第二十四話「最終選考:不信」
ついに始まったオーディションの終幕。最終選考。
最終選考は指定された課題曲と自身が決めた自由曲の計二曲で審査される。
点数は一曲十〇点満点。壇上に立つ代表審査員も含めた過去優勝者の計五人がそれぞれ二十〇点の持ち点を持っており、百点満点中、一番点数が高かった者が第六回ボーカルオーディションの優勝者になる。
「一人目の方はステージに登壇してください」
美成子の掛け声に応じる挑戦者の一人はゆっくりと壇上への階段を踏みしめて歩く。
配信でも感じていたが、このステージ……妙に声が通る。
マイクがなくても声が響くのではないかと思うくらいの設備。まるで、ここの会場自体が大きなレコーディングスタジオといってもいいくらいだ。
そのせいか余計、沈黙の時間が目立っている。
トップバッター。ステージに登場したのは見覚えのある顔。
(あれは……)
エントリーナンバー二百三十二番の半袖半ズボンが特徴的な中年女性。
彼女はバラード調の曲が得意でビブラートを活かした歌い方が持ち味だ。
四次審査でもバラードに関しては持ち前の歌唱力で他を圧倒。右に出る者はいないとおじさんも太鼓判を押していたほどの実力者だ。
まずは、三曲あるうちの課題曲だが、選択してくるのはバラードだろう。
「お願いします」
トップバッターの、最初の、声。頬から空気を抜かせてゆっくりと口を開いた。
予想通り、バラードだ。
歌い出しは多少強張っているが、上々だろう。
地力がある歌唱。声の使い分けがパートごとに卓越しているのがすぐ分かる。
なにより彼女自身が緊張というしがらみから、徐々に解放されるように気持ちよさそうに歌っているのが分かる。自分の『歌』に自信を持って、向き合っている。
「ありがとうございました。次、どうぞ」
審査員が無機質にも捉えられそうな馴染みのある声でそう声を掛ける。
「は、はい。聴いてください。曲は――」
流れを削がれた挑戦者は戸惑いを見せながらも、自分が選曲した何度も練習を重ねてきたであろう勝負曲ともいえる自由曲を最後まで歌い切ることに成功した。
さすがは自分の持ち曲と呼べるクオリティ。
プロにも引けを取らないレベルの歌唱力を彼女は、披露した。
「採点に移ります」
満身創痍の挑戦者にそう声を掛けると、対照的に表情に変化の色が見当たらない審査員は、ペンを持ってホワイトボードに点数を書き始めた。
そして、
「書けました」
と、数字を書くにはあまりに早すぎる一振りで美成子は点数開示の合図を出した。
翔は、一抹の可能性が頭をよぎった。
点数をこの場で発表するのは代表者である美成子一人だけ。過去の傾向から二十〇点中八点を超えれば上出来、十三点を超えれば逸材、十五点を超えれば内定圏内と言われた。
しかし、第四回五回からは『初代』が高評価した人物が優勝することはなかった。
傾向が変わったんだと思った。審査員の挑戦者に対する評価する傾向が。
エーデルサイドが主催するこのオーディションの応募総数は年々、数を増している。厳正な審査をするためにも、エーデルサイドは何らかの方針を決めるべきだと僕も思う。
だけど、それは時期的にある一人の審査員の追加が重なる時期でもあった。
第三回優勝者である神坂美成子が審査員として、加入した時期でも――。
「はい、貴方の得点は一点です」
淡々と告げたその一言。
挑戦者の悲壮感に満ちた顔が、僕の瞳に、カメラに、晒された。
「聞こえてますか? ご退場は左の扉です」
「ど、どうしてですか!? 納得する理由を……」
顔が青ざめていく挑戦者は、しどろもどろになりながらも必死に理由を求めた。
傍観している、翔の背筋はさらに寒くなる。
「貴方はもう伸びしろがないから。それだけ」
