第二十七話「肯定」


「だから偽名だって」

「いやいや、綾沖さんですよね。名刺に偽名は使わないでしょ」

「自分はあるんだよ。権利関係的な問題で」

「なんすかその自分自身が著作権みたいな言い分」

「その言い回しいいな。今度使わせてもらうよ」

「あなたはただのおじさんですよ。ちょっと業界に詳しいだけの」

「歳は仕方ないが、ただのおじさんにしては立派な服装だとは思わないか?」

「まさか……。僕をスカウトするつもりならお断りさせてもらいます」

「しないよ!」


 スカウトではないということは、仕事帰りだろうか。綾沖はこの前会ったときと同様、しわひとつない黒のスーツ姿で、今日は青色と水色のかかったストライプ模様のネクタイを身に着けている。やはり、身なりだけは一丁前に社会人っぽい。


「頼んでいいよ」

「……お先にどうぞ」


 そして、男に連れられてやってきたのは駅前にあるいつも眺めていただけの敷居も値段も高そうなカフェ。

 メニュー表を一目見ただけでわかる、飲み物を飲みに来る目的だけの店。


「あ、お嬢ちゃん~。キャラメルマキアート甘めのやつ一杯で」


 だが、ここに連れてきた当の本人は店に相応しくない態度をする客だ。

 わかってはいたが、連れと思われるのは心外だ。


 声を掛けられた通りすがりの店員は、眉を顰めた後に口角を上手に上げて応える。


「お客様。お呼びの際は手元にあるベルを鳴らしていただいて……」

「近くにいたんだから構わないだろ。都合が悪いかい?」

「他のお客様のご迷惑になりますので」

「自分はシラフだぞ。どこが店に迷惑なのかね」


 威張るように言う綾沖に、店員はお手上げらしく困った顔を見せる。


 ここが癒しの場所を求めてやってくるカフェなのかは分からない。

 そして、僕ら二人がこんな場所で騒いでいいのかも分からない。正確には一人だが。

 だけど彼の前では、分からないことは一旦考えないことにした。


「……たく、若いからって調子に乗りやがってよぉ」


 茶色い水面に映る自分、眼前に座る男は自分のティーカップをグイッと持ち上げると、あっという間に一息で飲み干した。


「で、調子はどうよ。少年」


 綾沖は唇についた水滴を親指で拭き取ると、面と向かって踏み込むように尋ねた。


「なんですか。急に改まって」

「いやな何か悩み事でもあるんじゃないかと思ってだな」

「なんだか、今日はオヤジ臭いですね」

「……臭うか?」

「いえ、言動とか口調が臭うなと」

「よかった~。おじさん、傷ついちゃうところだったわー」

「…………」


 胸をなでおろすようにそう言うと、綾沖は堂々と僕の眼前で、はー♡はー♡と自分の手の内に息を吹きかけ匂いを嗅いだ。こういう仕草をされると、気分が悪くなる。


「大丈夫でした?」

「ああ、口の中はキャラメルのあま~い匂いがしたな」


 想像したくねぇ。


「さっきの質問に答えると、調子はよくないです。今度こそ吐きそうです」

「自分にならなんでも相談していいぞ。少年のことは好きだから」

「じゃあ、ブレスケアをコンビニで買ってから出直してもらえますか?」


 様子がまだおかしい気もするが、この男の場合はこれが通常営業なのだろう。


「少年が自暴自棄になってる原因は、神坂美成子の問題審査による炎上か」

「自暴自棄ではないです。というか普通、そんなはっきり言いますかね。普通」


