第4話 初仕事

 大月美小夜。光城東高校二年生。


 ゴールデンウィークの初日から、ハギノ周辺で目撃が多数報告されているらしい女子生徒。周辺ということは、ハギノにいた日もあれば、いなかった日もあるということだ。女子生徒曰く、特にハギノ近くのコンビニに出没していたとかいないとか。


 僕が隣の会話を盗み聞きして得た情報はこのくらいだった。噂とは怖いものだ。別にこれくらいの行動は誰だって取る可能性はある。スーパーマーケットやコンビニに入って立ち読みなり、買い物をするなんてことは僕だって普通にすることだ。きっとこの手の目撃情報は他にも多数寄せられているに違いない。下手したら僕だって……いや、ないない。


「何ぶつぶつ言ってんのよ」


 傍らで冷たく言う女の子が一人。


「あ、いや……何でもないです」


 僕はハッとして我に返った。


 時刻は夜の七時を丁度回ったところ。場所は僕の家から徒歩五分くらいの位置にある、住宅街の一角にひっそりと佇む公園。


「たまに独り言言うの、やめた方がいいわよ。陰気っぽいから」


「気を付けます……」


 相変わらずズバズバと僕の心を切り裂く一言を浴びせてくるこの子はもちろん、根ツイ先輩ことトロアちゃんだ。学校が終わったところで彼女から連絡があり、夜の七時にここに集合するよう言われた。そう、新しい動画を撮影するためだ。今はその作戦会議を行っている最中。


 そして、彼女の前髪はヘアゴムで結ばれて、眼鏡もしていない。正真正銘、僕が夢にまで見た生トロアちゃんが、目の前で喋っているのだ。


「何よ」


「……あ、あの」


「だから何よって」


「サ……サインを頂けないでしょうか?」


「なっ……このくそばかっ!」


 一蹴されてしまった。


「アシスタントが何言ってるのよ……ビデオカメラ、壊さないでよね!」


 トロアちゃんはぶっきらぼうに、僕の持っているものを指差して言った。


 僕は右手にビデオカメラを持っていた。今回任された役目はカメラマン。トロアちゃんの背後、そして時たま回り込んで前からも映すように、と要求された。右手にずしりと感じるこの重さは、質量とは別に金額的なものも孕んでいるような気がする。高かったんだろうなあ。


「とりあえずオープニングはハギノの前あたりで撮ろうと思ってるから、行きましょうか」


 今宵の作戦、もとい新企画はこうしてスタートした。


 夜の閑静な住宅街を、足早に進む。


「ところで……」


 僕はトロアちゃんに訊いた。


「これまで万引きされたものって、何なんですか?」


「うーん、私も噂でしか聞いてないんだけど」


 そんな前置きをしてから、


「基本的にここ最近発売された新商品が多いって印象ね。スナック菓子、ジュース、激辛カップ焼きそばに文房具。あとは日焼け止めクリームだったかしら……昨日のはまだわかんない」


「……すごい調べてますね。ウチの学校でもそんなこと聞きませんでした」


「私の捜査力を舐めてもらっちゃ困るわ!」


 トロアちゃんはこの時だけ僕に振り返って胸を張った。


「はは……ただ、このラインナップ的に、大人ではなさそうですよね」


「どうして?」


「大人の経済力だったら余裕で買えるものばかりだからっていうのと、ちょっと子供っぽいものが多いからです。この中に刺身とか肉みたいな生鮮食品なんかが入ってたりしたら主婦の線が出てくるんですけど、それもない」


「大人だったらお菓子なんかの数百円のものを盗むリスクを考えずに、レジに持っていくと……確かに一理あるわね」


「となると子供……日焼け止めクリームを盗んでる辺り、女子学生ってイメージが僕は強いです」


「なるほど……相変わらず気持ち悪いくらいの観察力じゃない」


「いえ、思ったことを言っただけなんで……」


「そう」


「……どうかしましたか?」


「なんでもない」


 光城市は都市部から離れた、言わば郊外である。まだ夜の七時を回ったところなのに、人通りは少なかった。自転車に乗った仕事帰りのサラリーマンや、部活帰りの学生など、ぽつぽつと住宅街を抜けていく光景を目にする。


 僕は歩きながら、トロアちゃんにもう一つ訊きたいことがあったので尋ねてみることにした。いつもなら自分から話をすることなんてないけれど、不思議と口数が多い自分の気味が悪い。


