第10話 衝撃

「さっきの子、あたし知ってる」


「え……?」


「半袖に半ズボンだったからパッとは思い出せなかったんだけど、そう言えばそうだ、あの子だよ」


「……と言うと」


「澄ました顔でさ。いつも同じ席でお人形さんみたいに座ってるんだ。綺麗な子だなぁっていつも思ってた」


「それはどこで」


「朝のバス。あたしトン高なんだけど、学校にはバスで行くの。そこで毎朝一緒のバスに乗ってるんだよ」


「ああ、なるほど……でもあの制服って珍しいですよね。どこの高校なんでしょうか」


「……はぁ? あれがドコ高かって? あなた最近引っ越してきたとか?」


「いや、生まれも育ちも光城ですけど……」


「光城に住んでて、あのお嬢様学校、『山王さんのう女学園』を知らない? しかもあの制服は中等部! 中学生だから!」





 ――昨晩の衝撃は、今でも僕の脳裏にしかと刻み込まれている。


 幼い容姿だとは思っていた。でも初対面でタメ口を利いてくる辺り、彼女には僕が同い年くらいに見えたのだろう。特に気にせず僕はそれを受け入れていた。


 かたや僕は人とコミュニケーションを取ることができない。初対面の人には失礼のないよう、丁寧な口調で話をするべきであると無意識に感じていた。というか、それは普通なことなのでは?


 後に根ツイ先輩があのトロアちゃんだと知り、僕の頭は完全に彼女が年上の先輩だと思い込んでしまった。だってトロアちゃん、大人っぽいんだもん。


 しかし、蓋を開けてみると僕の予想、もとい思い込みは見事にはずれ。なんと年下の女子中学生と来たもんだ。年上である僕が、これまでクソ馬鹿だの散々罵られていたことを思い返すと、相当舐められているんだなぁと涙が出そうになる。


「でも、鹿留君のその表情を見る限りでは、トロアが中三だってことを彼は知らなかったみたいだけど?」


 ふむ、中三だったのか。となると年齢は僕の一つ下か。将来が楽しみ過ぎる。


「は? 冗談でしょ?」


 デニ子同様、トロアちゃんは寝言は寝て言えとでも言わんばかりに僕の顔を見た。


「厳密には昨日教えてもらった、というか」


「いやいやいや……制服見りゃ一目瞭然でしょうに! ほんっとにこのくそばかは……で、誰によ」


「え?」


「誰に教えてもらったのかって聞いてんの」


「ああ、それは昨日のコンビニで会った女の子に――」


 ここまで言ったところで、やってしまったと思った。


「昨日の……って、あああああ~~~~!」


 トロアちゃんはちょっと考えて、すぐさま鬼の形相で僕を指差した。


「そうよ! 元はと言えばそれで今日あんたをここに呼びだしたんじゃない! 誰よ! あのコンビニで二人仲良くスマフォを見ていたあの女は誰なのかって聞いてんのよ私は!」


「こ……ここは僕の家ですよ!」


「え、なになに、修羅場なの?」


 ここり先輩がエサを見つけた猫の如く瞳を輝かせる。


 僕が最初に正座をさせられた理由は、やはりと言うべきか、昨晩のコンビニでの一件だった。ほっぺたをこれでもかと膨らませながら、僕がビクビクしているのもお構いなしに睨み付けていた。


「ふんふん。なんだかやたらと面白そうな雰囲気がするじゃないか! で、誰なんだい?」


 ここり先輩が棒付きキャンディをマイクに見立てて僕の口の前に持ってきた。そのまま舐めしゃぶってやろうか。


「あ、あの……その……わかりません」


「なるほど、わからないと! トロアさん、鹿留君の言葉を聞いていかがですか!」


 すぐさま棒付きキャンディがトロアちゃんの方に移る。


「はあ? あんなに楽しくおしゃべりしておいて、わかりませんで済むと思ってんの!?」


「正確には、顔は知っていましたが、会話をしたのは昨日が初めてというか……」


「ますます意味不明ね……女の名前は」


「……わかりません」


「だあもう! くそばかくそばかくそばか~!」


 トロアちゃんは盛大に地団駄を踏んでいた。


「で……でもその人、毎朝トロアちゃんと一緒のバスに乗っているそうです」


「ぐぬぬぬ……どうにも腹の虫が収まらないけれど、枢みたいなのがあんな美人な女の子と友達なこと自体あり得ないものね……そうよね」


「そうですね……」


 なんの否定もできない。トロアちゃんの言う通り、デニ子は僕の友達じゃない。たまたまコンビニで遭遇して、お互いに名前も知らないのにたまたま一緒に動画を見た謎の関係なのだ。


「で、毎朝一緒のバスに乗ってるって?」


「そう言ってました」


「あっち方面のバスってことは……」


「時間的にトン高とかその辺かな」


 と、ここり先輩。


「はい、トン高です」


「私、あんまりバスに誰が乗ってるか気にしてないのよね」


「名前も知らない他校の美人女子高生と夜のコンビニでイチャイチャねぇ。恋愛に発展する下準備としてはこの上ないと思うんだけど、その辺どうなの?」


「んな……ないですよそんなの……」


「そりゃ残念」


「そっ……そうよねそうよね! だって枢だもんね! あり得ないわ!」


 そこまでボロクソに言われると僕だって傷つきますよ!


