第二十二話「四次審査:真意」


『はい、応援してます。それも自信があるくらいに』


 まさか、本人にあそこまで言っちまうとはなぁ……。

 勢いって怖い。

 だけど、あのときの胸の高鳴りはたしかだったんだ――。


     ※ ※ ※


 数時間前。


 痴女不審者と密談し、自分の楽屋に戻って落ち着いてきた頃。

 瀬崎翔は衝撃の事実に気付くことになる。


「アンケートに答えるだけで弁当が一つ無料になる……だと?」


 無残に空になった弁当に付属していた広告チラシには、確かにそう書かれている。

 裏面を見てみると、『弁当譲渡にあたり』という注意事項が記載されていた。


『正午に行われる四次審査はボーカル面を計る審査であり、これまでに通過した参加者を十分の一以下にまで絞り、名誉ある最終選考へつながる、審査であります』


 エーデルサイド主催のオーディションについての概要だろう、しかし、この言い方だと、四次審査で十分の一まで絞るというのは既定事項なのだろうか。


『関係者各位の皆様には審査員が適切に審査を行えているのか、アンケートをお願いしたいのです。回答いただいた方には、もれなく受付にて引き換えることのできる弁当無料券を数量限定で配布しますので、ご協力のほど、よろしくお願いいたします』


 審査員が適切に審査を行えているのかどうか……?

 つまり、審査する審査員を精査するためのアンケートということだろうか。


「……って、思ってたのと違うな」


 机に置かれていた何束にもまとめられたアンケート用紙らしきものには、ずらりと文字を書くであろう余白スペースがプリントの半分を占めていた。

 こういう記述系の問題はとばしてきた人生の僕だが、果たして大丈夫なのか。


「なになに……①審査員はどうしてそのような評価を付けたのか、②審査員はどのような観点からそう判断したと考えられるか、③審査員は……って、もう長いな」


 おまけに、参加者が変わるごとに全質問に答えなきゃならないらしい。

 ご丁寧に全質問に文字数制限までされている、200字は割と多いぞこれ。


「他に救いはないのか、補足的な何か……あ、あった」


 プリントの左端に小さく『※』と注意事項とされる記号を見つける。

 既に意地汚く見えるのが、嫌な予感しかしないが……内容は。


『補足ですが、最低50人以上書いていただければ、弁当一つを差し上げます』


 鬼畜――!


 単純計算すると、

 200×3=600 600×50=……


「つまり、三万文字……⁉」


 タイピングが人並み以上に速いと言われる翔ですら、10分に1000文字が限界。

 そして、オーディションは一人あたり、そこまでの時間は取らない。四次審査の時間帯は13:00~20:00でその間に今残っている600人を審査するのだ。個室で同時に行うとはいえ、一人一人時間は限られているだろう。


 まあ……


「どうせ、見る予定だったし、『そう思った理由は〇つあります』戦法で行けるか」


 気品ある小さな高級弁当で腹が満たされていない翔はヤケクソのまま、ペンとプリントを持って、ステージへと赴いた。


     ※ ※ ※



 四次審査で測られる能力は、歌唱力。大雑把に言うとカラオケだ。

 エーデルサイドから事前に提示された課題曲の歌い上げが審査対象となっている。

 参加者はステージ上に用意されたレコーディング設備が搭載された白い防音室へ順々に入り、外の世界とは遮断された状態で審査することになっている。


 では、審査や映像の配信は密閉空間の中でどう行うのか。


 歌う姿は個室内に設置された小型カメラで生中継、大型モニターも音声出力もない現地には、便利なことにエーデルサイド公式HPから配信される音声チャネルから無料で聴ける仕組みとなっている。


 さすが、六年連続で大型オーディションを実施しているだけはある。


「そろそろ……か」


 翔は持参してきたイヤホンのコードをケータイに差し、耳にハメた。

 グループはA~Eに分かれていた。どこを聴いてもいいのだが、参加者はエントリナンバーでしか判断する方法がないために、番号を忘れることだけは避けなければ。


 うーん……五の位で覚えやすいEグループにするか。


『エントリナンバー五番です。よ、よろしくお願いします』


 緊張で強張った印象の女性の声。

 トップバッターに選ばれた人間には同情する。僕は最後より最初にやりたい派だが。


 そして、掛かったような落ち着かない息遣いとともに、四次審査は始まった。




『あ、ありがとうございました……』


 あれから一時間が経過した。

 耳からは悲壮感を漂わせる自信を喪失した声が聞こえ、

 審査員から判定が言い渡される。


 手元にはペンの先でつついた黒い点々の跡のついた、白紙のプリントがあった。


 え。やばい、全然書けてない。


 瀬崎翔は焦っていた。そして、自覚し始める。

 もしかして……僕って、ネットサーフィンは常日頃からしているおかげでタイピング速度だけ鍛えられた、文章力にはまったく長けていない平凡戦士だった、のか?


