07 命の責任
ライルからの突然の『遠隔交信』は、エリアルの誕生日会を終えた明け方に入ってきた。
『トモキ!すぐ来てくれ!!』
「ライル、どうした?!」
寝入ってから数時間ではあったが、智希は飛び起きる。
何かあったらすぐに連絡するよう、戦闘地にいるイオやライルには伝えていた。
『南基地で大勢やられた、イオも巻き込まれた!』
「…っ、すぐ行く!」
状況はわからなかったが、光莉にも声をかけすぐに氷の大地へと向かった。
『特殊結界・寒冷耐性』のお陰でそれほど寒くはなかったが、それでも氷点下の世界だ。
自分たちにも『寒冷耐性』等の魔法をかけながら、状況を確認する。
「魔族の攻撃で地割れが起きて海に数人落ちた!
なんとか全員引き揚げたが、みんな体温が下がってる…!」
戦闘中に棚氷に亀裂が入り、海に数十人が落ちたようだ。
『浮遊』魔法で全員引き揚げはしたようだが、みな低体温症や凍傷の症状が現れている。
「『加温』!『治癒』!!
経過がヤバい人がいたら教えてくれ!!」
戦闘に加わっていた皇級魔導師がすでに応急処置を行っていたが、重ねて智希と光莉が『治癒』を施す。徐々に傷病者たちは意識を取り戻していく。
「イオ!イオっ!!」
「智希!イオ、脈がない……!!」
傷病者の中に、イオの姿があった。
青白い顔で横たわったイオの傍ではライルが懸命にイオの名を叫んでおり、光莉が『心眼』で状態を確認し智希に伝えた。
『治癒』で傷は治ったようだが、息がなく脈も停まっている。『加温』で体温は戻っている。
「胃の中の水は除去したけど……!」
「心停止してるなら人口蘇生しかない、光莉は『治癒』を続けて!!」
「うん!」
現場は混乱していた。医師も数人いたが、他の傷病者の処置にかかっていた。
そもそもこの世界の医師が、どの程度正確に病状を把握できているのかも定かではない。
「胸骨圧迫30回……人工呼吸2回……」
心停止からどれだけ時間がたっているかわからなかったが、『治癒』によって細胞の死滅は防げているはずだ。心臓の動きが戻れば、蘇生も不可能ではない。
この世界に来て改めて見直した保健の教科書の内容を思い出す。心肺蘇生法の基本、胸骨圧迫と人工呼吸の方法、リズム。
こんな状況だが、なぜか智希は落ち着いていた。
「イオ!イオ!!」
「イオ!!死んじゃダメ!!!!」
ライルと光莉が、必死にイオの名を呼ぶ。
智希はリズムを乱さないように胸骨圧迫を繰り返し、気道を確保し人工呼吸を行った。
『心眼』で状態を診るが、まだ心停止したままだ。
(イオ、頑張れ、絶対死ぬな……!!)
この胸の痛みが、不安からなのか外の冷気のせいなのかはわからなかった。
他に手立てはないかと考えるが、電気ショックやAEDに関する智希の知識は十分ではなく、あくまでそれは最終手段だった。
この戦闘でできるだけ死者を出したくないと思っていたが、まさか自分の友人が第一号になりかけるとは思いもしなかった。
「イオっ、イオ……!!」
ライルも光莉も、泣いている。
光莉は泣きながら必死に、『治癒』をし続けている。
心肺蘇生法の3回目のサイクルに入ったとき、ようやくイオの身体が動いた。
「……っ、はっ……ゴホッ、ゴホッ!!」
「イオ!イオっ!!!」
大きな呼吸の後、咳をするイオ。
智希は呼吸を荒げながら、手を止める。
「はっ……、はぁ…はぁ…っ」
荒いながらも、イオは正常に呼吸できている。胸の浮き沈みからも、呼吸ができていることを確認できる。
よかった。
安堵で智希は思わずその場にしゃがみ込み、首を垂れた。
光莉の泣き声を聞きながら、数秒間そこから動けなかった。
(頭は真っ白だったけど、なんとか動けた……よかった……)
徐々に智希自身の呼吸も落ち着き、周囲の状況を見る。他に危険な傷病者はいないようだ。
念のため周囲の医師や軍人に声をかけ、傷病者が安全に過ごせるように計らってもらった。
以前のゼルコバとの会話を思い出す。魔族の被害者である当事者やその家族が、魔族を受け容れられるのか、という話だ。
実際に友人の命が危ぶまれて、ようやく智希も当事者側の想いを感じることができた。
(もしここでイオが死んでいたら……)
智希はそれでも、魔族と人間の和解を推し進められただろうか。
それ以前に、これまでと同じように笑って過ごすことができただろうか。
(……いや、イオは無事だった。
だからこそ、プラスに捉えよう。当事者の気持ちを慮るための経験になったと思おう)
魔族も人間も、想いは決してひとつではない。
社会全体の利益も大事だが、それぞれの想いを蔑ろにすることはないようにと肝に銘じた。
「……俺、生きて、るのか……」
「生きてるよ、馬鹿野郎……っ!!」
イオは未だ虚ろな表情のまま、言葉を零す。ライルはほっとしたような怒ったような表情で言った。
どうやらイオは、ライルを庇って海に落ちてしまったようだ。
「お前に庇われて生きるくらいなら死んだ方がマシだ!!
