだ。女子生徒が他校の生徒にまで目を付けて噂を流布していた。それなのに、出回っていない情報があった。


「何者かがハギノというスーパーで、決まった時間帯を見計らって万引きに及ぶ。しかもGWの初日から五日間連続で。そしてその五日間、バイトをしていたここり先輩が毎日ハギノに出入りするところを見たという情報によって、先輩は万引き犯の最有力候補とされてしまいます。たくさんの情報が光城の中を駆け巡っているんです。でも、トロアちゃんは僕ら光城生でも知らないあることを知っていました」


「……そうね」


 僕の目を見て話を聞いていたトロアちゃんの視線が、地面に落ちた。


「はい、五日間のうちに万引きされた商品――スナック菓子、ジュース、激辛カップ焼きそばに文房具、そして日焼け止めクリーム――を全て、トロアちゃんは知っていました。ハギノに撮影に向かう途中に聞いた時は、よくそんなことまで知ってるなと気にも留めませんでしたが、あの日以降も他の人間から、万引きされた商品の噂は僕の耳には入っていません」


 ――ああ、そんな顔をしないでよ。


「……初めて僕がトロアちゃんとハギノの中で話をした日、アップされたレビュー動画はスナック菓子でした」


「…………ええ。ええ」


「レビュー動画がアップされるということは当然、それよりも前に商品を購入して準備をしておく必要があります。例えばそれは五月八日、スナック菓子の動画がアップされるよりも前の、GW中とかです」


 当日ということも考えられるが、その日は連休明け。朝から学校に行っている彼女に買いに行っている暇はないだろう。


「それが、どうしたっていうのよ」


「確かに、その時点ではいつも通りのレビュー動画がアップされただけです。僕も特に思うところはありませんでした。自分でも遅すぎるとは思いますが、異変を感じたのはついさっき、炭酸ジュースの動画がアップされた時でした。だから僕はいてもたってもいられず、トロアちゃんに連絡をしたんです」


 今にも泣きだしてしまいそうなその横顔に、尻ごみしてしまう。トロアちゃんは僕が言おうとしていることを、もうわかっている。怖気づくな。ここで言い淀んではいけない。


「スナック菓子以降にアップされた動画は三つ。五月十日に激辛カップ焼きそば、十二日にシャーペン、そして今日が炭酸ジュースです。つまり――」


 言いたくない。言いたくない。言ってしまえば、何かが終わりを告げてしまうような、そんな気がして。


「――明日は、日焼け止めクリームじゃないですか?」


「…………ッ」


 直後、トロアちゃんは目をカッと開き、僕を睨み付けた。同時に何かを言おうとしたのか大きく息を吸い込んだが、飲み込こんだ。


「……その通りよ。明日の夜八時、もうアップされることになってる」


 そして気持ちを押し殺して、そう言った。


 やはりトロアちゃんは、日焼け止めクリームの動画をアップロードするつもりだったのだ。


 GWの五日間、毎日一つずつハギノから商品が消えていく。


 スナック菓子。ジュース。激辛カップ焼きそば。文房具。日焼け止めクリーム。


 これらの商品が盗まれたことは、トロアちゃんしか知らなかった。そして彼女がワオチューブにアップロードしたレビュー動画の直近四回、そのどれもが万引きされたと言われている商品だったのだ。極めつけは明日予定されている動画も万引きされた商品の最後の一つ、日焼け止めクリームだったということ。


 こんなの、トロアちゃんが万引きを画策したと思わないわけがない。


「正直なところ、僕が動画編集に疎くて良かったと思っています」


「どうして……?」


「僕がハギノで撮影した動画をすぐに編集してアップしてたらどうなると思いますか」


 僕の言葉にトロアちゃんは何も言わずに口を閉ざしている。きっと純粋に何が起こるかわからないのだろう。


「動画内で僕たちは万引きがあったとされたコーナーを一通り周っています……誰も知らないはずの」


「あ……」


「この動画をみんなが見て初めて、何が万引きされたのかを知るんです。その後にこれまでアップされた商品レビューを見たらどう感じるでしょうか」


 気が付いたのだろうか。トロアちゃんは大きく肩で息をして、顔色を悪くしていた。


「そう。僕のように異変を感じる人間が出てくるはずです」


 コメント欄は誹謗中傷の嵐。その後は大体想像がつくだろう。


「どっ……どうしよう枢、私……」


 僕の袖を掴むトロアちゃん。その手は弱々しく震えており、先ほど快活に僕を励ましたとは思えない変わりようだった。


「大丈夫です。言ったじゃないですか。幸いにも僕たちが撮った動画はまだ完成してないって。だからこれまでの動画はただのレビュー動画で済みます」


「あ、そっか……」


 少しばかり安堵するトロアちゃん。


「で、でもねっ! 違うの! 私……私は……!」


「わかってます。本当は万引きなんてしてないんでしょう?」


「……な、なんで」


 驚きを隠せない様子で、トロアちゃんは唖然としていた。


「二人が僕の家に来た日、帰り際にここり先輩が言っていたんです。万引きはなかったって。僕の推測ですが、これは先輩がハギノでアルバイトをしている中で、社員さんか誰かが言っていたことなんだと思っています」


