第9話 来客

 五月十一日、木曜日。翌日、事態は急変した。


 実に七日間に渡って続いた万引きが、昨日ついに途切れたらしいのだ。


 もちろん我が光城高校は大騒ぎ。万引きが続こうが途切れようがまだしばらくほとぼりは冷めないだろう。それにしても結局、なんだったのだろう。明日は何もなければいいんだけれど。


「……はわぁ」


 一昨日は上暮地薄荷という謎の人物。そして昨日はトロアちゃん。この二人のせいで僕は連日眠れぬ夜を送った。


 更に追い打ちを掛けるように僕の脳裏をよぎる、昨晩、コンビニでデニ子が放った帰り際の一言。連休明けから三日が経ち、そろそろ生活リズムも元に戻っていいところなのに、僕はただただ眠たい日々を送っていた。


「――人が尋問をしようとしてる時に何呑気にアクビなんてしてるのよ、このくそばか!」


「ひゃいぃっ!?」


 そして、この状況が僕をもっと深い混乱の渦へと沈みこませるのだった。


 現在の時刻は放課後、午後四時を過ぎた辺り。


 場所はあろうことか、僕の部屋と来た。


 ――今朝、登校している時、いつものようにシカトをお見舞いされたトロアちゃんとすれ違った直後、


『今日あんたの家行くから。三時四十五分、ハギノの信号に集合』


 今見たばかりのトロアちゃんから、有無を言わさぬメッセージが僕のスマフォに届いたのだ。


 昨日の今日だ。僕の選択肢にNOという答えは見当たらない。


 こうして今、トロアちゃんは僕の普段座っている椅子に足を組みながらふんぞり返り、かたや僕は床に縮こまって正座をしている。


「枢! あんたこの状況わかってんの!?」


「あの……わかってるというか、さっぱりというか」


「何か言いたそうじゃない」


 もう一つ、僕には最も理解に苦しむことがあった。


「いや、その」


「何よって」


 僕は俯きつつ、視線を左側にチラチラと移す。僕のベッドがある方向だった。


 来客は、二人あった。


 目の前でプンスカしているトロアちゃん。


 もう一人は、ベッドでごろごろしながらスマフォを弄っている女の子。


「この人は一体……」


「そ、それは私もよくわかんない……」


 トロアちゃんはバツが悪そうに目を逸らしていた。

 

 ……というか、サコちゃんだった。

 

 登校中に出会う最後の一人。校門手前で後ろを振り返るとお目に掛かれる、眩しい鎖骨が美しい、ギャルッ娘のサコちゃん。その彼女がどうしてかトロアちゃんと一緒に僕の家に上がり込み、あろうことかベッドに寝転びぐうたらとしている。そりゃあ理解なんて追い付くわけがない。


「私はついて来るなって言ったでしょ!」


 トロアちゃんの怒りの矛先はサコちゃんに移った。どうやら赤の他人ではないらしい。当たり前か。


「んもぉ、幼馴染にそんなこと言うもんじゃないよ~」


 あ、喋った。むしろ旧知の仲だったらしい。


「ねえ、ト・ロ・アちゃん?」


「ぐっ……! あんたがその名前で呼ぶと虫唾が走るわね……!」


「だってこの子ファンなんでしょ? 名前バラシちゃってもいいの?」


「それは……」


 トロアちゃんは僕の方を一度見て考える。え? 教えてくれるの? こんなタイミングで? いやそれは聞きたいけど、同じくらいに聞きたくもない気もするし。僕も考える時間貰っていいですか?