 トロアちゃんは鼻息荒くそうまくし立てると、満足げに胸を張っていた。


「じゃあ次。なんでトロアは鹿留君にそんなに怒ってんの?」


「へ?」


 言われてきょとんとするトロアちゃん。


「いや二人の話を聞いてるとさ、別に鹿留君が悪いことをしたわけでもなければ、トロアが怒る理由もないよなぁって」


 徐々にここり先輩の表情が意地の悪いものに変わっていく。


「それはっ……え、なんでかなぁ~……」


 トロアちゃんは明らかに動揺を隠せていない様子。


 なんだかよくわからないけど、これはチャンスなのではないか。


「……そうですよね」


「す、枢?」


 そう思った僕は決死の覚悟で、人生でも数えるほどしかしたことのない『反論』を実行した。


「い、いわ……言われてみればそう、ですよね……」


 …………。


 言葉が出てこねぇ!!


 反論終了。ただここり先輩の意見に同調しただけになってしまった。


「こ、こここの話はこれでおしまいだから!」


「え~。なんにもケリがついてないような気がするけどなぁ」


「ここりは黙ってなさい!」


「でも……そうかぁ、トン高か」


 ここり先輩は釈然としないながらも、そんなことを呟く。


 言い訳のような独り言をぶつぶつ言っているトロアちゃんをよそに、僕は尋ねた。


「トン高が何か?」


「んー、こっちに住んでてわざわざトン高に行く理由って、なんだっけ」


「……『特進クラス』でしょうか」


 光城市は日本全国の主要都市と比べると、どうしても片田舎というイメージがある。市内にある高校には限りがあり、選択肢はほとんどないと言ってもいい。自宅から近いからという理由で通っている人間がほとんどだろう。そんな地域柄の中、光城高校の方が近いのに、わざわざ光城東高校に通う理由とは。


「やっぱり、それくらいしかないよね」


 特進クラス。この存在は大きかった。


 特進クラスとは、偏差値の高い有名大学に進学することを目的に設けられた、勉学に励むことに特化したクラスである。光城高校にも似たようなものはあるが、トン高のそれとは天と地ほどの差がある。この特進クラスを希望する生徒の数は年々増えており、入学できる人間は一握りの狭き門。


「一クラスの人数って、大体どれくらいかな」


「四十人いないくらい、かと」


「だよね。ただでさえ狭き門であるトン高の特進クラスに、こっちから通う人間なんて一人いるかいないかじゃない?」


「……確かに」


「その子、特進なのかもね」


「あの、ですがそれがどうかしたんでしょうか」


 ここり先輩はすでにキャンディがなくなった棒を僕に向けて、


「大月美小夜」


「あ……」


「知ってるよね?」


 静かにそう言った。


 大月美小夜。いつだかの学食で耳にした、とある女子生徒の名前だ。


 光城の近くに住みながらトン高に通っており、頻繁に近所のコンビニに姿を現す此度の万引き騒動の容疑者の一人として名前が挙がっている女子生徒だ。


 ……コンビニ?


 途端に嫌な汗が出始めた。


「私の言いたいことがわかってきたようだね、鹿留君」


 この辺ではほとんど見ることのないトン高生の女の子――思い当たる。


 頻繁にコンビニに出没――思い当たる。


 ……デニ子、スケベ漫画の立ち読みのし過ぎで市内中の噂になってるぞ。でもあの思春期ど真ん中の脳内で特進クラスって。できれば冗談であってほしい。


「彼女が……」


「あくまで私の推測だけどね。可能性はゼロじゃないと思うよ」


「……仮に彼女が大月美小夜だったとしても、万引き犯の可能性は薄いように感じます」


「ほほう、肩を持つのかい。やっぱり君たち、そういう」


「違いますって……」


 僕は嘆息してここり先輩のゴシップ根性を否定した。


「なんとなく、頻繁にコンビニに出入りしているだけで疑われるのはかわいそう、というか」


 これは僕が始めから思っていることだった。だったら容疑者なんてデニ子以外にもたくさんいる。


「まあ、言いたいことはわからんでもないよ」


 ここり先輩も同様に溜息をついていた。


「今この街はちょっとしたお祭り状態だ。ちょっとでも目立つ人間がいれば万引きの容疑者に仕立て上げられる。きっとそれを拡散している人たちに悪気なんてないんだろうね。でもね、それを言われる立場になって欲しいもんだよ……あー腹立ってきた!」


 ここり先輩はキャンディの棒をぎりぎりと噛むと、ゴミ箱に投げ捨てた。


「トロア! 帰るよ!」


「んえ!? 動画編集するんじゃないの!?」


「気が変わったの! 何かおいしいスイーツ食べに行くから!」


「なんて身勝手な……ちょ、服掴まないでよ!」


 ここり先輩はすっくと立ち上がると、トロアちゃんの言葉を遮って引きずるように部屋から出て行った。その間際、すると、


「鹿留君」


「え、あ、はい」


「さっき言ったこと、よろしくね。お手伝いの件」


「ああ……善処します……」


「万引きはなかった」


「え」


「万引きはね、なかったんだよ、鹿留君」


「なかったって……何を急に」


「それじゃ、またどこかで会おうね」


「せ、先輩っ」


「動画へんしゅう~!」


 ここり先輩はにっこりと笑って言うと、トロアちゃんの首根っこを掴んで退室していった。


 茫然とその場に立ち尽くす僕。


 ――万引きはなかった? いやいや、あったじゃないか。一日のみならず、七日間も。


 その時の僕は、ここり先輩の言葉の意味を深く考えようとはしなかった。それよりも何よりも、今まで女の子が二人も僕の部屋にいた。この残り香を吸引することで頭が一杯だったのである。


 とりあえず、布団にダイブしてみようかな。

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