第6話 イートインコーナーでのお茶会
ハギノの店内に設置されているイートインコーナーの二人掛けの席に、僕らは腰を下ろした。
あれから数分が経ち、根ツイ先輩は徐々に落ち着きを取り戻してきた。今はムスッとしながらテーブルに頬杖をついている。それを見かねて僕は自動販売機から缶コーヒーを二つ買ってくると、根ツイ先輩の前に置いた。
「あの……コーヒーで良かったですか?」
「……」
根ツイ先輩は置かれた缶コーヒーを見つめると、特に何も言うことなく手に取り、一口飲んだ。
「……んぺぇ、苦い……」
ダメだったらしい。
「普通は何が良いか訊くでしょう!?」
ここでも僕のコミュニケーション能力のなさが炸裂してしまったようだ。
「ご、ごめんなさい! すぐ別の買ってくるんで!」
「いい」
「え?」
「こうでもしないとコーヒーなんて飲まないから。これも商品レビューの練習と考えれば、ちょろいものよ」
「はあ……」
「見てなさい。んぐ、んぐ……んぺぇ……やっぱ苦い……」
ぞわぞわっと体を震わせる根ツイ先輩に苦笑しながら、僕もイスに座った。
……いや、もうその名前で呼ぶのはやめよう。
「こんなのの何がおいしいっていうのかしら……まあいいわ。ようやく調子も戻ってきたことだし、話を聞こうじゃないの」
あの時僕の胸ぐらを掴んだ時点でそれは、自白も同然だった。
ワオチューバー、トロア。
今年の四月から動画のアップロードを始めたにも関わらず、チャンネル登録者数は既に二万人に差し掛かる勢い。期待の新星。次世代を担う旗手。
僕の前で座っているこの子が、まさにその人だったのだ。
「この際だから全部訊くわ。まず、どうしてわかったの?」
ついさっきまで泣きべそをかいていたお顔はどこ吹く風。トロアちゃんは真っ直ぐに僕を見た。そんな眼差しに僕は条件反射的に目を逸らしてしまいながらもこう答えた。
「ええと……そのヘアゴムが……」
「ヘアゴム?」
「トロアちゃん、動画でも前髪にそれ結んでたから……」
「……あー」
言われてトロアちゃんはヘアゴムを触り、そしてうなだれた。
トロアちゃんは動画では、このヘアゴムで前髪を上げ、ちょんまげのようなスタイルで撮影をしていた。それで見える広めのおでこがたまらなく愛おしいのだ。だが目の前にいるトロアちゃんはちょんまげではなくおさげ。更に眼鏡も掛けているのだから普通はわからない。実際その姿を拝んでいないため、まだ本人だという実感もイマイチ湧いていない。
「……あんた、気持ち悪いわね」
そりゃそうなりますよねー!
呆れかえった表情で、トロアちゃんは僕を見ていた。
「でも、ヘアゴムを替えない私もうかつだったわ。世の中にはこんなヘンタイもいるのね」
「……ごめんなさい」
返す言葉もございません。
「他は? ヘアゴムが同じだったからといってそう簡単に決め付けられるものじゃないでしょ。こんなの、どこにでも売ってる安物だし」
「声、です。動画のトロアちゃんの声は元気なキャラクターなだけあって溌剌としたキーの高い声なんです。でも今のトロアちゃんは、そんなに高くなくて」
「じゃあわからないじゃない」
「その……今朝僕に声を掛けた時の声が、まさに動画のトロアちゃんとそっくりで……」
「……はー。確かに、随分と声を張ってたわね、私」
「はい……」
「掘ったボケツは、想像以上に深かったってことかぁ……」
僕からすればそれは、墓穴などではなく油田でも掘り当てたくらいの奇跡だった。
店内の陽気なBGMとレジ打ちの電子音がどこか遠くから聞こえてくるような、そんな非現実感。そして、加速度を付けて増していく高揚感。
「何よ。じろじろ見ないでちょうだい!」
無意識のうちに僕は、トロアちゃんをまじまじと見てしまっていた。
「ごっ……ごめんないさい!」
「……慣れてないのよ、そういうの。普段は画面の向こう側の反応しか知らないし」
トロアちゃんはもじもじとしながら、気恥ずかしそうに頬を赤くした。あー、ダメ。緩む。理性のネジがまた緩む。
「じゃあアレよね。私の口から言うのも変な話だけど、あんたは私のファンってことでいいのよね?」
