第7話 コンビニ
――昨日、七日目も万引きは発生した。
場所はスーパーハギノ。発生時刻は夕方から夜の閉店に掛けて。例によって全く同じ内容のものだった。
つまり、昨日僕たちが動画を撮影している最中に、犯行が行われていた可能性だって大いにあるのだ。
そしてこれで、一週間を通してハギノで万引きが行われたことになる。一週間って! さすがに七日連続で商品を盗まれていたら店側も何かしらの行動を取ると思うんだけど。
しかし、僕の疑念をよそに学校内での盛り上がりは加速度的に増していた。誰々が……いや誰々が……と躍起になって犯人捜しをする生徒たち。そんな中、変わらず一番人気で容疑者に挙がってくる生徒の名前は――。
鳥沢ここり。やはりこの人だった。
昨日もハギノに姿を現したような報告があったらしい。ここまでくるとハギノに張っている生徒でもいるんじゃないかって思う。
「はぁ……」
僕は日中の異様な空気を思い出して辟易としていた。
時刻は現在夜の七時十五分。僕はパソコンの前に座り、微動だにしていなかった。
万引きで大いに盛り上がる生徒たち以外は、特に変化のない一日だった。いつも通
り最高の登校を済ませ……そう言えばトロアちゃんにまたシカトされたのはもう慣れてしまったので何とも思っていない。うん、思っていない。
あとは粛々と授業を受けて終了。自宅直帰である。
そういえば、懸念されていた上暮地ナニガシからの返信は、結果を言うとなかった。
朝起きてスマフォの電源を入れメッセージを確認すると、当然既読のマークは付いたままで、ただ返信がなかった。そのまま音沙汰なく今まで来てしまったといったところだ。ただのイタズラだった……のかな。
――そんなことはどうでもいい。今はとにかく心を無にして、来たる八時まで待機することが先決だ。
僕がパソコンの前で待機をする理由。それは家に帰ったところでトロアちゃんからあるメッセージが届いたからだ。
『昨日はお疲れさま。動画の編集は進んでる? 前に撮った動画のストックがいくつか残ってるから、別に急がなくても大丈夫よ』
一瞬、上暮地からの返信かと肝が凍り付いたけど、これまた一瞬で解凍された。これは僕とトロアちゃんだけのやり取り。世界中の誰も知らない二人だけの会話なんだ!
そして更に、動画のストックがあるなんて!
『わかりました。ちなみにそのストックはいつ投稿するんでしょうか』
『今日の夜八時』
『見ます』
『マッハで返信するの気持ち悪いからやめて』
こうしたやり取りの末、僕はここに座っている。動画の投稿まで残り一時間を切った。まだかなぁ。早く八時にならないかなぁ。
………………。
………………。
………………。
……さすがに早すぎたかもしれない。
ここでじっと待機していることも全然苦ではないけれど、無意識のうちに万引きのこととか、上暮地のこととかを考えてしまって気が滅入ってしまう自分がいることも事実だった。
「……コンビニでも行こうかな」
なんとなく気分転換を兼ねて、外に出ることにしてみた。
コンビニは家から徒歩で数分の所にある。僕にとっては大変お世話になっている場所で、休日は自分の部屋とこのコンビニを行き来することなんてザラである。お金の掛かる離れみたいなものだという認識が強い。
せっかくトロアちゃんの動画を楽しむんだから、飲み物やお菓子でも買おう。僕ははやる気持ちを抑えつつも、できる限り足早にコンビニを目指した。
住宅街の中に店を構えるコンビニは、この時間ともなるとお客さんの出入りはまばら。駐車場に止まっている車も一、二台と、閑散とした空気が流れていた。この感じが意外と好きだったりする。
また五月ということもあり、入口に設置してある誘蛾灯の周りは、ごくわずかの虫しか飛んでいない。
そんなどうでもいいことを考えながら、帰宅した時と似たような感情で入店する。
店内の真っ白な蛍光灯の明かり。僕は少々の眩しさを覚えながら、いつものルートで店内を物色する。まずは入ってすぐ右手の雑誌コーナーを――。
あがッ……!
