第3話 ネットアイドル『トロア』
時刻は午後一時を過ぎた昼休み時。
僕はお昼ご飯を一人で早々に食べ終わると、待っていましたとばかりにスマートフォンと向き合っていた。光城高校は基本的にスマートフォンの使用が禁止されているが、昼休みの時だけは許可されていた。これが死ぬほど助かっていたりする。
本当は常に見ていたいのだけれど、使えるだけ良いと思うしかない。
僕はひたすらにスマートフォンの画面をスワイプさせ、更新を続けていた。それはとある人物の〝つぶやき〟を確認する為。
――ネットアイドル『トロア』。最近僕の中で人気急上昇中の女の子だ。
僕が見ているSNS、『
事の発端は、彼女の投稿した動画だった。
今、世界で最もホットな動画投稿サイト『
ワオチューブに自分が撮影した動画をアップロードする、いわゆる『ワオチューバー』は今、この時も毎日のように新しく生まれ、そして人知れず消えていく。
そんな群雄割拠の戦国ワオチューバー時代に登場したトロアちゃんは、僕には強く輝く小さな星のように見えた。
――この娘は〝クる〟。僕は直感でそう感じた。
現在はワオチューバーの登竜門とも言える、炭酸ジュースの中にソフトキャンディーを入れるやつや、今イチオシの商品を説明したりと、ワオチューバーとしての基盤を作っている最中みたい。これから彼女がどのような〝色〟を見せてくるのか、まったく楽しみな限りなのである。
そのトロアちゃんが、なんと最近フイッターを開設したとの情報が入ったので、僕はわざわざ自分のアカウントを作って彼女の動向を窺っているという次第だ……ストーカーじゃない。断じてストーカーなどではない!
僕はぶんぶんとかぶりを振る。これはファンとして当然のことなんだ。自分の応援している人が今何をしているか。それを気になるのは当たり前のことだ。
しかし、ページの更新を続けてから十分ほど経過したが、トロアちゃんは一向につぶやく気配を見せない。
でも大丈夫。実際の所、それはわかっていることだった。
それは彼女が僕と同じ学生かもしれないという推測があったから。トロアちゃんの呟く時間は決まって朝の八時前と、それから時間が空いた夕方の四時以降だった。スマートフォンの使用を制限されている……つまりは学生という計算式が容易に成り立つわけだ。動画の中での彼女はメイクもそれなりにしており、かなり大人っぽい印象があるため年齢の特定は難しいが、僕より年上の女子高校生なんじゃないかと思っている。
つぶやかないとは思いつつもページを更新する手は止めない。結局のところ僕のこの動作は、手持ち無沙汰な昼休みを乗り越えるための儀式みたいなものだった。
「なあ鹿留……って、何その指の動き!?」
こうして一心不乱に画面とにらめっこをしていた時、クラスの男子が不意に声を掛けてきた。
「……え!? あ、いや……なんでもないよ」
「びっくりした~、指見えなかったぞ」
驚くクラスメイトをよそに、僕はそそくさとスマートフォンを机の中に忍ばせる。
「どうか……した?」
僕は恐る恐る尋ねる。すると彼は空いていた僕の前の席に腰を下ろして、思い出したようにこんな質問をしてきた。
「ああ、そうだそうだ……鹿留は誰だと思う? 万引き犯」
「万引き? ……ああ」
笹子先生が朝のホームルームで話していた万引きについて、彼は訊いてきた。
「特に思いつかないかなあ……」
「クラスじゃこの話題で持ち切りだぞ! 誰なんだろうなぁ、万引き犯」
その実、万引きの話が出た後のクラスの空気は不思議なものになっていた。普段よりも少しばかりセンセーショナルなニュースが自分たちの身近で起きた。それは常に面白そうなことを探す少年少女にとっては格好のオモチャ。これをネタにしない者はいなく、授業の休み時間になる度にクラスはこの話題で持ち切りになっていた……残念ながら、僕を除いて。
「とりあえず、万引きが起きた日時と場所はわかってるらしい」
僕の無関心をよそに、男子生徒はこれまで聞いて得た情報を話し始めた。
「まず、最初の万引きが発生したのはゴールデンウィーク初日の夕方。場所は光城からすぐ近くのスーパー『ハギノ』らしい」
「え……」
ハギノって、本当に光城高校と目と鼻の先で、しかも僕の通学路沿いじゃないか。
