第3話 ダイナマイトボディの憂鬱

 毎日クリーニングに出しているのかと思ってしまうような、皺ひとつ見えない制服。その下に隠れるは破壊力抜群の大変なカラダ。


 デスクを挟んで向こうに側に、別の先生と話をするハッパさんがいたのだ。


「あ……あなあな……あなたっ!」


 ハッパさんは何やらわなわなと震えてこちらを凝視していた。


「……?」


 なんだなんだ。職員室であんな声を上げるなんて、相当ヤバいことでもあったのだろうか。僕は職員室内を見回してみる。


「なんだ鹿留、知り合いか」


「そんなわけないじゃないですか……僕のことじゃないですよ。それでは、失礼します」


「ちょっと!」


「ちょっと、って言ってるぞ……まあいい、重いだろうから階段とか気を付けてな。また明日」


 僕は笹子先生に別れを告げると、職員室を後にした。





「お、重……!」


 僕が非力なのか、それともこの段ボールが極端に重いのか……恐らく前者なんだろうけど、さっき職員室に向かっていた時より歩く速度は遅くなっていた。


 ひいひい言いながら段ボールを抱える僕の脇を、颯爽と追い抜いていく生徒たち。耐えろ。これは僕が授業中に居眠りをしていた罰なんだ。受けて然るべきペナルティなんだ。


 僕は歯を食いしばって、段ボールを抱え直す。一体何が詰まっていたらこんなに重くなるんだ。ただの鉄の塊でも入ってるんじゃないだろうか。笹子先生だったら十分あり得そうだから怖い。


 ……それと。


 僕は気づいていた。職員室を出てからずっと後をついて来る人影があることを。何人もの生徒に追い抜かれていく中、わざわざ僕の歩くスピードに合わせてつけてくる人間がいる。


 なんなんだよ。僕は恐る恐る後ろを振り返る、そこには。


「……さっきからなんで私を無視するんですの?」


 とても険悪な表情をしたハッパさんが、行儀よく立っていたのである。


 ……ないないない。なんだか僕に話しかけているような感じだけど、話しかけられる理由とかないし。意味わかんないし。


 僕は大きくかぶりを振ると、今一度歩き出した。


「ま、また……! あくまでシカトを決め込む気ですのね……!」





 途中、そう言えばカバンを置きっぱなしだったことに気付き、教室に立ち寄った。残っていたクラスメイトに職員室での内容を問い詰められ、しどろもどろになりつつもなんとか受け答える。わけのわからない荷物を抱えていることにもかなり突っ込まれたが、こればっかりは僕にもよくわからない。知らぬ間に密売人の運び屋になっていた気分ってこんな感じなんだろうか。


「そ、それじゃまた明日」


 ぎこちない笑みでクラスメイトと別れ、廊下に出た。


「話が長いですわ」


 またいるし!


 ハッパさんは踵を揃え、誰かを待っている様子だった。なるほど、つけられているように感じたのは、僕の教室にいる誰かに用があったからか。しかし、今日はよく会うなぁ。


 僕はハッパさんに軽く会釈をすると、玄関口へ急いだ。





「よい……しょっとぉ……!」


 ――数分後、ようやく笹子先生の車にたどり着いた僕は、言われた通りボンネットに段ボールを置き、これにてミッションコンプリートとなった。う、腕が上がらん……。いつかこの中身がなんだったのか、絶対聞き出してやりたい。


 あー疲れた。三日分くらいのスタミナを使い切ったような気分だ。帰ろ帰ろ。


 ……でも、僕もそこまで鈍感ではない。この後にやって来る展開は粗方予想ができる。


「……泣きますわよ。これ以上私をぞんざいに扱いますと、大粒の涙を流して泣きますわよ!?」


 やっぱり、ハッパさんは僕を追ってここまでついてきていた。ハッパさんはぷるぷるとその魅惑の体を震わせながら、目に涙を溜めてそんなことを言っていたのだ。


 どうやらこのお方は、僕みたいな人間に用があるらしい。何かハッパさんと接点なんてあったっけ。頑張ってひねり出そうとしたものの、僕とハッパさんが関わったという記憶は、微粒子レベルも存在しなかった。


「ええと……僕に何か……」


「あるから甲斐甲斐しくここまでついてきましたのよっ!」


「ひぃ、すいません!」


 ハッパさんは腕を組んで言う。うわぁ、胸が邪魔して腕が組み辛そうな人なんているんだ。


「私、見たんですの! あなたが夜のコンビニで、しかもあろうことか喫煙所で! それはそれはお可愛い女性と不純異性交遊をしている現場を!」


「夜のコンビニ……女性と……?」


「その顔は、心当たりがおありのご様子ですわね!」


「いやそれは……まあ、そうです……ね……」


 ハッパさんはふんす、と鼻を鳴らして僕の出方を窺っているようだった。


 反論をしようにも、するものがない。


 いつ、どこで、何をしていた。尋ねられたこの三要素が全て彼女の言った通りなのだから。


 確かに僕は五月の十日、デニ子と夜のコンビニで遭遇し、成り行きでちょっとだけ時間を共にしている……あれが不純異性交遊かはよくわからないけど。いやでも、パンツ見せてきたしなぁ……あれ間違いなく不純異性交遊だよなぁ。


「黙りこくっているのが何よりの証拠ですわ! 言い訳がありましたらご自由にどうぞ!」


 言い訳なんて、その通り過ぎてこれっぽっちもない。というか反論をする勇気が出ない。通学路で毎朝見かける可憐なダイナマイトボディは、性格までエクスプロージョンしていた。高慢ちきなお嬢様キャラ、僕としてはアリ寄りのアリなんだけど、いざ目の前に現れるとちょっと面倒……いやいや! ハッパさんと話ができるなんて、恐悦至極にございます!