「…………トロアで頼むわ」


 うん、僕が入り込む余地なし。


「はいは~い」


 サコちゃんはにんまりと手を振ると、制服のポケットから棒付きキャンディを取り出し、口に咥えた。


 まさか、あの根ツイ先輩ことトロアちゃんとサコちゃんが知り合いだなんて思いもよらなかった。しかも幼馴染って。ギャルと清楚のカップリング……僕は支持したい。


 ――いや、ちょっと待てよ。


 サコちゃんはトロアちゃんのことを知っていて、さっきの口ぶりだと当然、彼女がワオチューバー活動をしていることも知っている。



『トロアに近づくな』



 せっかく忘れかけていたあの一文が、突然僕の頭に降ってきた。とサコちゃんをくっつけることは尚早だと思ったが、考えずにはいられなかった。


 サコちゃんはトロアちゃんと昔から仲の良い幼馴染。当然私生活でも交流があるに違いない。ワオチューバー活動をするにあたっての話だってしている可能性は大いにあるわけだ。そんな中で、ある日僕みたいなどこぞの馬の骨が急にアシスタントになったと聞かされたら、サコちゃんとしては面白くないかもしれない。サコちゃんはトロアちゃんのスマフォから僕の連絡先を盗み出し、あのような怪文書を送った。つまり。


 サコちゃんは、上暮地薄荷――?


「ちょっと! あんたがどうしても動画編集一緒にやりたいって言って来たんだから、ちゃんとしなさいよ!」


 ええええええええええええええええええええええええええ!?


「……何よ急に。キツネにつままれたみたいな顔しちゃって」


「あ、あのあの……いま、ここりって……」


「知ってるの? まあ学校も同じだし当然よね」


 何と言いますか、知っているというか、今知って度肝を抜かれたと言いますか。


 ここりって、あの鳥沢ここり先輩のこと……だよね。こんな珍しい名前二人といそうにないし……。


「この子はそういうことを言いたいんじゃないと思うよ~」


 まさに驚天動地の大事件。僕は開いた口が塞がらず、両手を床についてへたり込んでしまった。ここでサコちゃんがおもむろにベッドから起き上がり、僕の気持ちを代弁するようにこう言った。


「私ね、光城で万引き犯に疑われてるんだってさ。きっと学校で、顔は知らなくても名前を知らない人なんていないと思うよ」


「え、マジ!? ここりが!?」


 その通り。僕みたいな、同級生の顔と名前が一致しないような人間でさえ知っている、光城高校生徒の中で最も有名な、名の知れた人物。


 鳥沢ここり。それがサコちゃんなのだった。


「なんでまたあんたなんかが……」


「じゃあとりあえず動画の編集は置いといて、私がみんなから毎日のように訊かれてることを言おっかな。ほんっと、うるさいったらないよ」


 サコ――ここり先輩は立ち上がると、棒付きキャンディをくるくると振りながら、辟易とした顔で語り始めた。


「まず初めに自己紹介とかした方がいいのかな。そういやキミの名前を訊いてなかったじゃん。なんて言うの?」


「鹿留、です……鹿留枢」


「そしたら鹿留君、キミ何年生?」


「……一年です」


「なるほど。私の二個後輩だ」


「二個って……」


 ……三年生!?


 僕は毎朝、背後を歩くサコちゃんをずっと見てきた。彼女の線が細く、ちんまりとした体のサイズと、派手な装いから来る幼さに、てっきり今まで同級生なんじゃないかなぁって思い込んでいた。


 立ち上がったここり先輩は、トロアちゃんと大体背丈が同じ。若干トロアちゃんの方が大きいくらいだ。


「今日は驚くことばっかりだねぇ、鹿留君?」


 意地の悪そうなしたり顔でここり先輩は言った。三年生の大先輩だから何も言えないけど、子供に馬鹿にされている気分だ……!


「そんなこんなで、私が今光城生の間で最もホットなJK、鳥沢ここりってワケ」


「はいはい。枢をイジるのはその辺にしといて、なんでここりが疑われてるのよ」


「……万引きのあった全ての日に、ハギノでここり先輩を見たって噂があって」


「ストーカーかって話だよね~」


 ここり先輩は再びベッドに勢いよく腰掛けた。


「ま、確かにいたんだけどさ」


 ……え、いたの?