その時だった。僕の体が突然に異常をきたしたのだ。それは早く家に帰らなきゃとか、そんなことが遥か彼方に吹き飛んでしまったかのような、暴力的な何かが僕を襲った。
端的に説明をするのならば、良い匂いがした。鼻腔を抜け、そのまま直接脳みそに向かって、シャレにならないような香りが、僕の視界をみるみる奪っていく。
例えるのならばそれは、女の子が生まれもってして持っている甘い香りに、更にシャンプーやリンスの清潔な香りが絶妙に混じった――。
……女の子?
なぜ今僕は、この危険極まりない香りが女の子から発せられているものだと思ったのだろうか。
知っていたんだ。もともとこの香りを。だがおかしい。いつもだったら軽く足元がおぼつかなくなるぐらいの衝撃なのに、今回はそれどころではない。というか、この香りがするということは、この店の中に、彼女がいるということになるのだが。
僕はぼやける視界に鞭を打ちながら辺りを確認する。すると。
「……」
雑誌コーナーに、しゃがみこみながらマンガを読む女の子がいた。真剣にページをめくるその横顔を僕はよく知っていた。
――デニ子だ。デニ子がコンビニでマンガを立ち読みしているじゃないか!
でも、残念ながらこの時のデニ子は黒タイツを履いていなかった。更に言うと、制服でもなかった。
簡単に言うと、部屋着。黒いTシャツに下はグレーのスウェットとサンダル。毎朝僕が見かけるクールで凛々しい彼女とは天と地の差があったのだ。そしてここで僕はこの強烈な香りの核心とも言える部分を発見した。
……もしやこの子、風呂上がりかッッ!?!?
見ればデニ子の綺麗な黒髪は、心なしか湿っていた。
この場を離れないといけないと、僕の命が語り掛けたような気がした。
明日の朝刊に載らないためにも、僕はよろよろと彼女の背後を通り抜けた。
――それがいけなかった。
僕は見てしまったんだ。ぼやける視界の向こうの、デニ子の後ろ姿を。
デニ子の着ていたTシャツは小さめだった。裾の短いTシャツでしゃがむとどうなる? 肌が見えるのだ。
Tシャツとスウェットの間から覗かせる真っ白な肌。触りたい。指でなぞってみたい。色々な衝動に駆られる僕をよそに、彼女は僕のスケベ心を逆なでするように追い打ちを掛けてきた。
スウェットの下に履いているパ……パンツがちょこっと見えているではないか。
僕の足取りはそこで停止を余儀なくされた。もう一歩も前に足を踏み出すことができない。パンツに釘づけ、その場に磔。
嫌な汗が体中から滲みだしてくるのがわかった。そしてなんだか下半身が熱い。やばい、本当に早くこの場を離れないと! 動けよ僕の体! それとパンツから目を離せ!
