第二章

第1話 出欠確認(再)

 五月九日、火曜日。


 ここのところは陽気の良い日が続いていて、最後に雨が降った日を覚えていないくらい、毎日が快晴だった。きっとゴールデンウィークはどこもかしこも行楽客で一杯だったに違いない。


 この言葉からわかるように、僕はこの連休中、一歩も家から出なかった。厳密に言えば、家と近所のコンビニを行ったり来たりしていたくらいである。


 毎日お昼前まで寝てはパソコンでネットサーフィン。やがて小腹が空いてきたらふらふらっと夜のコンビニへ。こんな日が永遠に続けばいいのに。そんなことを考えていた。だが時間というものは残酷で、否応なしに現実を僕に突きつけてくる。あと三日、あと二日……そして気が付いたら僕の幸せな日々は終わっていた。


 連休明けの数日間は生活リズムを戻すのに必死だ。僕は大きなあくびを漏らしながら新緑の通学路を歩いていた。




 前方五十メートルの位置を歩くモモちゃん、小林電器の脇から出てくるデニ子。既に二人の出欠確認は済んでおり、今日も二人は絶世の美少女だった。


 ――あんた、私のアシスタントをする気はない?


 ――そ。じゃあよろしくね、枢。


 ――はい。連絡先、交換しといたから。


 そしてそれ以上に、僕の脳内の大半を占めているもの。


 次に歩いてくるのは、根ツイ先輩こと、トロアちゃんだ。あれから一日が経った今でも、昨日の一件を思い出すと顔が綻んでしまう。


 トロアちゃんは予告通り、昨日の夜に新作動画をアップした。


 内容は先週新発売のスナック菓子のレビューだった。彼女は食べ方が上手い。レビューはごく一般的な感想を述べるのみなのだが、なんだか買ってみたくなるような、とにかく幸せそうな食べ方をするのだ。守りたい、その笑顔。といった具合に。


 次の動画も楽しみだなあ……と言いたいところだけど、僕は次の動画の内容を知っている。


 万引き犯の現行犯逮捕。信じられないことに、僕はそのアシスタントを任せられている。


「夢じゃないんだよなぁ」


 浮かれ切りながらも、僕の思考は冷静だった。これはトロアちゃんが更なる躍進をするための新しい一歩である。僕のアシスタントの出来次第で、もしかしたら視聴回数やチャンネル登録者数が変わってくるかもしれないんだ。彼女の顔に泥を塗らないためにも、足を引っ張らないようにしなければ。


 僕は気合を入れなおす。そんなところで、予定通り前方から歩いてくるトロアちゃんの姿が目に入った。


「あ……」


 もう知り合いなんだから、挨拶をするべきだよね。


「お……おは……」


 昨日あんなにお話ししたはずなのに、朝の挨拶さえまともに言葉が出てこない。情けなさすぎるでしょ。


 もごもごとしている間に、トロアちゃんも僕に気付いた様子だった。


 そうだ、勇気を出せ! 朝の挨拶くらい朝飯前だろう! 朝なんだし!


「おはよ――」


 僕は渾身の笑顔でトロアちゃんを迎える。が。


「……」


 圧倒的無視。シカトだった。


 言い終える前に、トロアちゃんは足早に去って行ってしまったのだ。予想に反する展開に、挙げた右手を戻すことができない。


「……はっ」


 小さくなっていくトロアちゃんを見ながら、僕は気づいてしまった。きっとこれは、彼女の演技なのだということに。


 彼女はインターネット界隈では有名人だ。そんな人間が、見知らぬ男と朗らかに会話をしていたらどうなる。そう、一大スキャンダルだ。容姿は変えているものの、僕みたいな一部の熱狂的ファンが特定に乗り出すかもしれない。なるべく関わりは持たない。彼女の今の行動からは、そんな意図が読み取れた。


 ……ただ単に気持ち悪がられているだけ、という説は考えないことにする。


 ――とは言うものの。


 僕は一瞬だけ見えたトロアちゃんの表情が、少しだけ気がかりだった。いつも見せるムスッとした顔ではなく、どこか狼狽えているような、そんな焦りの色を帯びていたから。


 少々の不安に駆られながらも僕は踵を返して登校を再開する。その時だった。


 道路を挟んで向かい側から横断歩道を歩いてくる女子生徒がいたのだ。


 それは僕にとっては感動の再会。


 ――『ハッパさん』。昨日トロアちゃんに罵倒されていたせいで会うことが叶わなかった女の子の一人だったのだ。よかった、生きていた。


 学校の規則を隅から隅まで読んだかのような、完ぺきな制服の着こなし。あれだけ綺麗に着られたら制服も本望だと思う。髪型だってそうだ、肩口辺りで切り揃えられた黒髪、さらりと流した前髪の下にはキリッとしたぱっちり二重。


