第二十三話「最終選考:司会」
耳にも、頭の中にも、響くような、重みのある時計の針の音。
一刻一刻と、メトロノームのように一定の音を合図に時が過ぎていく中、
「最終選考の準備が整いました。関係者席までお越しください」
空間を破るような掛け声とともに、翔の意識は覚醒する。
「……分かりました。すぐ行きます」
男に連れられる形で、翔は最後のステージへと誘われていく。
応募総数計三万人にも及んだ、ボーカルオーディションの集大成。
世間も注目が集まる、エーデルサイドの最終選考が今、始まろうとしていた。
楽屋のある通路を抜け、そこに足を踏み入れた時、ステージより最初に目についたのは、人。四次審査までとは人の量がまるで違う、関係者席の埋まり具合だった。
張り詰めるような、ピリピリとした緊張感。
社会科見学に来たけど、迷い込んでしまった小学生のような気分だ。
『まもなく、最終選考を行います。各々、指定された席に着席してください』
アナウンスの声が会場内に響き渡る。
最終選考まで勝ち抜いた参加者は、わずか52名と発表された。
最終選考を通過し、第六回ボーカルオーディションの歌姫に輝くのは1名のみ。
従来のエーデルサイドならではの、正真正銘、勝ち抜き方式である。
挑戦者らはアナウンスに気を取られることなく、それぞれがステージ前に並べられたパイプ椅子に座り、ただ、時が過ぎるのを待っていた。
背中から一目で分かる、身体の震えが収まらない人、手のひらに何かを必死に書いている人、それぞれが夢を掴み、スターになるための審査を待っていた。
画面越しでは感じることのできない現地の空気感、雰囲気がまるで違う。
たぶん、このあたりで……
と、そのとき、会場の灯りが突然奪われるように暗転。
ステージ上にある、一筋の照明だけが誰もいない檀上を小さく照らした。
「えー。エーデルサイド主催、第六回ボーカルオーディション――」
タイトルコールとも呼べる、何者かの掛け声。
女性の声が流れた途端、ざわざわと会場内に不穏な空気が流れた。
それは歓声とも捉えられるような、最終選考にはふさわしくない黄色い空気。
最終選考には毎年、司会兼代表審査員として、過去優勝者一人が……いや、一人だけが檀上に立つことが決まりとされている。
選ばれる基準は前年度の実績であり、円盤の累計販売数が過去優勝者の中で最も多かった者、その一人だけが立つことのできる光栄なステージとなっている。
そして、この黄色い歓声の原因は、やがて、コツンコツンと靴音を鳴らしながら、トレードマークの長い髪とともに、唯一、光に照らされた場所に悠然と姿を現した。
「代表審査員の神坂美成子です。お見知りおきを」
半年ぶりに公の場に姿を現した、美成子の挨拶に会場はどよめきの嵐となった。
事前発表はなし。世間がサプライズなことに間違いはないが、関係者に聞いた話によると、週ごとにエーデルサイドの過去優勝者の円盤売り上げ数を計算している人間が、「今年は神坂美成子の方が上だ」と事前に司会者を特定していたらしい。が、活動休止から今日まで神坂美成子からもエーデルサイドからも音沙汰なしだったため、出るわけがないと高を括っていた、というのが世間の認識らしかった。
しかし、まあ……会場でこの調子なら、外では祭り状態だろうな。
ステージ前で、平静を取り繕っていた挑戦者も本物を前にして、取り乱している者が何名か目視できる。彼女の登場がプレッシャーの要因にならなければいいが。
「今日の私はあくまで代表審査員です。ですが……配信をご覧の皆様には『ご無沙汰』と言った方がよろしいでしょうか? それは否、視聴者は私の友人ではないですから言葉選びは不要ですね。失礼しました」
美成子は流暢にいつもながらの塩っぷりな演説をしてみせる。
久々に見る舞台上の忖度ない彼女のトークはどこかお喋りなように見えて、どこか新鮮に思えた。それと、ウィッグの影響だろうか、依然と変わりないロングストレートが関係者席からはいつも以上に眩しく見えた。
やっぱり、長い方がいいな。
「さて。配信をご覧の皆様はお気づきかもしれませんが、私が一つしかない玉座を奪い、ステージに立っているということは、どういうことかお分かりでしょう」
声のトーンが変わったような気がした。
この空気は……過去五回で代表審査員だった初代が毎年やってた、日頃からお世話になってる皆さんに感謝の気持ちを伝える恒例のやつだ。
「一応、用意してきたことを話そう、と思います」
多分だけど。
神坂美成子は今、人生史上一番と言っていいほど、世界から注目を浴びている。
尊敬、愛慕、崇拝、敬慕、礼讃、畏怖、嫉妬。
檀上を、モニターを、テレビを、音を、見聞きしているであろう世界。
半年ぶりの復帰、オーディション史上初の代表審査員の交代、今後。
抱えているものがあまりにも、大きすぎる。
そんな彼女が今から、何を語るのか。ファンとして、楽しみだった。
「私の取り柄は歌だけです。地位も名声も富も、勝手に付随してきたものです」
神坂美成子は正解しか言わない。
この瞬間、僕はそう確信してもいいんじゃないかと思った。
「私は貴方たちには一切、期待していません。今日はよろしく」
会場は再び、どよめいた。
今度は最終選考らしく、意味が変わって。
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