「……?」
するとだ。デニ子がふとこちらを振り返ったではないか。なんというタイミング。
いや、タイミングがどうとかじゃない。自分の背後に僕みたいな不審者が微動だにせずに立っていたら、そりゃあ何かしら感じるものがあるに決まっている。
デニ子と僕は、僕が彼女を知ってから恐らく初めて、視線を交わすことになった。
「あ……いや、その……」
何一つ言い逃れができない状況。僕の頭がフルスロットルで言い訳を作成しようとするが、浮かぶのは今も目の前で見えているパンツのゴム部分。
「ごめ、ごめんなさ――」
僕は汗をだらだらと流しながら、とりあえず謝らなければと口を開いたその時。
「……こっち来て」
デニ子は僕の手を掴み、足早にコンビニから連れ出した。
僕の足取りなんか気にもせず、ずんずんと歩くデニ子。あ、いい匂い。
そうしてコンビニ脇の喫煙所まで連れてこられたところで、ようやく手を解放してくれたのだった。
「……」
何かしらの制裁を受ける。僕はぎゅっと目を閉じてそう考えていた。
「見たの?」
やはり、デニ子はパンツのことを訊いてきた。
「あ、その……」
「見たのかって訊いてるの」
ずい、と距離を詰め、デニ子は再度僕に尋ねる。やっぱり白状するしかないようだった。
「……見ました」
終わった。僕は悟った。
「……はぁ、そうなの」
デニ子は怒るというよりは、僕と同じように観念したような感じで溜息を漏らしていた。呆れてものも言えないのだろうか。
「……幻滅したでしょ。私みたいな女子がエッチな少年マンガをガン見してるなんて」
「だって、あんな体勢だったらそりゃ見える……というか」
…………。
「「………………え?」」
…………。
「あんな体勢?」
「エ、エッチな少年マンガ?」
一体何の話をしているのか。僕はもちろん、デニ子もそんな風な表情で僕を見つめていた。
「……とりあえず、どっちから懺悔する?」
デニ子は頭を抱えながら、そんな提案をしてきた。
「ええと……僕からの方がいいですかね……?」
「よろしく」
「……見ました」
「それは知ってる。何を見たのか訊きたいの。あたしは」
「はい……」
わざとか? わざと僕に言わせようとしてるのかこの子は。
「パ……パン……」
「もごもごしないで、はっきり言って」
ああもう、こうなったらヤケだ!
「だから! あんな風にしゃがんでたら、パンツが見えるって……言ってるん……です」
誘蛾灯に誘われた虫が、ばちばちと焼ける音だけが響いていた。
言った。言ってしまった。普段ひた隠しにしていたスケベな思考を、とうとう口に出してしまったのだ。
しかし、僕の顔から火が吹き出しそうな気持ちとは裏腹に、デニ子の表情はいたって普通だった。
「――なあんだ。そんなこと。こんなのなんて、いつでも見せてあげるのに」
「え?」
その言葉と同時に、デニ子はためらいなくスウェットを少しずらし、僕にパンツを見せつけてきたのだ!
「い……いやいやいや! なにやってるんですか――」
これがイマドキの女子高生なのか? それとも、僕は不慮の事故か何かで貞操観念がゼロの世界に転生してしまったのではないか?
僕は大きく狼狽えながらも、早くパンツを隠すように促したが。
「どう? 男子って、こんなので喜んじゃうんだ」
声音は平坦。完全な平静。
これだけを見るとこの場の主導権はデニ子が掌握しきっているといって間違いない。
だが、僕の口はぽかんと開いてしまっていた。それはなぜか。
――デニ子の顔が、真っ赤っ赤だったからである。
「なんならもっとスウェット下げてあげてもいいけど?」
デニ子の言葉と行動は、全くもって噛み合っていなかった。
汗を滲ませ、顔をこれでもかと赤くしながら、それでもスウェットに手を掛ける。
「……無理してます?」
「全然」
「ええ……」
なぜそこで意地を張る。
「いやだって、汗だらだらじゃないですか……」
「お、お風呂上がりだから」
やっぱり風呂上がりだった!
「ああ……なるほど……お風呂上がりだから……」
なんで僕は話に乗っかってるんだよ!
「でも、あの、もう大丈夫です……満足したので」
「そう、わかった」
デニ子は言うととても大きな安堵の吐息を漏らしながら、スウェットを元の位置に戻した。
「やっぱり、無理してたんじゃ――」
「してないし!」
なんだろう、この会話は。
「――そしたら、次はあたしの番ね」
額の汗を拭いながら、デニ子は仕切り直した。そう言えば今のは僕の懺悔の時間だったんだっけ。ただ単にデニ子だけが辱めを受けているだけのような気がしてきたぞ。
「……あたしはコンビニで、普通なら男子が読むような少年誌の、その中でも特にお色気満載のマンガを好んで立ち読みをする、常に頭の中がピンク色に染まった性に興味津々な変態色情魔女子高生です」
「ぶっ……!?」
誰がそこまで言えと!?
僕が彼女の懺悔に不満で、何度も言い直させた挙句、最終的にこんな感じになりました、みたいな仕上がりになってない!?
