06 束の間の平和
「くしゅんっ」
外に出ると冷たい空気に晒され、リイナはひとつくしゃみをした。
「今日は冷えるな。上着ある?」
「ないけど、近くだから耐える…」
「貸すよ。待って」
リイナは、部屋着に近いノースリーブのワンピースを着ていた。智希は『収納』から自分の上着を取り出す。
「ほら」
「……ありがと」
リイナに上着を着せ、智希は「こっちの夏の夜は涼しいな」と独り言ちる。
「こんな近所に酒屋があったら、そりゃエリアルさんも酒飲みになっちゃうな」
「そうなの。買ってその場で飲んで帰っちゃうこともあって…」
「すげぇな、本物だな」
商店街の通りに出るとすぐのところに、酒屋があった。人通りは少ないが、高齢男性が一服しながらのんびりと営業しているようだった。
「またエリアルは飲んでんのかい」
「そう。お勧めの、なんでもいいから2、3本ちょうだい」
「あいよ」
リイナもお遣いとして来るのは常連のようで、慣れた様子で店主に注文をする。
買った酒は袋にまとめてくれたので、「持つよ」と智希が荷物を受け取った。
「トモキは……恋人とか、いたの?」
「なに、急に?いなかったよ、全然」
店を出て来た道を戻りながらおずおずとリイナが尋ねると、智希はあっさり返答する。
「……そうなんだ」
「リイナは?」
「私は、いたことない」
「リイナ可愛いし、いそうなのにね」
智希がさらりと言うと、リイナはその場に立ち止まった。
「…そんなの、初めて言われた」
「え、マジで?」
心なしか、リイナの顔色が赤くなっている。
「…この世界では、恋人以外に可愛いとかそういうこと、あんまり言わない」
「えっ!そうなの?ご、ごめん」
「ううん。嬉しいね、褒められるのって」
こちらの常識を知らずに不用意なことを言ってしまったと、智希は反省する。
リイナのことは妹のように思っていたので、何の気なしに言ってしまった。
「トモキの世界では、異性を褒めるのって、ふつう?」
「あー…どうかな。
よく言うってほどじゃないけど…なんか言うのが礼儀みたいな場面もあるかも…」
元の世界では、髪を切ったり普段と違う服装をしていれば褒めるべき、という風潮があったように思う。
むしろそこに触れないと失礼にあたる、ということは知識としては知っていた。
「思ってなくても言うってこと?」
「どうだろ。そういう人もいるだろうな。
俺はお世辞とかあんま言えないけど…」
「……そう」
リイナが怒っていないか心配だったが、どちらかというと嬉しそうな表情だったのでほっとした。
「ただいまー」
「お師匠様、お酒買ってきたよ」
「ありがと~っ!」
買ってきた酒を、智希がエリアルに手渡す。
リイナは上着を脱ぎ、智希に「ありがと」と手渡した。
エリアルと光莉は、2人を待っている間に腕相撲をしていたらしい。光莉に勝ったエリアルが、上機嫌で智希を呼ぶ。
「トモキ、今度はあんたが相手して!」
「え、まじ?」
エリアルと向かい合って座り、手を組む。
勝つべきなのか負けるべきなのか迷いつつ、ギリギリのところで負けてみた。
「ちょっとトモキ、手ぇ抜いたでしょ!」
「女の人相手に本気出せないよ」
「次!リイナとトモキ、やんなさいっ」
エリアルが立ち上がり、リイナを椅子に座らせる。
今度はギリギリのところで勝ってみた。やはりエリアルは気にいらない様子だ。
「ちょっとトモキ、本気出しなさいよっ」
「だから無理だって。俺が勝つに決まってるじゃん」
結局智希が混じっても面白くないと女子3人での対決が始まったので、智希はソファにもたれてカーペットの上に座る。
ちょうど、ソファで寝ていたリオンが起きたようだ。
「ん~…なに、やってんの」
「腕相撲。リオンも参加する?」
「何それ…しない…寝てるふりする…」
リオンは上げかけた頭を再び下げた。巻き込まれたくないと思ったのだろう。
「飲みすぎた?水持ってくるか?」
「大丈夫。ごめんな、騒がしい家で」
ひそひそ声のまま、リオンは申し訳なさそうに言った。
「いや、楽しいよ。こんな風に家が賑やかなのっていいな」
「はは、それはお師匠様のおかげだよ」
リオンは囁くような声で、智希に語る。
「……俺らもお師匠様と住むようになって、半年もたたないんだ」
「そうなんだ。長く一緒に住んでるのかと思ってた」
「本当の家は帝都の外れの田舎にある。
……母親が入院してから、お師匠様が俺たち2人を引き取ってくれたんだよ」
そういうことか、と合点がいく。
リイナが先日落ち込んでいたのも、母親の入院に関連することかもしれない、と。
弟子とはいえ、多感な10代の子どもを預かって生活しているエリアルは本当に『お母さん』みたいだと、智希は思った。
「リイナがあんなに元気になったのは、お師匠様と…2人のお陰だな」
「そう…なのか?」
「あぁ。2人が来てからリイナはよく笑うようになったよ」
確かに初めの頃は口数も少なく、あまり表情のない印象だった。
今ではリイナの方から話しかけてくるし、智希にも光莉にも懐いているようだった。
「それに最初は召喚者様ってどんな人だろうってビビってたけど…いい人たちでよかった」
出会った時のリオンのことを思い出す。
智希と光莉を必死にドラゴンから守ってくれた。
右も左もわからない智希たちに、いつも優しく穏やかに接してくれて、何を聞いてもすぐに答えてくれた。
「俺たちも同じこと思ってる。
最初に一緒にいてくれたのが、リオンとリイナで良かった」
「…トゥリオール様もお師匠様も、俺らに丸投げだったもんな。内心、怖かったもん」
「怖いって、俺らが?」
「魔力量が桁違いだもん、本気出されたら俺らなんて消し潰されちゃう」
リオンは肩を竦めて言う。最初に会った頃の堅苦しい態度は、今は微塵もなかった。
「そういやヴァイオレットさんが、光莉とリオンを見て大獅子とダンゴムシって言ってたな」
「ひでぇ言い方!でもその通りだ」
最初の懇親会でヴァイオレットが口にしていたことを伝えると、リオンはケラケラと笑った。
「けど、今は魔力が強いとかそんなの、関係ない。
2人が魔法使えなかったとしても、俺は2人と友達になってたと思うよ」
智希はなんだか、泣きそうになった。
こんな風に心を開いて話せる友人が、元の世界にもいたら。
そう思ったけど、あの頃は自分が壁を作っていたせいで、きっとせっかくの出会いもダメにしてきたんだろう。
この世界に連れてこられた意味を、時々考える。
この召喚は、神からの贈り物だったのかもしれないな、と。
「2人とも、こっちおいで~」
酔っ払ったエリアルが、智希とリオンを呼び寄せる。
光莉とリイナが寄り添うエリアルの傍に、リオンも寝たふりを続けるのを諦めて近付く。
智希もそれに続くと、エリアルは4人をぎゅっと抱き寄せた。
「こんないい子たちに囲まれて、私は幸せね」
エリアルは4人の頭を順番に撫でた。
「血の繋がりはないけど、私にとっては大事な大事な家族よ。
出会ってくれてありがとう、一生愛してる」
智希はまた泣きそうになったが、必死に我慢した。
エリアルは、母親と同じくらいの年齢だった。
一瞬、幸せだった頃の母との思い出が蘇りそうになった。それを拒否するように目を開けて、いまのこの幸せな現実をしっかりと目に焼き付けた。
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