 そんなこと言っても仕方ない。とにかく、600字埋めることだけを考えよう。


「進捗状況はどうかな?」

「問題ないですよ! 支離滅裂な単語の羅列を書くつもりなんて一切……」


 流暢に返答したはいいものの、背後から聞こえたその声に聞き覚えはなかった。


「おっと、失礼。若い人間には目がないものでね」

「え、あの……」


 真っ青に染められたネクタイにしわひとつ見当たらないスーツ姿の中年くらいの男は有無を言わずに隣の席に座ると、翔が右耳に付けていたイヤホンを勝手に外して、


「聴いてみるといい」


 男が付けていた自分のイヤホンを渡してきた。


「えっと……」

「状況が読めないかい? 説明すると、自分が聴いているのはBグループの音声だ。事前に目星を付けていたから有望な人材が揃っているはずだよ」


 世界が自分を中心に回っているような言いっぷりな、余裕そうな男。

 宗教の勧誘でもされているような気分になる。


「あなたは一体……」

「ん? 自分は不審者ではないよ。格好をみればわかるはずだ。そのくらいのこと」


 ぼさっとした茶髪に触り心地の悪そうな髭面の男性。

 目元はビーチで使うようなオレンジ色のサングラスをかけていて見えない。

 男は気さくに話しかけてくるが、記憶違いがなければ、初対面の人間なはずだ。


「スーツ……。大人の方ですよね」

「そう、大人。だけど素性を明かすわけにはいかないんだ。仕事で来ているから」


 誠実性を感じるきっちりとしたスーツ姿、業界の人間以外に他ならないだろう。

 正直、面倒だ。適当なこと言ってどうにかするか。


「実は、僕も……関係者です。あまり手の内を明かさない方がよろしいかと」

「ならちょうどいい。ほら一回、聴いてみなよ」


 話を聞いてないのか? これ以上話すのは厄介なだけだな。


「遠慮しときます。では――」


 翔は席を勢いよく、立つとその場から颯爽と逃げるように去る……


「順番は……Bグループの進み具合からするに八十番まで回った頃だよね」


 はずが、立ち止まった。


「……なんで、僕がEグループを聴いてるってわかったんですか?」


 それを訊くと、男は顔に表情が出るのを抑えながら、目を細めて思慮深く言う。


「リズムだよ。身体の揺れ具合だったり、表情のタイミングとか、人間観察っていうの? 声色だけでなく、顔だけでなんとなく分かるんだよ。自分この道長くてね」

「まるでフィクションの登場人物みたいな喋り方ですね。変な立ち方とかしそうな」

「そのアンケート用紙を埋めることもできるけど、どうする?」

「いいんですか⁉」


 翔はワンワンと飼い主に迫る犬のような勢いで、男に近寄る。

 信じてはいないが、埋めてくれるなら話は別だ。


「急に食いつくな……。少年、よく単純だって言われないか?」

「僕の友人には何度も言ったことあります」

「類は友を呼ぶってやつね。クッソ、おじさんも青春してえなぁ……」


 おじさんらしい男は、首を絞めていた青いネクタイを緩め、スーツの懐から出した細長いチューインガムを噛んだ後に、束になったプリントを膝の上に置いた。


「こっからは緩くいこう。ガムは欲しいか?」

「歯が悪くなるのでいらないです」

「そりゃごもっとも。少年はどのくらい書けた?」

「僕は……」


 見栄を張りたいところだが、助言をもらうにはいいチャンスかもしれない。

 この人なら笑って済ませてくれそうだし。

 えーと……ついさっき、歌ったのはエントリナンバー八十番。

 だから、そこまで来て、書けた人数は16人中……


「2人くらいっすね……」

「おめえ……やばいな。少年」


 普通に引かれたし!


「それで、よくここに来れたな。人脈辿ってやってきた招待客か知らんけど、この業界、ぬるま湯に浸かってる場合じゃないよな」


 めっちゃ言われるし! 大人の事情含めて重そうだし!