「笑っちゃうでしょ?」
その言い回しに吹き出しそうにはなったけども!
「そんなことは……誰だってそういう時期はあるでしょうし」
「女子でも?」
「それは、わかんないですけど」
「ほら! やっぱりあたしはこの異常な性に対する関心をどこにもぶつけられず、夜の街をさまよい続けるヤバい女なんだ……!」
デニ子……毎朝僕の前を颯爽と横切る凛とした貴女は、一体どこに行ってしまったんですか。
そして、間欠泉の如く湧き出る親近感は喜んでいいのですか。
「――とにかく、このことは他言無用だから」
「はい……」
「だからあたしは自分の名前を名乗らないし、あなたに名前も訊かない。あたしのパンツを見たこともチャラ。これでいいでしょ?」
「はい……」
なにがどうチャラなのだろうか。
すったもんだの懺悔バトルの挙句、僕は夜のコンビニで名も知らぬ女の子と意味不明な約定を結んでしまいました。結局何も買ってないじゃないか……。
……ん? そういえば、僕はなんでコンビニに買い物に来たんだ?
「あ」
僕は血相を変えてスマフォを取り出し、現在の時刻を確認した。
――八時、六分。
まずいことになった。トロアちゃんの動画投稿予定時間を六分もオーバーしてしまっているじゃないか。かつて僕がここまで遅刻をしたことがあっただろうか。やはりあのまま部屋でじっとしているべきだった。
だが家に戻ってから見たのでは更に時間が掛かってしまう。ここは致し方ないけど、今この場で、スマフォを使って見るしかあるまい!
僕はしゃがみ込むとスマフォでワオチューブを開いた。そしてすぐさまトロアちゃんのページへと飛ぶ。
「どうしたの、急に忙しなくなって」
「うわっ!」
すると僕の異変に気付いたのか、デニ子がスマフォの画面を覗き込んできた。
「あ、この子知ってる。最近人気だよね」
申し訳ないけど、デニ子に構っている余裕はなかった。
やっぱりトロアちゃんは、新しい動画をアップロードしていた。内容はつい最近発売した激辛カップ焼きそばの食レポだった。ああ、そんなの食べたら体に悪いよ!
――って、激辛カップ焼きそば?
確かに最近発売したということもあって、どの店に行っても見かけるような商品ではある。ただそれ以上に、僕はこの商品のことを気に掛けていたような気がするのだ。
「あー、これCMで見た。人間が食べて良い色してないでしょ」
――まあ、今はそれよりも。
「あの……かなり、近いような……」
「だってスマフォだと画面小さいし」
横を見ると、デニ子の顔がすぐそばにあった。
肩と肩が触れ合い、ほっぺた同士は今にもくっつきそうな距離感。人にはそれぞれのパーソナルスペースというものがあるみたいだけど、名前も知らないような男とほぼゼロ距離で接近できるこの人の感覚は、僕からすればバグッてるとしか言えなかった。というか、良い匂いがして集中できたものではない。
「このトロアって子も可愛い顔して体張ってるねぇ。全部食べちゃったりして」
僕のドギマギした気持ちなんて知ったことではないといった具合に、デニ子は動画に夢中だった。
「……これまでの動画でトロアちゃんは、食べ物を残したことはありません」
僕も対抗して、なるべくデニ子のことを考えないように努めた。
「いやでも、今回はさすがにないでしょ」
デニ子は半信半疑で動画を見つめる。
出来上がった激辛カップ焼きそばは見ているだけで目にキそうな鮮やかな真紅。確かにこんなもの、人間が食べて良い代物ではない。
トロアちゃんも焼きそばに絵の具でも撒いたかのようなそれに苦笑いだった。しかし、いつも通りの軽快なトークから手を合わせて、いただきますと焼きそばを口に運ぶ。
僕とデニ子はゴクリと喉を鳴らして、トロアちゃんの勇姿を見守った。
……案の定、トロアちゃんは大きく咳き込み、その直後に大粒の汗が額を伝った。一口食べてこんなことになるなんて、全部食べきったら脱水症状でも起こすんじゃないだろうか。
「うわあ、涙目になってない?」
それでもトロアちゃんは気丈に振る舞って焼きそばの感想を視聴者に伝える。自分のことより動画の撮れ高。面白いことが最優先。僕は画面越しに、トロアちゃんのプロ根性を目の当たりにした。がんばれ……がんばれ!