「これだけでも光城生なら驚きなんだが、更にびっくりするのが、この万引きはゴールデンウィークの五日間、毎日行われたらしいんだ。時間帯は同じく夕方の時もあれば、閉店間際の時もあったって聞いた。それも同じハギノでだ」
男子生徒は興奮を抑えきれない様子で僕に詰め寄る。しかしまあ、朝からこの短期間でよくこうも情報が出回っているなあと思う。
「すごいよなぁ! 毎日、それも同じ店で犯行に及ぶメンタルの強さ! バレるとか思わなかったんかねえ」
「そういうことを考えない、小さな子どもだったんじゃ……」
「俺らもその線で話を進めてたんだけどさ」
うーん、と悩ましげに顎に手を当てる仕草は、まるで探偵にでもなったような素振
りだった。
「これが意外と、そうでもないらしいんだ」
「はあ」
まだこの話は続くのだろうか。そろそろフイッターのチェックに戻らせてほしいのだけれど。
僕はそわそわと机の中に手を伸ばしたり、やっぱり引っ込こませたりと、落ち着きなく彼の話に耳を傾けていた。すると。
「
男子生徒は唐突に言った。
「……誰?」
その言葉がとりあえず人の名前だということは僕にもわかった。
「どうも俺たちの中では、鳥沢先輩が怪しいんじゃないかって話になってるんだ……って鹿留、お前鳥沢先輩知らないのか?」
「うん、まあ……」
男子生徒は呆れた様子で僕を見ていた。だって仕方ないでしょう。僕はこの光城高校の中を、自分のクラスと移動教室で使う教室の行き来くらいしかしていないのだから。彼の口ぶりだとその人は上級生らしいが、クラスメイトの顔と名前さえいまだに一致していない僕に、とある先輩の名前を出されても酷というものだ。
「いやいや、鳥沢先輩っつったらこの光城でも一、二位を争う美人だぞ!? それを知らないなんて……」
「そう言われましても……」
知らないものは知らない。美人という単語はそそられるが、僕には通学路で出会う素晴らしい女の子たちがいる。美人は間に合っているのだ。だからこれ以上の美人を抱えることは僕のキャパシティ的にも厳しい。
「まあいい……なんでその鳥沢先輩が容疑者に挙がっているのか、なんだが」
男子生徒は深く嘆息すると、続ける。
「それがな、誰に訊いても先輩の名前が出てくるんだよ。同じ日に見たって言うんならただの偶然で片づけられるんだが、おかしなことに別々の人間が、別々の日に鳥沢先輩を目撃してる。つまり先輩は毎日ハギノに出入りしてるってことになるだろ?」
「ええと……その人たちが先輩を見た時間は?」
「犯行時間と同じ夕方から夜にかけてらしい。正確な時間はわからんが、五時から九時なんじゃないか」
「なるほど……」
「怪し過ぎると思うんだけどなぁ~……ううむ」
「う~ん……」
男子生徒が腕を組んで深く考えているのにつられて、僕も自然と思考を巡らせて――。
……あれ?
って、何を真剣に考えようとしてるんだ僕は。こんなことしたって何の意味もないじゃないか。たかが万引きだ。これが傷害事件とか、もっと自分の身に危険が及ぶものだったら、少しは考えてもいいかもしれないけど、今回はそういうわけでもない。興味本位で犯人探しなんてするものじゃないんだ。
――そうしてああでもない、こうでもないとしているうちに、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。
「あー、時間切れかー! 悪いな鹿留、話に付き合わせちまって」
「ううん、大丈夫」
「何か有益な情報を掴んだら教えてくれよな!」
「ははは……わかったよ」
男子生徒はそう言うと、駆け足で自分の席へと戻って行ったのだった。
「……」
僕は男子生徒が着席したのを見て、大きく、とても大きく息を吐き出した。こんなに長く人と話をしたのはいつぶりのことだろうか。一日分のエネルギーを使い果たしたような気さえする。
しかも、結局最後までスマフォを触ることができなかった。つぶやいたかなぁ、トロアちゃん……。
一瞬でいいからスマフォを見たい衝動に駆られたが、僕は済んでのところで自制する。なんてったって五限目は我が担任、笹子先生の国語だ。
僕は教科書、ノート、そして肝心の課題を机の上に置き、授業の開始を待つ。
そんなところで、
「………………あ、小林だ」
ようやく、さっきまで話をしていた男子生徒の名前を思い出したのだった。
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