 いきなりフルスロットルをかまされた。バイクに2ケツしてたら発疹直後に前輪が浮くくらいにウィリーされたくらいの衝撃だ。店内は……

 まったく、ざわついていなかった。


「どうかしたか?」

「いえ、なんでも……」

「まだ売れかけの卵ってことだよ。神坂美成子はね」


 いちいち、癪に触るな。

 だけど、これなら周りに気を配る必要はないか。


「少年はさ、炎上の原因はなんだと思ってる?」

「それは審査ですよね」

「誰の審査?」

「意地悪な質問しないでくださいよ。ゼミの担任だけですよ、それやるの」

「自分は真面目だよ。これを見抜けなきゃ、この業界では生きていけない」

「それは……」


 ネットで話題になっていたことを含めれば、絞ることは可能だ。


 一つに、全体の得点の低さ。

 得点は人を評価する材料であり、オーディションであるからには、やはりこれが目立たないことはまず、あり得ないだろう。

 結局、あの後も神坂美成子は挑戦者たちに低い点数を提示し続けた。

 平均点数は2.8点、最高点数は7点、最低点数は言うまでもないだろう。

 去年の平均点数は6.2点と比較すれば一目瞭然だが、正直、高いような気もする。

 現に今回は厳しく行った結果、ああいった審査になってしまったと擁護派は言う。

 そもそも、擁護している人間はごく僅かしかいない状況ではあるが。


「失格はともかく、序盤は特に厳しかったような印象を受けました」

「うん万人から選ばれたファイナリストをここまで蹴落とすとは思わなかったね」


 二つに、異常なまでのバラード嫌い。

 神坂美成子は、バラードを厳しく審査する傾向にあることが今回ので判明した。

 歌い出しから険しい表情をするなんてのは山のようにあった。

 これはもうエーデルサイド側の『独断と偏見』で評価、というファイナル審査ならではのオーディションのシステム的な部分でもあるから仕方ない、とは……思う。


 だけど……


「神坂美成子は自分の持ち曲にバラードを持っていないだろう」


 そこが問題視されるのだ。


「はい。でも、彼女だって歌えば……」

「歌が上手いって? 試したこともないのに」

「……その通りですね」


 神坂美成子が、公の場でバラードを披露したことは一度たりともない。

 だから、実力を測ることすらできていないというのがデビューしてからの現状。


「神坂美成子のキャラ付け的にバラードは必須項目だろう。誰だってそう思う」

 バラード曲を持っていない神坂美成子がバラード曲には厳しい審査を下したという事実。

 その行為が世間的には、反感を買っているように見えてならなかったらしい。

 一部では、腹いせのために低く評価したとか言われたりもして……。


「エーデルサイドはどうして、彼女に歌わせないんですか?」

「明るい曲は基本歌わないし、暗くてロックな歌が持ち味ならバラードもいけるって?」

「そういうことです。最近はロックテイストも変えていたけど」

「自分から見ても理由は分かんないね。けど、なにか理由はあってもおかしくない」

「そう、ですよね……」


 僕から見ても、正直、これは腑に落ちていない。

 評価という側面でも、腹いせだという側面でも。


 そして、三つ。

 おそらく、これが一番反感買う原因になったと言っていいのかもしれない。

 ある意味、彼女を明確化させた、その三つは……。