「言い訳と言いますか……お尋ねしてもいいでしょうか」


「なんですの」


 でも、これだけは訊いておきたかった。


「……それが、何か?」


「なっ!?」


 その瞬間、ハッパさんの後頭部付近で稲妻が走ったみたいなエフェクトが見えた、気がした。


「と、とうとう本性を現しましたわね……開き直るなんて野蛮な……!」


「……へ?」


 ハッパさんは今が好機とばかりに僕を攻め立て始めた。


 ちょ、ちょっと待ってほしい! なんでこうなる!? 僕はただ、見ず知らずのハッパさんが当時の状況に対して尋問をしてくる理由を尋ねたかっただけで――。


「……あ、いやその、違うんです」


 だから僕は、『それが、何か?』って――。


「何が違うんですの!」


 ……ハッパさんのリアクションの意味がわかった気がする。これじゃ開き直って逆ギレしてるみたいじゃないかよ……! 言葉はいつも通り真剣に選んでから声に出せって何度も言ってんだろ僕!


「どっどどどどうしてそんなことを訊くのか……って思ったんです」


 腰に手を当て詰め寄るハッパさん。前かがみにならないでください! ぶるんぶるんするんで! お見事なそれがぶるんぶるんしてるんで!!


「どうしてってそれは――」


 ハッパさんの動きがぴた、と止まった。


「べ、別に理由なんてありませんの。私はただ、夜に高校生が男女でいるものではないと諭したかっただけでして」


 明らかについさっきまでとは挙動がおかしい。ハッパさんはそっぽを向き、かなり速い口調でそう言った。


「はぁ……そういうことでしたら、すいませんでした。以後気を付けます……」


 僕の言葉にハッパさんはそっぽを向いたまま、反応を示さなかった。最初からアクセル全開で、更に燃料を追加してしまうような僕の言動もあったし、怒るのも当然だ。でもウチの学校に風紀委員みたいなものってあったっけ。


「――――――じゃない」


「……?」


 しばらくして、ようやくハッパさんは口を開いた。しかし、ごにょごにょとしていて何を言っているのかが聞き取れない。


「すいません、今なんて」


「ああもう! 羨ましいに決まってるじゃない! って、言ったんですのッ!!」


「……はい?」


「毎日毎日学校が終わった後は塾に直行! パパとママは二人とも働いてるので私が塾から帰っても晩ごはんはなし! いっつもスーパーでお弁当を買って食べるんですのよ!」


 鬼気迫るとはこういうことを言うのだろう。ハッパさんは堰を切ったように喋り出した。


「それである日、いつものようにクタクタになりながら帰っている途中で、肩を寄せ合って一緒にスマフォを見るあなたたちを見かけましたのよ! 私だってね……ぐす……そんな風な高校生活を送ってみたかったですわ~~~!!」


 しまいには膝から崩れ落ちてわんわんと泣き始めてしまったではないか。


「なんで……なんで世界はこんなにも不平等なのかしら! こんなことならいっそ、ビッチギャルにでもなって遊び散らかしてしまえばいいのですわ! そうよ、そうですわ!」


 歌が入れば悲劇のミュージカルが始まりそうな勢いだった。


 なんとなくだけど、滝のような涙を流すハッパさんを見て、彼女は極度の純情乙女で、かつ重度のロマンチストだと思った。その容姿と美貌から、言い寄る男なんて星の数ほどいるのだろうと思っていたけど、聞いた感じ恋愛というものをせずにここまで来たみたいだ。というか、そのかっちりとしたお堅い服装が知らぬ間に強固なガードを形成してしまい、誰も寄り付かないのかもしれない。ふ、不憫すぎる。


「そ、そんなに泣かないでください。これから良いことありますよ」


「高校生活ももう三年目だと言うのに、浮いた話が一つもないこの私にぃ?」


「……き、きっと」


「あ~! 目逸らしましたわね~~!」


 ギャン泣き。ギャン泣きだこれ。


 完全に収拾がつかなくなっていた。これ以上僕の言葉に耳なんて貸すとも思えないし、だからと言ってほったらかして置いてもいけない。スーパーで寝転がって駄々をこねる子供よりタチが悪い。ほら、わがまま言ってないで帰るよ!


 ……って、スーパー?