 こう見てみると、ハッパさんの見てくれは一見どこにでもいるような普通の女子高生。むしろ地味だと言っても良い。


 だが。だがしかし。僕は声を大にして叫びたい。彼女は地味などではない。ド派手だ。


 この世にはダイナマイトボディという言葉が存在する。グラマラスの最上級表現。ハッパさんはそれに該当していた。


 制服がはじけんばかりの大きな胸。その割にシュッと引き締まった腰回り。モモちゃん程ではないものの、それでも申し分ないレベルのお尻。男たちからすれば、そのスタイルこそが校則違反だろうとツッコミを入れたくなる。


 ハッパとはつまり発破。ダイナマイトの爆発に匹敵する衝撃的なカラダの持ち主。それがハッパさんなのだった。


 毎朝彼女はこの横断歩道を渡り、僕の数メートル先を歩く。モモちゃんとハッパさん、この二人のナイスボディを見ながら学校に行ける僕は、日本で一番の幸せ者だと思う。


 ――ああ、わかってる。そうなるとあとは最後の一人、『サコちゃん』だろう。僕が学校に向かう間で最後に出会う女の子、それがサコちゃんだ。


 僕は既に校門の近くまで来てしまっていた。モモちゃんとハッパさんは校舎の中に入ってしまい、その姿はもう見えない。


 じゃあ、もうサコちゃんには会えないのではないか……大丈夫、憐れむことなかれ。なぜなら彼女は――。


 校門手前で僕は後ろを振り返る。あくまで自然に。怪しまれることのないように。


 ――よし、いた!


 僕の背後を、褐色肌の女の子が棒付きキャンディを咥えながら、気だるそうに歩いていた。


 そう、彼女がサコちゃんなのだった。


 先ほどのハッパさんとは似ても似つかぬ外見。まさに対照的な彼女。


 女の子にしては珍しい、無造作にカットされた金髪ショートヘア。右耳に付けたピアス、両手首にはじゃらじゃらといくつものアクセサリー。ここまで来たら制服の着こなしも粗方想像はついているだろう。ブレザーの下に着ているワイシャツは前が大きく開いており、そこから見えるハート型のネックレスと胸元が、朝から僕の血圧を最高にハイにさせる。


 言わずもがな。サコちゃんは百人が百人、ギャルと答えるような、清々しいまでのギャル娘なのである。そしてニックネームである『サコ』とは、今まさに僕が凝視してしまった、彼女の胸元付近にあった。


 サコちゃんは体の線が細く、薄い。風が吹いたら飛んで行ってしまいそうな華奢な女の子だ。当然モモちゃんやハッパさんのように恵まれた体型をしていない。だが、そんなことを悲しむ必要はない。女の子に貴賎なしだ。


 はだけたワイシャツから望む、とてもささやかな胸元。谷間さえ見えないが僕には関係ない。サコちゃんの真骨頂は、その上に位置する『鎖骨』なのだから。


 体に余分な肉が付いていないからこそ、彼女の鎖骨はよく映えた。陰影をはっきりと捉え、余計にその褐色の肌とよく馴染む。ギャルという、僕には間違いなく近寄れない人種なのに、思い切り抱きしめたい衝動に駆られてしまうような、か弱い女の子。鎖骨美人のサコちゃん。


 僕は彼女の鎖骨を堪能すると、すぐさま前方に向き直す。もしカツアゲとかされたら断れる気がしない。


 そうして僕は形容し難い達成感と共に、下駄箱に向かった。あー、今日も一日頑張ろう。


 とにもかくにも、僕の出欠確認、もとい登校は無事終了したのだった。


 モモちゃん。デニ子。根ツイ先輩。ハッパさん。サコちゃん。


 はい、これが僕の登校中に見かける五人の高嶺の花である。どうだ、僕なんかが気安く手を出していい女の子じゃないだろう。


 時刻は七時五十五分。五月に入ったばかりの校舎内は、まだまだ心地の良い涼しさだった。

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