「いたんじゃない! じゃあ疑われても仕方が――って、そうか」


 トロアちゃんは大きくツッコミを入れた後、何かが腑に落ちた様子で頷いていた。


 あ、これ僕だけ置いてかれてるやつだ。


「何かあるんですか?」


 いてもたってもいられず、僕は尋ねた。


「ここりね、ハギノでバイトしてるのよ」


「いやー、大変だったんだから! 連休返上で勤労奉仕。涙ぐましいでしょ! んで学校来てみたらこの言われようだもん。やんなっちゃう!」


 言いながらここり先輩は僕の布団で涙を拭う仕草をしていた。というか今急に恥ずかしくなったんだけど、僕の布団の匂いとか嗅がれてないよね?


 ――ただ、なるほど。これでここり先輩が疑われている理由が見えてきた。


 ここり先輩はハギノに偶然いたのではなく、いるべくしていたのだ。毎日アルバイトとしてハギノに出勤する彼女の姿を見た誰かが、ここり先輩が万引きをしている張本人だと決めつけ噂を広めていった。こんなところだろう。そうなると訊いておきたいことがある。


「ちなみに、何連勤だったんですか」


「よく訊いてくれた鹿留君! GW初日から一昨日の火曜日まで、鬼の七連勤だったんだよ~。労ってくんない?」


「校則でバイト禁止なクセによく言うわよ」


「遊ぶ金欲しさにやった」


「容疑を認めてんじゃない!」


 仲良いなぁ、この幼馴染。僕にも家が隣同士で二階の部屋を屋根伝いに行き来できる世話焼きの幼馴染(女の子に限る)がいたらなぁ。


 ……じゃなくて、今のここり先輩の言い分を聞くに――。


「ということは、昨日は休みだったんですか」


「……そ。タイミング悪いでしょ?」


 僕の言葉にここり先輩はぴくりと反応すると、幾分か真面目な口調で言った。


「タイミング?」


「知らないの? 昨日は万引きがなかったんだって。連続記録は私の連勤記録と共にストップ」


「それって……」


「いよいよって感じでしょ? さすがに今日の教室の空気は変だったねぇ」

「……ごめん」


「へ? なんでトロアが謝ってんの」


「あ、いや……なんとなくよ。ここりがそんなことになってるなんて知らずに、面白がって万引き調査の動画なんて撮ったりして」


「そんなん気にしてどうすんの~。流行りのワオチューバーは流行りに乗っかんないとダメでしょ」


「でも……」


「そこでだ鹿留君。トロアのアシスタントであるキミに折り入って相談がある」


「僕に……ですか?」


 棒付きキャンディをビシ、と僕に向けてここり先輩は言った。


「私の容疑を晴らすお手伝いをしてくんない?」


 アシスタント関係ないし!


「そんな、無理ですよ……人と話すことあんまり得意じゃないですし」


「話してる感じそんな気はしてたけど、やっぱりそうなんだ」


 傷つくなあ!


「いいのいいの。探偵みたいなことはしなくて平気だから、キミなりに思い付いたことがあったら私に教えてよ」


「……ま、まあそういうことでしたら」

「んじゃ、よろしくね~~」


 軽く言いながらウィンクをするここり先輩。本当に気にしてるのかわからない。


「トロアもね。ここりお姉ちゃんを助けると思ってさ」


「……え? ああ、うん」


「そこは怒るところでしょ! 子供扱いすんな~! って」


 調子狂うなあ、とここり先輩は頬を掻いていた。


 そんな二人の会話をなんとも現実味のない感覚で僕は聞いていた。しかも自分の部屋でだ。


 光城生がしきりに噂をしていた鳥沢ここりと言う人物が、なんと僕の憧れのサコちゃんだった。


 そしてサコちゃんはハギノでアルバイトをしていたから毎日ハギノに出没していた。驚くことが多すぎる。


 最後の極めつけは。


 ――さっきの子、あたし知ってる。


 昨晩、帰り際に放ったデニ子の言葉が蘇る。


 ここりお姉ちゃん。彼女は今そう言った。


「私はJCの癖に人生の大先輩であるこの私に、小生意気な態度を取るトロアが好きなんだけどなぁ~」


「昨日今日知り合った仲でもないんだから、小生意気も何もないでしょ!」


 トロアちゃんは、ピチピチの中学生だったのだ。

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