06 ひとりじゃない
気が付くと、別の建物の屋内に2人は転がっていた。
「いてて……」
「びっくりした……」
『飛ばす』とは、魔法の力で2人を別の場所へ送るということだったようだ。
恐らくここが、エリアルの家なのだろう。
飛ばされたのは建物の1階で、部屋には木製のダイニングテーブルや食器棚が置かれていた。奥には、キッチンらしきものが見える。
2人が立ち上がろうとすると、家のドアが突然開いた。
振り返ると、50代くらいのふっくら体形の女性が両手に荷物を抱えて入ってきた。
「あらっ、もう来てたの~?相変わらずエリアル様の
どかどかと家の中に入り、食材らしき荷物をぽんぽんぽん、とカウンターに乗せていく。
「とりあえずご飯作るから待ってて!お腹空いてる?」
「へ、あ、ぼちぼち…」
「まぁ残してもいいから、たっぷり作っちゃうわ!」
「あの、あなたは…」
女性の勢いに負けそうだったが、勇気を出して智希が尋ねる。
「私?私はフォーキン家使用人のマリアよ!マリアさんって呼んで。
まだお昼だけど2人とも早く休んだ方がいいわ、
ご飯作ってる間にお風呂入ってきなさい、寝巻は今日はリオンとリイナのを借りましょ。
どっちが先に入る?あぁ、女の子が先の方がいいわね。
男の子の方は2階のお部屋を見ておいで!」
やはり圧倒されて何も聞けないまま、智希は2階へ追いやられ、光莉は風呂場へと連れていかれた。
2階に上がると、8
ホールを取り囲むように部屋が5室あり、そのうち3室にはエリアル、リイナ、リオンの名が書かれた札がかかっている。
(札のない部屋を使っていいってことか…)
とりあえず部屋のドアを開けて、室内を確認した。
ベッドや机、チェストなどが置かれた、6畳くらいの部屋だった。もう1つの部屋も似たようなものだったが、窓の位置が微妙に違っていた。
どちらの部屋が良いかあとで光莉と相談しよう、と思い、智希はホールのソファにどかっと座った。
ホールの
階下からは、マリアが食事を用意する音が聞こえてくる。
トントントントン、という包丁の音が、とてつもなく懐かしく感じた。
(なんか、家みたい…………)
目を閉じると、すぐに思考は停止した。
そのまま智希は、意識を手放した。
ハッと気付いて、思わずソファから身体を起こした。
どれくらい眠っていたのかと慌てたが、天窓から見える空はまだ明るかった。
「うおっ」
智希が思わず声を漏らしたのは、智希の隣で光莉が眠っていたからだ。
自分が寝付いた時にはいなかったはず…そうだ、高校の制服から部屋着に替わっているので、お風呂から出て寝てしまったのだろう。
髪は乾いている様子だったので、智希は傍にあったブランケットを光莉の肩からかけて、1階に下りた。
「あら、トモキの方ね。もしかして2階で寝てた?」
「はい。朝倉さん…光莉の方も、寝ちゃってて」
「じゃあ今のうちに、お風呂に行っておいで」
キッチンでせわしなく食事の用意をしていたマリアは、タオルで手を拭き智希を風呂場へ案内してくれた。
1階の風呂場は脱衣所と浴室があり、浴室には
「シャワーは出しておくわね。ここで温度調節。
あなたも洗礼前なのよね?止めるとまた魔力を送り込まなきゃいけないから、今日のところはシャワーは出しっぱなしで使いなさい。
タオルと着替えは置いておくわね。下着はリオンの買い置きを貰っちゃいましょ」
「あ、ありがとうございます」
「何かあったら大きな声で叫んで~!」
慌ただしくキッチンへ戻りながら、マリアが言う。
浴室のシャワーもリイナが使っていた魔導コンロと同じ仕組みのようで、マリアは星…
洗礼、というのを受けることで、こういった電化製品のようなものも使えるようになるらしい。
(ちょっと寝たらスッキリした…)
この世界は昼過ぎのようだが、智希の体感としては深夜3時頃の気分だった。
完全に、召喚による時差ボケだ。
シャワーを浴びて浴槽に浸かると、全身の力が抜けていくのを感じた。
(エリアルさん…大丈夫だったのかな。
偉い人たちを説得するようなこと言ってたし、なんか申し訳ない…)
エリアルのこともまだよく知らず、リオンとリイナの師匠ということくらいしかわかっていない。
けれど、決して悪い人ではないということはわかる。
この世界で今のところ、誰よりも智希たちの気持ちをわかってくれている気がしたからだ。
服を着替えてダイニングに戻ると、光莉も1階に降りてきていた。
「起きたんだ」
「うん。天野くん起こすタイミング
光莉もすっきりした表情に見えて、智希は少しばかりほっとしていた。
「2人とも疲れてたのよ。さっさと食べて今度こそぐっすりお休みなさい」
そう言いながらマリアは、ダイニングテーブルに次々と料理を並べ始める。
見たこともない食材や見たことのある食材まで様々だったが、並べられた料理の匂いを
ジャガイモと玉ねぎのオムレツ、イワシとオリーブのマリネ、キノコの生ハム詰め、魚介と夏野菜のパエリア。
どことなくスペイン風の料理が多いように感じた。
「すごーい!美味しそう!」
「召し上がれ~」
「いただきます!」
おやつ程度のナゲット以来の食事。
美味しくて温かくて、少し胸が痛かった。
緊張の糸が、するすると抜けていく。
「もー、美味しい~……」
光莉は食べながら、涙をぼろぼろと
智希もつられて泣きそうだったが、どうにかぐっと堪えた。
「あらあらまぁまぁ、大変だったのね!