 万引きなんて事実はないのにあったことになっている。事態を鎮めようとするハギノ社員の苦悩が目に浮かぶ。


「その辺の生徒が出まかせで言っているのとは訳が違います。ここり先輩の言葉には確かな重みがありました」


 話はつまりこうだ。


 恐らくトロアちゃんはGWに入る前かその最中に今回のアイディアを思いついた。でも彼女の性格だ、万引きなんて本当に出来るわけがない。だからどうにかして再生数を稼げないかと考えた結果、誰かがハギノで万引きをしていることにしようという考えに至る。噂は瞬く間に広まり、トロアちゃんの思惑は順調に進んでいった。


 僕は彼女が純粋で、そしてひたむきなことを知っている。純粋過ぎるが故に、自分は悪いことをしているつもりはなかったし、誰にも迷惑もかけていないつもりだったのだろう。今の狼狽具合がそれを如実に表している。


 しかし、トロアちゃんの予想とは裏腹に、彼女と最も近しい人間が被害を被っていた。ここり先輩である。


 まさかここまで話が大きくなるとは思っていなかった。だから毎日ハギノに見張りに来る生徒がいるだなんて思わなかったし、そこでここり先輩が目を付けられることも予想していなかった。こんなところだろう。


「……これ、お返しします」


 僕はポケットに入れていたSDカードを取り出し、トロアちゃんに渡した。


「え……」


「出来上がったところで、誰にも見せられませんよ」


「そうっ……だけど……そうしたらあんたとはもう――」


 トロアちゃんはまた何かを口に出そうとしたが、やめた。


「……白状するとね、焦ってたかもしんない」


 そして手にしたSDカードをぎゅっと握りしめ、静かに口を開いた。


「四月くらいからワオチューバー始めてさ、まだ一カ月ちょっとしか経ってないじゃん? 再生回数もチャンネル登録者数も毎日のように増えてて、かなりいい調子。でもね、同じくらい毎日が怖いの。いくら人気者になっても、飽きられたら一瞬だもの。たくさん増える登録者数より、一人でも減った時の方が私には目立って見えた。明日はどうなってるの? 明後日は? 一か月後は? って考えてくうちに、もっとみんなとは違うことをしなきゃって思って」


「真面目なんですね」


「真面目なんかじゃないわ! そうだったら、こんなバカでも気づくような自演、やらないわよ……!」


 バカって、僕のことかなぁ。


「それに気づかない私は、途方もないくそばかだわ!」


 真面目に、健気に、純粋に。きっとプライベートでもそういう生き方をしているんだ。これは彼女にとって今まで味わったことがない『挫折』だ。悔しい。悔しい。ただただ悔しい。この気持ちをどこにぶつけていいのかがわからない。トロアちゃんの握り拳は、そう言っているような気がした。


「……悪かったわね、こんなことに付き合わせちゃって」


 一つ鼻をすすると、トロアちゃんは幾分か落ち着いて言った。


「やめるんでしょ? 私のサポート」


「それは……」


 恐れていた言葉が、僕の耳に入った。


 ――やだなぁ、そんなわけないじゃないですか。こう言うのは簡単だ。しかし言葉に重みがない。トロアちゃんは今後も僕に対して本当はサポートなんてやりたくもないのではないかと疑念を抱き続けるかもしれない。この話をしたことと、SDカードを返したことが何よりの意思表示となってしまっている。


「さっきまでデカい口叩いてあんたを励ましてたのが嘘みたい……ほんと、嘘みたいよね」


「ぼ、僕はっ……!」


 いけない。また何も考えずに口を開いてしまった。


「……僕は、確かにさっきのトロアちゃんの言葉に救われたという実感があります。それはトロアちゃんが何をしていようと変わることはありません。だから引き止めたんです。言わなきゃって」


 ちゃんと日本語になっているだろうか。僕の言葉は伝わっているだろうか。


 こんな形でお別れなんてしたくない。近くにいたい。


「初めて話をした時にトロアちゃんは言いました。僕みたいな人間、野放しにはできないって」


「……そうよ。できっこないわ」


「僕は、今のトロアちゃんも野放しにできません」


「……え」


「お互い気が気じゃないんです。だから僕は、サポートをやめたくはありません」


 絶対よくわからないことを口走っている。そんな気がするのに、止まらない。


「さ……再生数を稼ぐためにズルしようとしたのよ!? 普通は幻滅するでしょ!」


「僕がもっと早くから気づいていればよかったことです。サポートってそういうものじゃないですか?」


「これからも何かやらかすかもしれないし!」


「だからです」


「こんな年下の相手なんかしてもつまらないでしょ!」


「そんなの……!」


「えっ――」


 僕はトロアちゃんの目をしっかりと見て、こう言い放つ。


「……楽しいに決まってるじゃないですか。このく……くそばか」


 そうだ。楽しいに決まっているんだ。愚問にも程がある。


 普段人とろくに話もできず、遠巻きから女の子を眺めているだけの毎日を送っていた僕が、あなたのお陰で全くの対極を過ごしているこの今を、どう考えればつまらないと思えるのか。目の前で呆気に取られている女の子が、僕の見ている景色を一変させたんだ。そんなこともわからないだなんて、ちょっとイラッとして変な事を口走っちゃったけど――。