 ハッパさんが僕とデニ子を見かける前に、お弁当を買った場所。それってつまり――。


「クスンクスン――ひゃんっ!?」


 意識よりも先に、体が動いていた。


 僕はしゃくり上げて泣いているハッパさんの両腕を掴んでいた。


「や……な、なんですの急に!」


「スーパーって、どこのスーパーですか」


「どこって、別に」


「どこですか」


「はぁう! ……ハギノ、ですわ」


 単に励ますのではなく、具体的な質問をする。これが功を奏したのか、ハッパさんは落ち着きを取り戻してきた。それ以上に、借りてきた猫みたいになっちゃったのはなんでだろう。


「そ、そんな急に見つめられたら――」


「つまり、毎日塾の後にハギノに寄ってお弁当を買ってるってことですか?」


「そうですぅ……」


「それは何時頃ですか――はっ」


 ここで僕はようやくハッパさんの腕を鷲掴みしていることに気付き、慌てて手を離した。


「ごめんなさい! 夢中になっちゃって……」


「ほ……本当ですわ。あんなに力強くされたら私……」


「で、何時に?」


「また強引に……そうですわね、日によってまちまちですけど、八時から九時くらいでしょうか」


「何か変わったことってありましたか?」


「変わったことって、やたらと漠然としてますわね。もう二年もこんな生活なんですもの、何もありませんわ。お酒コーナーを見る仕事帰りのサラリーマンや、近所の大学生の方たちが値引きされたお弁当を物色してるだけですの。その中にね、私もいるんですのよ……」


「ご、ごめんなさい……」


 なぜか謝ってしまった。


 ハッパさんはほぼ毎日ハギノで晩ごはんを購入している。つまり、万引き犯に関する何かを目撃している可能性があると思ったのだ――というか、むしろ。


 彼女が万引き犯の可能性は……?


「――ははぁん。あなた、もしかしてここ最近の万引きについて訊いているのかしら。それでしたら無駄ですわよ」


 ハッパさんは何かを察したのか、僕の言わんとしていることを汲み取り、先回りしてきた。


「無駄というのは……?」


「私ね、GWは光城にはいませんでしたのよ。連休くらいは遊びに行こうってパパがね、家族旅行に連れて行ってくれましたの。それで連休明けに学校に来てみたらあの騒ぎでしょう。ビックリしましたわ」


「ああ……そうだったんですか」


 ここまで出かかっていた「GWもハギノに?」の言葉を済んでのところで飲み込んだ。


 言われてみればそうである。GWの間も毎日ハギノに行っていたのであれば、ここり先輩同様、ハッパさんも容疑者リストに挙がって来るはずなのに、それっぽい噂は聞いていない。


「訊きたいことはそれだけですの?」


「そうですね……GWが明けてからの二日間は何かありましたか」


「遊び散らかしたツケが回ってきて、現在進行形で勉強が火の車ですわよ……」


「はは……」


「なんだかこんなに話をしていると、さっきまで嫉妬に狂っていたのが馬鹿みたいに思えてきますわね」


「僕もあんなことは宝くじが当たったようなものなので、もうないと思います」


「……ふふ」


 ――あ、笑った。かわいい。


「わかりましたわ。今回は見逃してあげます。ですが次また見かけたら、椅子に縛り付けて尋問致しますから、覚悟してちょうだいな」


「お手柔らかにお願いします……あ、それと」


「はい?」


 最初突っかかってきたときは、性格のキツさに挫けそうになってしまったけど、こうして話をすると、僕は更にハッパさんのことが好きになってしまったようだ。きっと根は優しいんだから、僕はアドバイスを込めて、こう言おうと思う。


「ずっと、綺麗に制服を着ているなあって思っていました」


「何を言うかと思えばな、なななんですの藪から棒に! そんなこと言ったって、何も――」


「でも、もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかって思います」


「何、も――」


「そこまでびしっと決めなくても、先輩がしっかり者なのはみんなわかってると思いますよ。疲れちゃいますから、あんまり肩肘張らずにいきましょう。そうすれば、きっと良いことがあるんじゃないでしょうか」


「あ――――――」


 するとハッパさんはぽかんと口を開けて、またも目に涙を溜め始めた。


 僕は言ってしまった後で事の重大さに気付いた。ヤバい。完全に調子こいた言動だこれ。相手は先輩だぞ! 頭に来るに決まってる。現にほら、あんなに顔を真っ赤にして、頭に血が上っちゃってるよ……!


「………………惚れるには十分すぎますわよ、もう」


「――って、こここ後輩の分際で出過ぎました! それではこれで、失礼しますっ!」


 早速椅子に縛り付けられそうな勢いだったので、僕はハッパさんの言葉を待たずに、一目散でこの場を後にした。


 走る後方で、やっぱり大騒ぎするハッパさんの声が聞こえる。どうしよう、もともと顔なんて合わせていないけど、どの面提げて通学路を歩くんだ……。


 日が沈む。西の空は既に一番星が姿を現し、薄く紺色に滲んでいた。


 この鼓動の速さは、走っているからなのか、それとも明日からの登校を危惧してなのか、僕にはわからなかった。

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