「あ、それと……」


「ん?」


「さっき、オープニングはハギノの前で撮るって言ってましたけど……」


「それがどうかしたの?」


「……いえ」


「めんどくさいわねっ! はっきり言いなさいっ!」


「は、はいぃ! ……ええと、正直、どこで撮影をしたのかがわかってしまうのは良くないかなぁ……なんて」


「なんで? 別にいいじゃない」


 きょとんとして、トロアちゃんは小首を傾げていた。


 やっぱりだ。トロアちゃんは意外とリスク管理に関して疎いのかもしれない。僕はなるべく、なるべく彼女の気持ちを逆なでしないように、


「ハギノに撮影の許可は貰ってますか?」


「貰ってない」


 トロアちゃんはきっぱりと言った。


「そうですか……貰っていれば大手を振って撮影はできると思います。でも無許可で突然、ビデオカメラを持った僕とトロアちゃんがお店に入ったら、かなり目立つような気がします。お店の営業とは無関係なことをしていたら迷惑行為と取られるかもしれません」


「う……じゃあ迷惑掛けないようにする!」


「仮に大きなトラブルもなく撮影を終えたとします。でも動画を撮影したということは、僕たちはワオチューブに編集したものをアップロードするってことですよね」


「当たり前じゃない」


「それが後々厄介なことになる……気がします」


 僕はトロアちゃんにいつ罵倒されるかビクビクとしながらも続ける。


「たまたまハギノの関係者や、当時買い物に来ていたお客さん、はたまた万が一、トロアちゃんを良く思わない人が今回の動画を見たとしたら……きっとコメント欄が『許可撮って撮影したの?』とか『プライバシーの侵害』だとか書かれて荒れ始めて、トロアちゃんが弁明をしなければならなくなるかもしれません」


 とりあえず、言わなければいけないことは言い切った。


 今回の撮影で予想される危険要素を提示。これをトロアちゃん本人がどう思うかはわからないけど、自分が取った行動がどのような未来を生む可能性があるのかを理解してほしかった。


 僕は薄目でトロアちゃんの様子を窺う。僕みたいな陰気な人間に説教じみたことを言われて、きっと怒ってるんだろうなあ……。


「――――」


「え?」


 これが意外と、そうでもなかった。むしろ、


「や……やだやだっ! せっかくみんながやってない企画を始めようとしてるのに、最初からそんなことになっちゃったら……ねえどうしよう枢! これ止めた方がいいのかなあ!?」


「ちょっ……!」


 トロアちゃんは涙目になりながら、僕の裾を掴んできたのだ。 ぐい、と引っ張られた勢いで、トロアちゃんとの間隔がぐんと近くなってしまった。


 あああダメダメっ! そんな可愛いムーヴをされたら……ようし、なんでも許しちゃうぞ! ってなっちゃうでしょ! 


 ……落ち着くんだ。ここは心を鬼にしなければいけないところだ。トロアちゃんの飛躍となる第一歩を後押しすると僕は決めたんだ。不安要素はできるだけ排除しなければ。


 今、僕に必死にアドバイスを乞う彼女の脳裏をよぎった言葉を、僕が代弁するとすれば。


 ――炎上。これで間違いないだろう。


 トロアちゃんのようなワオチューバーのみならず、有名な絵師さんやミュージシャン、政治家など……現代のSNSを駆使する人間なら全てにその可能性がある恐怖の言葉。世の中にはそれをあえて利用して自分の利益とする人もいるが、今のトロアちゃんの反応を見る限り、そこまで計算高く、器用な子ではないんだと思う。それ以上に、僕は彼女がとても純粋で、とても真面目な女の子だということを知っている。そんな真似をしなくても上を目指せる素質があるんだ。


「だっ……大丈夫ですよ! 一応対策は考えてあります!」


「たいさくぅ……?」


「そうです! できる限りのことはしますから、トロアちゃんはいつも通りのトロアちゃんで撮影に臨んでください!」


「ほんとう?」


「はい!」


「…………わかった」


 僕のヘチマのような激励に何か言いたげな様子だったが、トロアちゃんは素直に頷いてくれたのだった。


「さ、気を取り直して行きましょう」


「……行く」



 くそう。この子、本当に可愛いな……。

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