嵐にも似たどよめきが会場を揺らした。
審査員の声は実に単調で、淡白で、そして、冷たい。
これが現実で、これがプロフェッショナルの世界。
「次、どうぞ」
翔は手元にあった資料にもう一度、目を通した。
※ ※ ※
「あ……ども」
最終選考の半分が終わった休憩時間。
裏口から顔を出したのは、昼に出会った橙柄のサングラスをかけた陽気そうな男。
「外に出てどうかしたのか? 恋の悩みなら聞かせてほしいZO★」
昼と変わりない、スーツ姿の中年の男は明るい口調で振舞ってきた。
「どうしてここに?」
「廊下を走っていく君の後ろ姿が見えたんだよ。あ、つけてきたわけじゃないよ?」
警戒心を強める翔に男は両手を振って、潔白を示す。
「つけてきてるじゃないですか」
ただ、ここは裏口の扉を抜けたところにある休憩所でもなんでもない脇道だ。
「そりゃあ、顔を青くした少年を見かけたら、追わないわけにはいかないからね」
男は包み隠さず、心配していたことを正直に話す。
「吐いてはないです。ただ、外の空気を浴びたかっただけで」
「ほんと?」
疑り深い目でこちらを覗いてくる。
「本当ですよ」
「そっかー。なら良き良き」
男は安堵すると、
ワイシャツの胸ポケットから紙巻たばこを取り出し、一本くわえた。
「ガムはどうしたんですか」
「飽きたから捨てた。というか、誤魔化してただけだけど」
なんだ、喫煙者か。
火を点けて、まずは一吸い。
男は顔を上げて清々しそうな顔をした後に、口から煙をゆっくり吐いた。
「美味しそうに吸いますね」
「これはあげないよ。将来有望な若者が吸うもんじゃない」
「若者思いですよね。おじさん」
「そうか? 自分は意識したことないぞ」
おじさんは能天気に、ニッコリと、笑った。
そんな笑顔を崩してみたくなったのか、翔は確かめたくなった。
「おじさんは、エントリナンバー二百三十二番さんって、覚えてます?」
「そりゃ、もちろん。自分がおすすめしたビブラートが持ち味の中年女性だよね」
「彼女、最後だったんです」
「最後じゃなくて、最初だったよな。トップバッターって」
「今年で最後のチャンスだったんです。来年はもう三十歳なんです」
「それは、結婚が大変だね……」
「もう二度と。エーデルサイドのオーディションを受けることはできないんです」
お茶らけていた男も、畳み掛けたお気持ち表明には気付いたみたいで。
「あー、参加資格を失うってこと」
空気を読んで、声色だけを少し低くした。
「エーデルサイドは若者を輩出するレーベルですから、老害は要らないらしいです」
「そりゃ残念。若者万歳だね~」
「あなたの見解は残念……だけですか?」
「そうだけど?」
それ以上言う言葉はない。
翔はそう、冷たくあしらわれた気分になった。
やるせない想いが小さく、けれど、確かにこみ上げてくるのが分かった。
「そんな、一つの言葉で済むものではないと、あなたは分かっているはずですよね」
「無念って、言った方がいいかな。生まれた時代がもう少し若かったら……」
「夢が叶っていた、と言い切れるんですか?」
「…………」
言い訳がましく、喋りっぱなしの男は遂に黙った。
「黙秘、ですか?」
「黙りもするさ、自分には……何もすることができない」
絞るように出した、男の淋しい本音。
あなたが感じているのは、ただ傍観するだけの無力感でしょうね。
「……夢を見ていたのは、僕だけだったんですね」
将来有望な歌手の卵に、一緒になって期待を寄せたあの時間。
男の笑顔の裏が、こんな消極的だったということに失望せずにはいられなかった。
「分かってくれ。自分は神じゃない。審査員のさじ加減なんて知る由はないよ」
「さじ加減だなんて言わないでください。審査は公平なはずですから」