お腹いっぱいになれば元気になるわよ」
「ありがとマリアさーん……」
相変わらずぼろぼろ泣く光莉を見て、マリアはよしよしと頭を撫でた。
お腹いっぱいになったところで、マリアが蜂蜜ミルクを作ってくれた。
飲んだら横になりなさい、と2階ホールのソファ前のテーブルにカップを置き、マリアは1階へ降りていった。
「マリアさんのご飯、すごかったね。美味しかった。泣きながらご飯食べたの初めて」
「わかる。なんかほっとしたし美味かった」
ソファに腰かけ、カップを手に取った。甘くて濃厚な味が、口いっぱいに広がった。
話すべきことはたくさんあった。しかし、2人とも言葉が出てこなかった。
恐らく明日になれば、洗礼と対の儀式とやらを受けることになるんだろう。
それが何かもわかっていないのに。
洗礼を受ければ魔法の道具が使える…つまり、魔力を
では、
考えを巡らすが、考えても無駄なことのようにも思えてくる。
「……天野くんは、帰りたい?」
ようやく口を開いたのは、光莉だった。
智希はどう答えるべきか迷い、返事に時間がかかってしまった。
「……今は正直、わかんない。俺、元の世界も別に…好きじゃなかったから。
ここに居たいとも思わないけど、帰りたいとも思わない…かな」
物心ついた頃から、居場所はなかった。
歳を追うごとにそれを実感し、ここに居ていいんだと思えたことは一度もなかった。
「……私も、たぶん、そんな感じ。
ここにいたいわけじゃないけど、帰りたいかって言われると……」
光莉の言葉を聞いて、智希は少し納得した。
きっと2人とも、帰る場所がないのだ。
物理的には帰る家はあっても、精神的に『帰りたい場所』がなかったのだ。
「……そう思ったらさ。
とりあえずここのことを知って…受け
光莉の言葉に、智希はゆっくり頷いた。
少なくともいまは帰る場所も手段もない。
今の智希たちは、少しずつこの世界を知っていくことしかできない。
「そうだね。
できるできないは置いといて…知って、どうしていくか決めていこうか」
「うん、それがいいな。
エリアルさんが言ってくれたみたいに、ちゃんと自分たちで決めたい」
光莉が力強く言ったので、智希も安心して頷いた。
案外、光莉は強いのかもしれない。この状況で、前に進もうと立ち上がれるのだから。
戻る戻らないということも含めて、8年の
じっくり考えて、決めればいいのだ。
「ごめんね。
私、すぐ泣くけど立ち直るのも早いから…ウザくなったらほっといていいからね」
「ウザいとかないよ、むしろ泣きたい時は泣いてほしい。我慢してるの見る方がつらいよ」
「ふふ、天野くんちょー優しいね」
「あれ、知らなかった?」
「あはははっ」
この世界に来て初めて、光莉が笑顔を見せる。智希もつられて、笑顔を零した。
「一緒に来たのが天野くんでよかった」
「俺とバイト変わってなかったら、篠田と朝倉さんが召喚されてたかもしれないのか」
「そうそう。篠田ならそのうちリイナとかエリアルさんに手出してそう」
「やべーなそれは」
ネタにしてごめんな篠田、と思いつつ、こうして他愛のない話ができたことが嬉しかった。
お互いに、少し気持ちが晴れたようだった。
ひとりじゃない、ということを確認できた気がした。
「それにしてもアレ…なんだったんだろうね」
「アレって?」
「ほら…森を抜けた時に、リイナとリオンが…手とおでこを合わせてたじゃん」
光莉に言われ、智希も「あー…」と声を漏らす。
あの光景を思い出して、智希はまた気まずい気持ちになる。
「なんだろうね。あのあとエリアルさん達もしてたね」
「光ってたしね。魔法の何かなのかな」
考えても、答えは出なかった。なんだか気まずい空気が2人を包む。
蜂蜜ミルクを飲み終わると、どちらからともなく立ち上がる。
「お腹いっぱいになったらまた眠くなってきちゃった」
「わかる。永遠に寝れそー」
「ね。何かあったら起こしてね」
「朝倉さんも。ゆっくり休んで」
すっかり、クタクタだった。
智希はベッドに横になると、布団もかけずに眠りについた。
◆◆◆
「…奴らはやはり耐久戦狙いか。まだ召喚者の姿は確認できないか?」
「はい。前線では特に変わった動きはないとの報告です」
巨大な
配下の魔族は、神妙な面持ちで頷く。
「引き続きファイアドラゴンを
「は!」
「機を逃すなよ。
今世紀こそ、人間どもを
柔らかくも威厳のあるその声に、魔族たちは寒気を覚えた。
数千年にも及ぶこの戦いを、今度こそ終わらせる。そう思っているのは、人間だけではないようだった。
智希と光莉のβ地球メモ【1日目】
https://kakuyomu.jp/shared_drafts/TqqJmYoT6K4u50KMdBSPm52UWwd2SRb7
カクヨムコン8参加中です。
感想や評価など頂けると大変嬉しいです*:..。o♬*゚
https://kakuyomu.jp/works/16817139558480751549#reviews
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