 楽しい。楽しくてたまらない。


 話がしたい。もっと色んな新しいことをしたい。


 これだけは絶対に揺るがない事実だ。


「……楽しい、の?」


「はい、楽しいです」


「そっか……そっかそっか……」


 トロアちゃんは確認するように僕にもう一度尋ねると、ふにゃりとベンチから滑り落ちそうになった。


「トロアちゃん!?」


「えへへ、なんか力抜けちゃった」


 瞳に今にも溢れそうな涙を溜めて。


「……ワオチューブ活動なんて、全部一人でやるものだって思ってた。そもそもバレたくなかったし。だから一人でカメラに向かって話をして、一人で撮影した動画を確認して、一人で編集をして。デビューした時から、私はずっとそうやって活動をしていくつもりだったの。ここりは仕方ないわ、私が何をしてるかなんて筒抜けだもの。先にこっちから言ってやったわよ」


 袖でごしごしと涙を拭って続ける。


「あんたにバレた時はゾッとしたわよ本当。もし私の素性をSNSに流そうもんなら返り討ちにしてやろうって思ってたけど、そんなことなかった」


 ――というか、してないわよね? と言われ僕は盛大に首を横に振り続けた。


「冗談よ。だからね、バレたからには傍に置いておかないと、とは考えていたけど、害が無いようであれば早々に縁を切るつもりだったわ。ごめんなさい」


「ちょ……謝らないでください」


「白状させて。枢も相当な覚悟で私を呼び出したんだから、それに応えないと」


 そんなこと望んではいないが、彼女にもプライドというものがある。最後まで聞くべきだと思った。


「その考えはついさっきまで変わってなかった。ほんの数分前まではね」


 胸のあたりが痛くなったのは気のせいではないだろう。


「数分前というのは」


「今でもよくわからないの。あんたにSDカードを返された時も、話の流れ的に大体予想はできてたし、私もそのつもりだったのは確かよ」


「じゃあ、どうしてそんな」


「明日のことをね、考えたの」


 夜空を見上げてトロアちゃんは言った。薄い雲の向こう側に、淡く光る月が見える。


「今夜、あんたにこうして呼び出されていなければ私はどうなっていたんだろうって。そろそろ動画編集終わらせなさいよって煽ってたかしら。それとも次に作る動画の話? はたまた連絡しない可能性だって十分に考えられるわね」


「はは……」


「どう思う?」


「え?」


「私が考えた、明日」


「……ええと、どれも考えられそうです」


「そうよね。全部あり得そうなのよね。あまりにも普通で……そう、普通なのよ」


「はい」


「だから枢が私のサポートを降りることも普通といえば普通で――バカやっちゃったわけだし、私が悪いんだから特に思うところはなかった――」


 ――はずなのに、と続けてトロアちゃんは大きくため息をついた。


「この〝普通〟が、あんたとの関係を解消するだけで全部なくなっちゃうって、知ってた?」


「知ってるというか」


 当然のことだ、と思った。トロアちゃんのサポートをやめるということは、明日から僕らはまた画面越しでの関係に戻る。


 動画編集を煽られることも、次に作る動画の話も、連絡をする、しないの話も全部なくなるのだ。


 普通が普通でなくなる。


「途端に私は思ったの。それはとても悲しいことだなって。私からコンビ解消の話を持ち掛けて……でも実際あんたの答えを待っている間は、生きた心地がしなかった。そのまま頷いたらどうしよう。どうしようって」


 トロアちゃんは僕を見て、


「――これからもサポートしてくれるってことで、いいのよね?」


「もちろんです」


「…………ありがと」


「こちらこそ」


「…………ばか」


 僕の楽しい日々は、まだ続いてくれそうだ。


「もうこんな時間じゃない……うげ、お母さんから着信が何件も」


「すいません……今日は来てくれて本当にありがとうございました」


「謝るのか感謝するのかどっちかにしなさいよ」


「はは……ところでなんですけど、最後にいいですか」


「ん?」


「六日目と七日目は何をレビューするつもりだったんですか?」


「六日目と七日目って?」


 トロアちゃんは何のことだかわからないといった具合に口を半開きにする。


「え、万引きは七日間あったんだから、商品レビューも七回あると思ったんですけど」


 絶妙に話が噛み合っていない感覚があった。


「ちょ、ちょっと待ってよ。私がエア万引きしたのは五日目までだけで、それ以降のは知らないわよ」


 エア万引き。


「……つ、つまりそれは」


「これに関しては私じゃない。当たり前でしょ」

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