「公平、だと?」
その単語を聞いた途端、男の向ける瞳の色が変わった気がした。
「はい。そうじゃないと、オーディションは成立しない」
「この期に及んで何を言ってるんだ? だって、君は……」
と、男はそこまで言った途端、突然思考を巡らせるように、固まる。
そして、線と線が繋がったみたいに、嫌味らしく、頬を緩ませてこう言う。
「肝心なところは否定しないんだな、イエスマン」
「…………」
「少年。
僕にだって、曲げられないものはある。
それがたとえ、信じ難い事実の可能性があったとしても。
じきに男は夜空を背景に腕を振り上げて、開いた自分の手の甲を眺めた。
「夢が叶う人間なんて一握りさ。あの五人はスーパーレアケースだよ。そんな中、彼女はベストを尽くした。だけど、壁は高く、暑く、届かなかった。ただ、それだけ」
「彼女の努力は一点の価値でしたか?」
「自分にわかるもんか。そういう質問が一番嫌いなんだ」
「他人の価値を測ることが嫌い? あれだけの感想を書いておきながら――」
「少年」
「……なんすか」
ぶっきらぼうに返す翔。
なんとも言えない空気の中、男は口調を変えて言う。
「実は、結構なガキだろ。その挑発には乗らねえよ」
「ガキですよ。僕、神坂美成子の同級生ですから」
「っ⁉ そういうことかよ……」
挑発に乗った男は狼狽したみたいに驚きの表情を隠さない。
自慢みたいになってしまったが、言ってしまったものは仕方ない。彼女の力を借りて、ヒートアップしたこの場を収めるためにも。
「はい。だから……」
「今のは聞かなかったことにしてやる。とっとと失せてくれ」
途端に男は態度を急変させる。
嫌悪感を剝き出しにさせて、追い払おうと、翔を睨みつけた。
「あ、あなたの名刺を受け取るまでは消えませんよ。他社の営業の方ですよね?」
「自分は趣味でここに来てるだけだ。決して、大手から漏れたおこぼれをスカウトしようだなんて一ミリも思っちゃいねえ」
「服装と言葉は一致させた方がいいと思いますよ」
律儀にスーツを着ている時点で見え見えだ。
「しかし、少年とは仲良くなれそうな気がしたんだがな」
「同感です。あなたの見解をもう少し聞きたいという気持ちは変わらないですから」
「別に怒ってるわけじゃないんだ。ただ、気に食わない人間がいるだけで」
「友達の友達は嫌いみたいな理論やめてくださいよ。まあ、あなたから教わったことは忘れませんよ。僕もライブ全通するくらいにオタクなんで」
「なんだ。同族かよ」
男は翔と話すうち、
強張っていた顔はほつれた糸を解くみたいに、徐々に柔らかくなっていった。
「少年に免じて、名刺はくれといてやる。若者には優しいんだ、自分」
「僕にですか?」
「少年以外に誰がいる。それと、そこに書かれた名前は本名じゃないから」
「これがおじさんの名前ですか?」
「だから偽名だって」
「てっきり、喧嘩別れの流れだとばかり思ってましたよ」
翔は、男からもらった名刺を噛みしめるみたいに強く握る。
「自分も思ってた。けど、少年とは不思議な縁を感じたからな」
「その縁ってなんですか?」
「ああ、それは秘密だよ。まあ、一つ言えるとするなら、自分は認めたくないかな」
「えーと、何の話でしたっけ」
「価値観の話」
「あー、価値観」
「二十点中一点しかもらえなくても、その一点を憶測で判断するな。そいつにとってその一点はUFOだって呼べるかもしれない一点だ」
「自分にとっては、価値のある一点……」
ああ、だから……と言葉を続けて、男は慎重な面持ちでこう言った。
「少年は、少年だけの答えを導き出せよ」
自分だけの答え……か。
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