一生こんなことすんなっ!!!」
「…はは、しゃーねぇよ……身体が勝手に動いた」
ライルの言葉にも、イオはへらへらと笑っていた。
氷の大地での傷病者は皆本国の治療院に送られ、経過を診ることとなった。
初めての大規模な被害に、皇室や魔導協会も対応に追われているようだった。
医師たちと話をしたが、やはり心肺蘇生についての知識はない様子だった。
体育の教科書を見ながら、バイタル確認や心肺蘇生に関して日本での一般レベルの知識を共有した。
しばらく氷の大地や帝都を行き来し、全員の無事が確認でき自宅に戻る頃には真夜中になっていた。
「智希~、ヘルプー!」
入浴後、光莉が助けを求める声が脱衣所から聞こえる。
「なんか、ドライヤー動かなくなっちゃった…」
「壊れたかな。
…人んちのもん、勝手に『修繕』するのはなぁ」
ドライヤーと光莉は呼んでいるが、正確には温風送風器と呼ばれる魔導具だ。
髪を乾かす道具だが、どちらかというと形は扇風機に近い。
故障のようだが、リオンやリイナ、エリアルは智希たちと入れ違いで氷の大地の援護に加わっていたので、確認が取れない。
今日のところは、智希が『送風』魔法で光莉の髪を乾かすことになった(光莉は風魔法が使えない)。
「疲れてるのに、ごめんね」
「いいよ、これくらい。
むしろなんか、いい匂いでほっとする」
「商店街でヘアオイル買ったんだ。甘い柑橘の香りだって」
立ったまま光莉の髪を梳きながら、暖かい風を送る。
柔らかな髪の毛の感触と、甘い香りに溶かされそうだった。
「智希…すごかった。あんなに冷静に動けるなんて」
「全然、頭真っ白だったよ。
想定はしてたけど、やっぱり設備も知識も足りない。
イオが助かってなかったらと思うと……」
そう思うと、怖くて堪らない。
あれからずっと、もっと最善の策はなかったのかと考え続けている。
そもそもこうなる前に、心肺蘇生法やバイタルサインについてこの世界の医師と共有しておけば良かった、とも。
人はいつか亡くなるものだけど、守れる命は守りたいと思ってしまう。
「智希」
光莉が智希の名を呼び、くるりと智希に向き直った。
智希は、『送風』を停める。
「智希が人の命の責任まで背負っちゃ、ダメだよ」
光莉の言葉に、はっとする。
また、背負おうとしていた。ようやく下ろしたはずの兄と父の死という重荷に似たものを、また同じように抱えようとしていた自分に気付く。
「私たちはお医者さんじゃないんだから。
きっとこれから、どんなに頑張っても救えない命もあると思う。
でもそこで智希が責任を感じて立ち上がれなくなるくらいなら、人の命に関わらない方がいい。
智希が潰れちゃったら、元も子もないもの。それこそ、救える命が救えなくなる」
後悔も、責任も、智希の足を止めてしまうには充分すぎる重荷だった。
でも今は、立ち止まってはいけない。
その為には、重荷を背負いすぎない努力も必要なのだ。
「智希は優しいから、持てるもの全部持とうとしちゃう。
難しいとは思うけど、智希にはもっと楽に生きてほしい」
光莉は見上げながら、智希の頬に両掌を当てた。
「一生懸命やるけど、助けられたらラッキー。
ダメだったら悲しいけど、そういう運命だった。そう、割り切ってほしいな」
「……努力します。
割り切れてなかったら、喝入れてくれ」
智希の言葉に、光莉はふっと笑う。
「喝は入れない。
その時は辛い、苦しいって言って。慰めるから」
光莉の優しい言葉と笑顔に、急に愛おしさが湧き上がってきた。
抱きしめたくなる衝動を抑え、光莉の手を取り、左肩にそっと頭を乗せた。
「ふふ、もう慰めてほしくなった?」
「光莉が…俺を甘やかしすぎるから」
「逆だよ、智希こそいつも私を甘やかしてる」
笑いながら、光莉は智希の髪を撫でる。
「私を頼って。どんなつらい気持ちも、受け止めるから」
「……ありがとう」
素直な智希の姿に、光莉もなんだか愛おしくなり、肩に乗せられた智希の頭に頬を擦り寄せた。
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