「って、ちょっと。話聞いてます?」


 男はテーブルに置いた端末を横目に、チラチラと気にする素振りを見せていた。


「ん……いや、大丈夫だ。たぶん、こっちの話だから……うん。続けて」

「そうっすか……? 仕事が残ってるようなら今日はもう……」

「ああ、大丈夫。面接は長引かせろって言ってあるから、多分」

「面接?」


 微かに身体が揺れている綾沖の手元を見ると、落ち着かない様子で右と左の両方の指で親指と人差し指を交互に入れ替えたり、戻したりを繰り返している。


「ああ、こっちの話ね。さ、続きどうぞ」


 なにしてるんだろ……。その行動に何の意味があるのかは分からないが、綾沖の落ち着かない様子からするに、時間を気にしているみたいだ。

 邪魔しちゃ悪いし、さっさと話を終わらせるか。


「じゃあ話しますけど、綾沖さんは神坂美成子が適任だったと思いますか?」

「自分に質問?」

「そうです。あなたの意見も訊いてみたくて」

「な、長くなるよ?」

「あなたの見解が聞けるなら、僕はいいですけど」

「自分がこの話を始めたら、途中で帰るなんて許さないよ」


 謎の圧。


「構いませんよ。連絡はしてあります」


 綾沖は表になっていた端末を裏に返して、一息ついた。


「そうか。なら、話そう」


 覚悟を決めたみたいに。


「率直に言うと、自分は神坂美成子が嫌いだね」

「それは知ってます」

「ほんと」

「はい。理由は知らないですけど」


 神坂美成子の名前を出した途端に、態度が急変したのは紛れもない事実。

 だからこそ、批判的な人間から見解を訊きたいと思ったんだけど。


「適任は前任者であった初代だと自分は思ってる」

「初代……ですか」


 改めて聞いても、なんだか某少年誌でも出てきそうな、かっこいい呼び名。


「もちろん、名前は聞いたことくらいはあるよな。ガキで生意気な少年でも」

「知ってますよ。ここで口にしていいのかは分からないですけど」

「大丈夫、問題ない。あの人の名前を言っても死にやしないさ」


 翔は国民の全員が一度は熱狂された、女王の名前をおそるおそるに呼んだ。


「〝 bAd 〟ですよね」


     ※ ※ ※


「好きか嫌いのベクトルで話してない。神坂美成子は、そもそも適していないんだ」

「はい……」

「一番、現実的な話をするのが得意なのは神坂美成子かもしれない」

「はい……」

「だけど、一番、冷静に話をまとめることができるのは初代女王であるbAdなんだ」

「そうなんですね……」


 うんうんと弱々しく頷くだけの翔に、綾沖は熱心に力強く訴え続けていた。

 あれから何時間経ったのだろうか。いや、おそらく一時間なんだろうけど。

 その一時間は翔にとって、苦しい時間でしかなかった。


「だから、神坂美成子が一番なんて、自分は絶対に認めない!」


 なんせ、ただの痛い厄介オタクの推し話を一生聞かされているのだから。

 この歳になって、普通未成年にここまで肩入れするか? 

 いや、そこまで衝撃的だったんだろうけどさ。

 核心的な事実を知る感じの流れだったじゃん? なんでこうなったんだ?


「そろそろ終わりですか?」

「そうだな。次はデビュー二年目に怒ったあの事件について話そうかな」


 綾沖は制止する翔をもろともせずにペラペラと饒舌になって、語りは止めない。

 

 (うわ、この人正気か~)