「これまでアップされた動画は……毎日全て見るようにしてます」
「ま、毎日全部?」
「動画でレビューしてた商品は一通り買いました」
「女性用コスメも入ってたと思うんだけど……」
「……はい、それも」
「えー……」
トロアちゃんは僕の言葉に嬉しいようなゴミを見るような、なんとも表現しにくい顔をすると、
「――そりゃ気づくわけだよ、もう」
がっくりと観念したのだった。
「そしたら、最後に一つ訊いていいかしら」
結果的に僕たちは、十五分ほどささやかな会話を楽しんだ。僕は聞き上手でもなければ話し上手でもない。こんな人間を相手にして、トロアちゃんは楽しくなかったかもしれない。それでも僕にとってこの時間は、終始天にも昇る気持ちだった。
一日を通して散々罵られてきたわけだけど、こうしてゆっくりと話をしてみると、徐々に彼女の性格が垣間見えてきた。とにかく真面目なのである。
動画内ではとにかく明るい元気っ子というキャラクターで売り出している彼女。だがしかしその実態は、ストイックを絵に描いたような女の子だった。
あの動画はどうだった? これは? じゃあその次の……といった具合に、彼女は動画の感想を僕に求め、そして取り出したメモ帳に書き留めていく。お世辞を求めているわけではないことは明らかだった。だから僕は動画の良い所と悪い所を包み隠さず話した。初めて彼女が僕に対してそこそこ感心しているように見えた。ような気がする。
窓の外に目をやると、空は綺麗な朱色が広がる夕暮れ時。そろそろお開きにするべきだろうな。
すると彼女もそう思ったのか、言葉の頭に「最後に」をつけてこんなことを言ってきた。
「――本当に、誰にも言ってないのよね?」
今朝怒鳴り散らしてきたことを、もう一度訊いてきたのだ。
「はい……というか、僕には何の話なのかさっぱり」
「……ならいいのよ」
「ちなみに、いつの話なんでしょうか」
「もういいのっ!」
トロアちゃんは乱暴に立ち上がると、むんずとカバンを持って、
「帰るわよ、くそばか!」
「はいぃっ!」
結局罵倒されながら、ハギノを後にする僕だった。
姿勢よく歩いていってしまったトロアちゃんを追うようにして、僕も歩く。
「ねえあんた」
通りに出たところで、トロアちゃんが口を開いた。
「そう言えば名前を聞いてなかったわね」
「あ……鹿留です。鹿留枢」
「そう。じゃあ枢、今日は動画のこととか、色々参考になったわ」
まさかの下の名前に、僕の心臓が跳ね上がる。
「いえ……そんな」
「あんた、私のアシスタントをする気はない?」
そして一瞬であんた呼ばわりに戻った。アメとムチって感じだ――って、
「――え?」
僕は何を言われているかわからず、聞き返してしまった。
「だから、私の動画撮影のアシスタントをしないかって言ってるの。さっきのあんたの感想、悔しいけど死ぬほどわかりやすかった。あれだけ私の動画の長所と短所を理解してるのなら、任せてもいいんじゃないかって思ったのよ」
「ええええええええ!?」
たぶん、思春期を迎えてから一番の絶叫だったと思う。
「うるっさいわね! どうなのよ!」
「そ、そりゃあ願ってもないことですけど、僕なんかでいいんですか?」
「もともとバレないように生活をするつもりだったんだから、誰にも頼むつもりはなかったわよ。でもこうしてあんたみたいなヘンタイに正体を掴まれちゃったら、側に置いておかなきゃ気が気じゃないわ」
ペットでも飼うような言い草だった。
「そう言うことなら、是非……」
緩み切った頬を、気合で元の位置に戻す。
インターネットの中だけの存在だと思っていた憧れのワオチューバーが、あろうことか自分と同じ地域に住んでいることを知って、しかもお知り合いになったかと思ったら今度はアシスタントに抜てきされて……こんな夢物語があるだろうか。
「そ。じゃあよろしくね、枢」
トロアちゃんはそう言うと、ごく自然に右手を僕に差し出した。彼女が握手を求めていることに気付き、僕もワンテンポ遅れて手を出した。
「あの……はい、頑張ります」
