第5話 交差点にて

「あ……いや……どうも……」


「今度は何の用よっ!」


 根ツイ先輩の機嫌は、朝と同様に最悪だった。かわいいおさげは感情が宿っているかのようにプリプリと揺れ、怒っているようにさえ見える。


 会いたかったけど、会いたくて会ったわけではない。


「用というか、ただ帰ってるだけというか……」


 根ツイ先輩の顔色を窺いながら、僕は答えた。


「じゃあもういいわよね! 忙しいから、それじゃ!」


 帰宅途中に根ツイ先輩に会うのは初めてのことだった。いや、もしかしたら会っていたのかもしれないが、全神経を注ぐ登校時に対して、下校時は何も考えずに歩いているので気づいていなかっただけなのかもしれない。


 根ツイ先輩はフン、とそっぽを向いて僕の脇をすり抜けた。一日に二度もこんな顔をされてしまえば、さすがの僕でも堪える。明日からの登校を一体どんな気持ちで歩けばいいのだろうか……。


 僕は横切る根ツイ先輩を目で追うことしかできなかった。ああ、すごい怒ってる……でもそんな怒り顔もかわいい……じゃなくって、何か弁明を試みてみようか。いや、これは彼女が一方的にまくし立てているだけであって僕は悪くない……悪くないよね?


「あ……う……」


 そんなモヤモヤとした感情を抱えたすれ違いざま。僕は根ツイ先輩の頭辺りからきらりと光る何かが見えた。


 ――あれは?


 それは彼女のおさげの結び目から、一瞬だけ日の光に反射して見えたヘアゴムだった。


 ヘアゴムにはサファイア色で五枚の花びらをあしらった飾りが施されており、それが目に入ったのだろう。やはり年相応の女の子。髪飾りでもしっかりかわいいを演出している。


 ……いやいや、待て。待て待て待て!


 ボーっと感心しながらも、なぜか僕はこのヘアゴムに、確信にも似た強烈な既視感を覚えた。


 僕はあの髪飾りを付けている人をもう一人、それはもうよく知っている。そのもう一人にとってこの髪飾りは、チャームポイントの一つだったのだから。


 ――ああ!


 更にまた、僕の脳が記憶の引き出しをこじ開けた。朝、怒鳴られた時に初めて聞いた根ツイ先輩の声が、不思議と聞いたことがあるような気がしたことだ。


 だが、不思議でも何でもなかった。僕はそれこそ毎日、〝彼女〟の声を聞いているじゃないか!


 まさか……根ツイ先輩はまさか……。


 僕は震える唇をどうにかして止め、後方で信号待ちをする根ツイ先輩に声を掛ける。


「トロア……ちゃん?」


 根ツイ先輩の肩がぎくりと跳ねたのが、確かにわかった。


 ここで信号が青に変わったのだが、根ツイ先輩は固まったきり、動かなかった。結局信号は赤になり、再び車が流れ始める。


 ………………。


「あ、あの」


 動かない。


 いつまで経っても微動だにしない彼女にやがて僕は心配になり、歩み寄ろうとしたその時。


「………………んんあああああああああああああああ!!」


「ひぃいっ!?」


 全力の回れ右から、根ツイ先輩が突進してきたのだ。


 根ツイ先輩は肩に掛けていたカバンを放り投げ、僕の胸ぐらに猛然と掴みかかった。彼女の頭が僕のアゴくらいにあり、間違いなくこれまでで一番の接近距離となる。


 これが噂の、ガチ恋距離ってやつか……!


 そんな馬鹿なことを考えつつも、怖いものは怖い。僕はこの思いもよらない展開にバナナのように体を反らせていると、


「どこで……どこでわかったのよぅ……!」


 瞳に涙を溜めながら、根ツイ先輩は僕を見上げて言ったのだった。


 はうあッ!


「っ……とっ、とりあえず離して下さい!」


 その表情を見た瞬間、僕の理性のネジが何回転か緩んだ。このままでは確実にどうにかなってしまう。まずは彼女に冷静になってもらわないといけない。


「まずは落ち着きましょう!? ね!?」


 根ツイ先輩は言われると、ようやく僕から手を離した。


「なんで……なんでこんなくそばかなんかにぃ……!」


 それでもなお、根ツイ先輩はくすんくすんと涙を流していた。周りを見ると、帰宅する生徒の数も増えてきている。これではまるで僕が彼女をイジメているみたいじゃないか。


 ここでは人目につきすぎる。場所を変えて、落ち着いて話ができる所に行かなければ。


 僕は慌てふためきながらも、どこか良い所はないかと考える。


「――あそこに入りましょう!」


 そしてなぜか、二人して目の前のハギノに入ったのだった。

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