第5話 限界オタク

「やほほー! 元気してるぅー? トロアだよー!」


 うおおおおおおおおおおおおおお!!


「……ああもう! なんでちゃんとカメラ構えないのよこのくそばかはっ!」


「へっ?」


「撮り直しよ! と・り・な・お・し!」


 かなり深刻な事態が発生していた。


 目の前のトロアちゃんが顔を真っ赤にしながら、親の仇とばかりに僕を睨み付けている。


「なぁにが『対策は考えてあります』よ! それ以前の問題じゃない!」


「ご……ごめんなさい」


 簡単に言うと、体が言うことを聞かない。


 トロアちゃんが『オフ』から『オン』に切り替わり、ワオチューバーとしての彼女になった瞬間、僕の脳みそが彼女を応援すること以外の行動をストップさせてしまうのだ。結果、直前まで構えていたはずのビデオカメラは完全に明後日の方向を映してしまい、とてもじゃないけど撮影どころではなくなっていた。


 実に、これで三回目のリテイクとなり、さすがのトロアちゃんも堪忍袋の緒がねじ切れかかっている。


「……次やったらいよいよアシスタント外すから!」


「そっ、そんな」


 自分でも何が起こっているのかワケがわからないのに、このままアシスタントを外されてしまったら死んでも死にきれないぞ。どうする……どうするんだ僕!


 そうして血の気の引いた表情で何かいい方法はないか、と頭を捻らせていたところで、


「……もう」


 トロアちゃんは深いため息をついたかと思うと、僕にこう言った。


「……わ、私が一番恥ずかしいんだからね。そんな見るからに嬉しそうな顔されても困るんだから」


 ――ああ。死んでも死にきれないとか言ったけど、これ死んでもいいやつかもしれない。


 僕はワオチューバートロアというインターネットアイドルの、単なる一人のファンだという認識しかなかった。アシスタントとして全力で彼女のサポートをするという気持ちの反面、心のどこかではお祭りに参加しているような、どこか浮付いた感情があったんだ。それが今の、動画のオープニングすら満足に撮れていないという事態に表れてしまっている。


 ただでさえ初めての屋外撮影で不安に思っているであろう彼女を、更に不安にさせてどうする。


「……わかりました。次は失敗しません」


 自分なりにしっかりと、そう言ってやった。


「ほんとにぃ? 頼むわよ」


 トロアちゃんはそう言うと、定位置に戻って身だしなみを整えた。そしてオッケーサインを出した。


 ビデオカメラを握る力が強くなる。一つ小さく息を吐くと、僕は指でカウントダウンを始める。


 三、二、一――。


「……やほほー! 元気してるぅー? トロアだよー!」


 んんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!


 クソ可愛い! クソ可愛すぎる!


 僕はビデオカメラを持っている手が動かないように、もう一方の手で鷲掴みにする。耐えろ、耐えろ!


「今日はトロアちゃんねる初の、屋外での撮影でーっす! ん~? ただ単にお外で何かレビューすると思ってるんじゃないの~? ぶっぶー! 今回はいつもと違うことをしようと思ってるの!」


 表情豊かに振る舞う姿。ぴょこぴょこと跳ねるちょこんと結ばれた前髪。なんなんだこの生き物は。本当に僕と同じニンゲンなのだろうか。


「それは~……」


 ここでトロアちゃんはカメラに近寄って、こう囁くのだ。


「……実はね、ここ最近知った情報なんだけど、とある街で何日か連続して万引きが発生してるらしいの」


 ウィスパーボーーーーーーーイス!! 耳が! 脳みそがダメになる!


「今日は様子を見に、その万引きの現場となったお店に来たんだ。あくまで噂でしかないから、場所とかは教えられないの。ごめんね」


 困り顔もまた愛おしい。なんならもっと困らせたい。


 ……そうじゃなくて。よしよし、僕のアドバイスをちゃんと取り入れてトークをしてくれている。


 ここで僕が提示した『対策』とは。


 まず、事件が起きた場所を絶対に言わないこと。店の名前はもちろん、市区町村も伏せる。更に動画編集で店の外観、周辺の様子、店内も全てモザイクを掛ける予定だ。


 あとは、トロアちゃんがこの間声高らかに宣言していた『万引き犯の現行犯逮捕』。この動画の趣旨を少しだけ別のものにしようと提案した。万引き犯を捕まえる為に来店したのではなく、あくまで様子見。これだけで大分『出しゃばっている感』がなくなり、嫌悪を抱く人は減るんじゃないかと思う。波風は立て方を間違えると嵐を起こすんだ。


「もし万引きの現場に遭っちゃったらどうしよう~!」


 ……まあこれくらいは言ってもいいかな。強かな女の子だよ。


「今の時間はー……夜の七時四十分くらい。じゃあ早速行ってみるね」


 そう言うとトロアちゃんはまた定位置に戻り、


「トロアちゃんねる~……スタートっ!」


 でたあああああああああああああああ!!


 いつも動画で見ているこの決め台詞に、僕の体はいよいよ限界を迎えてしまった。


「……ふう。こんなところかしら……って、枢!? あんた最後のちゃんと撮ったでしょうね!? ねえったら!」


「あ、あはは……」


「気持ち悪っ……!」


 最後の一撃をお見舞いされ、放心状態になっている僕の傍らで、ドン引きするトロアちゃんだった。プロって、すごいんだなぁ。




 ……あ、動画はちゃんと撮れてました。

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