握った彼女の手は、驚くほどに小さかった。ちょっとでも力を入れたら壊れてしまうのではないかと心配になってしまうような、そんな繊細な手。
「……ちょっと。手、湿り過ぎなんだけど」
「うわっ! すいません……!」
何から何まで最悪だ。
僕は瞬時にトロアちゃんから手を離すと、ズボンで大袈裟に手汗を拭った。彼女もポケットからハンカチを取り出して、とっても嫌そうに右手を拭いていた。申し訳がなさすぎる。
「ホントに調子狂うわね……まあいいわ、それじゃ早速、明日からよろしく頼むわ」
「明日ですか?」
「うん。今まで色んな先輩たちの二番煎じに甘んじてきた私だけど、いよいよ明日からは私の、私にしか撮れない企画を始めようと思っているのよ」
トロアちゃんは不敵な笑みを浮かべていた。
新企画だって!? 全く想像がつかないけど、僕はその現場に立ち会えるわけだ。大丈夫かな。今日寝られるかな。
「その企画というのは……?」
「ふふふ。聞いて驚きなさい!」
両手を天高く上げるトロアちゃんに、僕は喉を鳴らしてその言葉を待つ。
「――万引き犯の、現行犯逮捕よ!」
…………。
夕焼け空の向こうで、カラスの鳴き声が虚しく響いた。
あー、そう来ましたか。
「……万引きって、そこの?」
僕はたった今二人で出てきたスーパーマーケットを指差して訊いた。
「ええ、風の噂で流れて来てね。聞くところによればゴールデンウィークの五日間、ここで毎日万引きが起きてたって言うじゃないの。そんなの、ネタにしないわけがないじゃない! 世間の関心事にスポットを当てれば、新規登録者だって少なからず来てくれるに違いないわ! そうだと思わない!?」
「……確かに」
少々の思案の後、僕は肯定の言葉を返した。
小林や僕なんかが犯人は誰なんだと考えても、それによって還元されるメリットは何もない。あるのは推理をしている時のワクワク感と、答えが出た時のスッキリとした気持ちくらいだ。だが、それをワオチューバーがやるとどうなる。先に述べたもの以外にも、確実に目に見えたメリットが発生する。試聴回数と、チャンネル登録者数だ。
トロアちゃんのチャンネル登録者数は二万くらい。現在でも順調に右肩上がりを続けているが、ここで満を持して自分の『色』を見せた動画をアップすれば、更に角度を付けて上がっていくに違いない。
ただ、メリットがあるということはもちろんその逆、デメリットも存在するわけで。明日の撮影場所は十中八九、屋外だろう。家の中とは違い、多くのイレギュラーが発生する可能性も大いに考えられる。トロアちゃんはその辺の理解はしているのだろうか。
……いや、リスクなしに良い動画は撮れない! 明日はアシスタントとして、しっかりとリスクマネジメントをしようじゃないか。トロアちゃんのステップアップのために、全力で協力しよう。
「決まりね。スケジュールはまた連絡するから……って、あんたの連絡先知らないじゃないの。ケータイ出しなさい」
言われるがままに僕はスマフォを取り出す。するとそのまま彼女に奪われてしまった。
「……はい。連絡先、交換しといたから」
そしてすぐさま投げ返されてしまった。画面に表示される『トロア』の文字に、スマフォを握る手が震える。
「じゃあまたね」
「あの……!」
「なによ」
「今日の動画、その……楽しみにしてます」
「……面と向かって言わなくていいっ!」
そうして僕たちは解散した。
僕とは反対に向かって歩くトロアちゃんを、後ろ髪を引かれる思いで見届けた。その姿はただの清楚な女子学生、根ツイ先輩。
既に大半の車がライトを点灯して走っている中、僕は自宅を目指して歩く。こんな時間になるまで家に帰らなかったのは、いつぶりのことだろうか。
さあ帰ろう。帰ってトロアちゃんが動画をアップするまで、正座して待とうじゃないか。
僕の足取りは、驚くほど軽い。
こうして波乱の連休明けは、幕を閉じた。
――その後、六日連続の万引きは、さも当然のように起きたのだった。
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