すると画面は暗くなり、『一時間後……』のテロップが。
「一時間!?」
デニ子は身を乗り出して僕にしがみついた。もうほんと、どけとは言いませんからもう少し離れて頂けると僕の精神衛生上助かるんですけど……。
トロアちゃんは一時間もの間、激辛カップ焼きそばと死闘を繰り広げていた。体からは湯気でも出そうな勢いで、肩を大きく上下させながら、器をカメラに近づける。
その器はほとんど空っぽ。あと一口を残すのみとなっていた。
「本当に食べきっちゃうよこの子……いやでも編集すればどうにでもなるし」
「トロアちゃんはそんなこと……しません」
「なんでさ」
「それは……」
僕だけが知っている彼女のストイックさ。動画撮影に対しての姿勢。トロアちゃんがインチキをするなんて、僕には微塵も考えられない。
そうこうしている間に、トロアちゃんは最後の一口を口に運び、飲み込んだ。そして達成感に満ち溢れた満面の笑みで、ダブルピースをキメてみせた。
動画はそのまま締めのコメントをして、終了となった。
「…………すごいもの見ちゃった気がする」
「……僕も、今回の動画は今までで一番良かったと思います」
お互い、言葉が見つからなかった。
「トロアかぁ。あたしワオチューバーってあんまり好きじゃないんだけど、ちょっと見直したかも」
「……ッ!」
ゾクゾク、と体に震えが走った。
デニ子の言葉に嫌悪感を抱いたわけではない。むしろ逆。自分が応援しているものに対して、それを知らない人が評価をしてくれたことに、どうしようもない興奮を覚えた。
こんな些細なことで、本人でもない僕が飛び上がりそうなほど嬉しいんだ。この前、僕がトロアちゃんに直接ファンであることを伝えた時、彼女は一体どんな気持ちだったんだろう。僕みたいなヤツでも嬉しいと思うのだろうか。
「ねぇ、他にもおススメの動画ある?」
あまりに衝撃を受けたのだろうか。興奮冷めやらぬ様子で、デニ子は頬を上気させながら僕に詰め寄る。
「ああ、でしたら――」
デニ子がくっついてきていることも、今の僕には気にならなかった。学校では喋るのにもまずどのような言葉を発するのかを熟考してから口を開くのに、気持ち悪いくらいに次から次へと口が動く。
「ふうん、なるほど。ちょっと今見してよ」
「はい、ちょっと待ってくださいね」
ここでも普段だったら「ええ……家に帰ってゆっくり見てくださいよ……」とか言っているはずなのに、揚々とスマフォをタップしている自分がいる。
楽しい。純粋にそう思える瞬間だった。
……が。
直後、僕は浮かれ切っていた自分の行動を、酷く悔やむこととなる。
それは僕がデニ子に是非とも見てほしい動画の再生ボタンを押した時。
『やほほー! 元気してるぅー? トロアだよー! 今日は――』
頭上から、何かしらの影が二人を覆った。
異変に気付き、僕たちは反射的に見上げる格好となる。
そこには、一人の女の子が立っていた。
「……ねえ、知り合い?」
デニ子はきょとんとしながら僕に尋ねる。
「あ……あ……」
息ができない。なぜかわからないけど、絶対に見られてはいけない場面を、絶対に見られてはいけない人に見られてしまった。そう思ってしまった。
「ねえったら」
頼むデニ子。今だけは僕に声を掛けないでくれ。
『――トロアちゃんねる~……スタートっ!』
スマフォから聞こえる耳慣れたキュートな声が、初めて怖いと感じてしまった。
「……」
その声の主は、僕らの目の前に忽然と姿を現した。
「こ、ここ……こんばん……は……」
トロアちゃんが、立っていたのである。
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