03 前世紀の召喚者








「『リヒト』…?」

「私、いろんな国の言葉を学んだの。特に好きだった単語を、あなたの名にするわ」


 言葉の通じる不思議な少女は、蛍と名乗った。蛍は、別の世界からここに連れて来られたという。


 名前がないのは不便だと話し、蛍はワーウルフに『リヒト』という名を与えた。

 寿郎とは最低限の“マナの混和”を行うに留めていた蛍だが、その頃はまだ強大な魔力を有していた。


「なぜ、言葉が通じる…?」

「わからない。

 この世界に来てから不思議な事ばかり起こっているから、あなたもあまり気にしない方がいいわ」


 柔らかく淑やかに笑う少女だった。

 少しの魔法と物理的な治療で、リヒトは徐々に回復していった。蛍は元の世界で、医学を学ぶ学生だったらしい。


「師範学校へ転入したばかりだったのよ。これからという時に、残念だったわ」


 蛍は日本という国から来たこと、好いた男と来たが振られてしまったこと、戦うために連れてこられたこと、この世界をろくに知らぬままここで暮らしていることを話した。


「他の方と対を結んで戦うように言われたけれど、それでは寿朗さんはどうなってしまうのって、突っ撥ねてやったわ。

 未練はないけれど、寿朗さんは大事な幼馴染だもの」


 蛍のことを不憫に思ったリヒトは、蛍を仲間の集落の元へ連れて行く。

 初めは警戒した仲間たちも、言葉が通じることや蛍の物腰の柔らかさに絆され、徐々に受け容れていった。


 蛍は魔法についての知識は少なかったが、元の世界で身に付けた知識を集落の者へ惜しみなく伝えた。日本の文化や海外の文化を伝え、集落の生活を豊かにした。


 時々食糧補給と見張りのために皇室の使いが来るため家から離れることはできなかったが、蛍とリヒトは徐々に関係を深め、とうとう2人は恋仲となった。


「見て、可愛い子。この子の名は、『ゆき』よ」


 それから数年がたち、2人の間に子どもが生まれた。

 ワーウルフと人間の子、この世界で初めての狼人間の女の子だった。


「おかあさん、おとうさん、みてみて! ゆき、木登りもできるんだよ!」

「まぁ、危ないわ!降りてきて!」


 強い魔力を有し、賢い子だった。

 2歳になる前に言葉を覚え、大人に混じって会話ができるほどだった。

 集落の者たちからも惜しみない愛情を注がれ、すくすくと成長した。


 愚かな人間は蛍の妊娠・出産にも気付かず、ゆきが3歳になった年にとうとうゆきの存在に気が付いた。


「魔族と交わるなど、醜穢にもほどがある……!」

「忌々しい、魔族どもは一人残らず殺せ!!」

「やめて!!何も悪いことはしていないわ!!」


 皇室の使いの魔導師は蛍の話に聞く耳も持たず、集落にいたワーウルフ族を殺してしまった。

 リヒトも激しい拷問を受け、最期は殺されてしまった。


「陛下、この女はどうしますか?」

「聞き出せるだけ話を聞き出し、一生捕らえておけ」


 人間である蛍への攻撃は禁忌に触れるため行えず、物理的に捕え拷問を与えることしかできなかった。

 狼人間であるゆきへの攻撃も禁忌に触れる可能性があるため、蛍からゆきを引き離すことしかできなかった。


 その頃には既に“後退の8年”が終わっており、蛍は魔族との交わりを持った異端者として皇族の監視下へ置かれることになった。

 ゆきは捕獲の際に仮死状態となり、研究所で凍結保存されることとなった。







「……そのままホタルはユキとの再会を果たすことなく、亡くなってしまった」


 ワーウルフは、沈んだ様子で語った。

 その語り口から、リヒトや蛍、ゆきがどれほどワーウルフ族から大切にされていたかがわかる。

 それに危険を犯してまで取り返しに来るほど、ワーウルフ族にとってゆきが重要な存在であるということだろう。


「…197代皇帝が崩御し、前陛下が皇位を引継ぎ…ようやくホタルは解放されたが、ユキの扱いについては前陛下も悩んでおられた。

 凍結保存から無事に生き返らせられる保証が…なかったからだ。

 結局状況を変えられぬまま、現在まで凍結保存されていたのだ」


 つまり、ナジュドの曽祖父である197代皇帝は魔族への高圧的な態度を徹底していたが、祖父の代でそれが少し緩和されたということらしい。


「光莉、大丈夫か。替わるよ」

「大丈夫…!あと…少しな気がするの」


 衣服を着ていなかったゆきに、光莉は『収納』から自分の衣服を取り出して着せていた。光莉が『治癒』を続けているが、まだゆきは息を吹き返さない。


 光莉の『治癒』でもこれだけ時間がかかるのだから、他の者では、たとえ皇帝であってもゆきを存命させることは不可能だっただろう。


「人間が全てを奪った…!

 我らはお前らが殲滅した集落の生き残りだ!!」

「仲間を…家族を失って生きることがどれほど惨いことか!!」


 ワーウルフ達は、苦悶の表情で叫ぶ。それに言葉を返せる者は、いなかった。

 その時、研究室の奥から人影が現れる。


「……話は聞いていた」


 現れたのは、ナジュドだった。いつの間に来ていたのか、智希も気付かなかった。


 ナジュドは恐らく『遠隔交信』で状況を把握していたのだろう。

 心痛な表情を浮かべながら胡座をかいて座り、両拳を床に突いた。その様子を見た周囲の魔導師がざわつく。


「私の祖先が愚行をはたらいたこと、赤面の至りである。弁解の余地もない。

 祖先の愚行を、まずは謝らせてほしい」


 恐らくこの姿勢は、元の世界でいう土下座に近いものなのだろう。

 イオも今朝、智希と光莉に対し同じ姿勢を取り、忠義の誓いをたてていた。


「……謝っても、あいつらは帰ってこねぇよ……!!」


 こんなにあっさりナジュドが出てきて謝辞を示すとは思っていなかったのか、ワーウルフはそれ以上言葉がない様子だった。


 その時、光莉が「いけた」と小さく呟いた。

 光莉の腕に抱かれていたゆきは、ゆっくりと身体をよじり目を開ける。

 ワーウルフが声を上げる。


「ユキ……!!!」

「こ…こ、どこ……?」


 ゆきはまだぼんやりとした様子で、辺りを見回している。


「おかあ、さん…は……?」


 仮死状態となってから100年以上がたっている。記憶も曖昧となっているのかもしれない。


「ユキ、覚えてるか。お父さんの仲間のおいさん達だ」


 捕らえられたまま、ワーウルフがゆきに話しかける。ゆきは何も、答えない。


「お前のお母さんとお父さんは…死んじまったんだよ」


 記憶を辿るようにゆきは立ち上がり、ワーウルフ達を見回した。

 数秒ののちに現状を把握したのか、わなわなと唇を震わせる。


「……お、おかあさ……おかあさぁん、おとうさぁん……!!」


 ゆきはへたんと床に座り込んで、天井を仰いで泣き始めた。

 その悲痛な泣き声に、周囲の者は誰も言葉をかけることができない。


「う、う、うわ~~~~~ん……おか、おかあさん、おとうさぁん……!!!」


 ゆきは仮死状態となる前に、父と母が捕えられる様子を見ていたのかもしれない。

 智希もゆきの泣く姿を見て、胸が痛くなった。








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