 話している本人は気持ちよくなっているだろうが、彼女に興味・関心のない僕からしたら、この時間は苦痛でしかないのだ。

 これは、オタクがやりがちなこと、トップ1にランクインしてもいい。

 現に大の大人が本題の神坂美成子のことから脱線した上に熱中して、このざまだ。

 僕も見直すべきなのかもな……布教は辞めないけど。


「僕はそろそろ親が心配するので、帰ります」


 翔は耐え切れなくなって、その場で立ち上がった。


「いや、もうちょっとだけ……」

「今日はありがとうございました。今一度、見つめ直すことができました」


 話の後半……というか、話の8割方は蛇足だったけど。


「そうか。そろそろ……」


 翔は一瞬身構えたが、綾沖は呆然と右手首を眺めていた。


「全然、話足りないけど時間は許さないか。これも学生の性だね……」


 存外すんなりと綾沖は重い腰を上げた。

 熱中していても、学生という若い人間には甘いらしい。


「これ以上は、お肌も荒れちゃうしね」


 ちょっと過保護なところはキモいけど。




「お金払いますよ」

「いいって。自分と少年の仲じゃないか」


 レジで財布を出そうとした翔を片手で制止した綾沖はそんなことを言った。


「僕らってそんな親しい仲でした?」

「自分が若者好きってだけだ。気にするんじゃない」

「まあ、払ってくれるならお言葉に甘えますけど……」


 一時はあれだけ言われたのに……。心の友面されるのもなんだか違和感だ。


「ところで、あれはいつもやってるのかい?」


 店を出ると、綾沖は不思議そうにある事を翔に尋ねる。


「なんです?」


 すっかり宵闇になった、夏風が吹く涼しい空の下。

 綾沖が指を差したのは、歩道橋通路の道脇でスタンドマイク片手に歌う若い女性。


「あー、たまにやってますね。昔からここの路上ライブは有名ですよ」

「へぇ……面白いね」


 綾沖は遭遇したのがめずらしいのか、好奇心旺盛ながらに遠巻きに眺める。


「……もっと近くに行きますか?」

「いいや、ここからでいいよ。この格好だからさ」


 綾沖は、アピールするみたいにスーツの肩の部分を両手で引っ張った。


「いや、あなたはそのワイキキなサングラスを外さない限り、バレないと思いますけど」

「なら、都合がいいな」


 二人は、目立たないように歩道橋の手すりに身体をもたれかけて、耳を傾けた。

 曲は数年前に流行った、しっとりとしたアコギ一本で奏でられるバラード曲。

 横目で綾沖を覗き見ると、リラックスした雰囲気で聞き入っていた。

 翔もそれに倣って、ただ、じっくりと。

 そのときを心地よく楽しむために、耳を澄ませた。


 曲が終わった途端に拍手の手が聞こえてくる。

 女性を囲んでいた数人程度だった人の数は数倍以上にもなっていた。

 女性は深々と頭を下げて、何度も感謝の言葉を絶え間なく、送った。


「本当は」「実は」


 しばらく沈黙していた、話し出しのタイミングが綾沖と重なった。

 綾沖に促され翔はひっそりと胸にしまっていた想いの内を明かすように口を開く。


「本当は、神坂美成子には驚きも失望もしてないんです」

「どうして?」

「僕の中で、神坂美成子は冷たい人間だし、これくらいやるのは想定内だったから」


 なにより、騒いでる世間はてめーが勝手に期待して、勝手に失望してるだけだ。

 だから、他の奴のお気持ち表明意見なんてどうでもいい。クソくらえだ。


「じゃあ、少年はどんな表情をしながら、象徴を見たい?」


 綾沖は、翔の一番言いたいことを汲み取るみたいに問いかけた。

『象徴』だなんて、まったく大層なことを言ってくれる。

 なんてことはない。

 僕の希望は些細な配慮一つで、たぶん叶ってくれるはず……なんだ。


「僕は笑ってみたい。あの時『リトルロックドリーム』を一緒に笑ってみたかった」

「エーデルサイドの曲をカバーすることは禁止されてるからね」

「はい。知ってます」

「しかもファイナルで」

「はい」

「即失格はルール上当然なんだよ」

「そうなんですけど!」

「切り返して来るのかよ」


 ルール違反は重罪で、番組潰しだ。

 でも、そこじゃない。

 僕が感じた、最大の違和感。

 変わっちまったなんて言わない。だけど、拭いきれないものがそこにはあって。


「神坂美成子には、笑うくらいの余裕がなかったように思えたんです」

「笑うくらいの余裕……?」

「実は僕、エントリーナンバー八十七番のことを事前に知っていたんですよ」

「そうだったのか? それは一体どこで……」

「ああ、偶然三次の前に廊下で目についたくらいですよ? ですけど、勇気を奮い立たせて、一度のチャンスを棒に振った彼女のことを、僕は知ってしまったんです」

「あれは意味のある妨害行為だと?」

「僕は、そう思いました」


 情に流されたなんて言うけど、冷たい人間よりかはそっちの方が僕はマシだ。

 その行為にどんな意味があったのか、知る由もなく、振られてしまった彼女を。


『先輩は、大好きな神坂美成子の顔に泥が塗られたままでいいんですか?』


 そう。

 だから、僕は神坂美成子をすることができないんだ――。


「覚悟は決まったらしいな」

「はい。たぶん、心のどこかで否定していただけで分かってたことなんですけど」

「彼女のリトルロックドリームは、それほどまで、少年の心に響いたか?」

「それは……言うまでもないですよね。貴方なら」


 翔の自信のあり様が綾沖にも伝わったのか、男も翔と同じ顔をしてこう言った。


「ああ。間違いない」


 あの時三次と同じように。


     ※ ※ ※


「ところで、綾沖さんは何を言いかけたんですか?」

「自分は……」



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