「い、いいじゃないすか。僕、お腹空いたんですよ」

「お腹……? ああ、少年はそれが目的か」

「他に目的があるんですか?」

「いいや、少年には関係ない話だから大丈夫」


 きっぱりと言われる。


「そうですか……」


 これ以上、訊くのはよそう。


「ちなみにだが、おじさんはもう20人は書けてるぞ」

「20人⁉ まだそこまでやってないですよね?」


 見せびらかしたプリントの束は確かに文字の羅列で埋まっている。

 だが、グループごとに歌う課題曲は同じなはず。

 全体同時並行で次は17人目のはずだ。


「同時並行で聴いてるのさ。人間には耳が二つ付いてるんだ。有効的に使わないと」

「人間業じゃないっすね……」

「自分は人間だよ。れっきとした非凡な人間だ」


 おっさんがそれなら、僕はミジンコ以下になっちまうよ。


「ちなみにどのグループを?」

「右耳でBグループ、左耳でCグループだな」

「じゃあ、僕が聴いていたEグループは……」

「さっきも言ったが、身体が踊っていなくても、リズムに乗ってる人間は大抵見分けがつく」

「……つまり本当に?」

「ああ。視力がいいからできる、観察力の賜物ってやつだな」

「視力どうこうの話なんですか、それ……」


 が利くなら、別の仕事やった方が儲けられそうな気もする。例えば、探偵とか……って、僕の知り合いには、噂を聞き逃さないがいたな。もう二人でコンビ組んでSSでも書くか。


「だとしても、短時間でそんなに書けるのっておかしくないですか?」


 まだ始まって一時間だ。それに、これだけ早いなら筆跡が読み取れないくらい汚い可能性だってある。


「不満そうだな、少年。でたらめでも書いてるんじゃないかと思ってるのか?」

「思いたくもなりますよ。僕なんか全然……」

「確かに少年は非凡かもな。だが、その2人はなんだ?」


 男が指を差したのは、翔が苦し紛れに書いたもの。


「どうして2人は書けたかと? それは特徴的な声だったからです」


 一人は、オペラ歌手のようなビブラートが効いた響くような声。

 二人は、陰鬱とした声色で最後まで歌い切った、根暗な声。

 いずれも特徴的であり、審査員の判定に頷ける部分が多くみられ、感想を書くには最適な声だったとしか言わざるを得ないと自負していた。


「少年は、算数の一問目みたいなサービス感想だったって言いたいのか?」

「まあ……そういうことです」


 小声で呟くように告白した翔を見て、男は流暢にスピーチを始める。


「コツは、顔も名前も知らないそいつのファンになりきることだ」

「ファン、ですか……?」

「想像は自由だ。美人を思い浮かべてもいいし、田舎娘を思い浮かべてもいい」


 顔を思い浮かべる……確かに今までになかった発想かもしれないけど、

 それでスラスラ書けるようになるとは到底、思えない。


「美人と田舎娘は対照的ですね。どっちで想像するのがおすすめなんですか?」

「それは自分次第。そして、これから自分の一番のファンである彼女が歌う」


 彼女……? 

 誰かと尋ねようとしたときには男の横顔は曇りのない真摯な顔をしていた。

 すると、中年の男はもう一度、翔にイヤホンを手渡してきた。


「グループB、エントリナンバー八十七番。彼女の歌声を君にも聴いてほしい」




 彼女が歌い終えるまで、どのくらいの時間が経っただろうか。

 翔は脱力したみたいに、イヤホンを耳から外した。


「どう聞こえた?」

「音程が不安定で、いつ外してもおかしくない声の乗せ方だと思います」


 翔は自分で感じたことを正直に話した。


「そうなの。自分が推してる子の歌っていつもへたっぴなんだ」


 ファンと言っていた中年男は、怒るわけでもなく、翔の意見に同意を示した。


「そこは擁護しないんですね」

「それは事実だ。事実だからこそ、輝いているのかもしれないけどな」


 素人目で見ても、ポテンシャルも実力も正直、届いていないことが分かる。

 けど、けどさ――。


「彼女は、何番でしたか?」

「八十七番だね。残念だけど、彼女の合否は……」

「いえ。覚えておくために確認しただけなので」


 彼女は彼女なりに這いつくばりながらも、夢を勝ち取ろうとしているんだ。


 翔の頭に浮かんだのは、魂を燃やして歌唱する姿。

 どんな人間か想像することは、自身の中で理想像を作ることであり、


「少年、楽しそうだね」


 自分にとって、都合の良い、を作ることができる。


「八十七番。応援しないわけにはいかなくなりました」


 歌に向ける一直線の情熱。

 ただ、それだけが、瀬崎翔の胸を熱く、滾らせた。


「そうだよね……うん。そうだ」


 翔の言葉に、男は同調するように深く頷いた。




 その後、翔は男のプリント用紙をほぼ丸写しして三十人分ほど稼いだ。

 これにはさすがの僕も遠慮の言葉を一度入れたのだが……


「大丈夫、バレないように自分の文章を変えとくよ。遠慮はいらない」


 男は信頼関係を築ける友人には親切に接するのがポリシーらしい。


「音楽を、楽しんで」


 別れ際、中年の男は親指を突き立てながら、捨て台詞を吐いた。

 

 ちなみに。

 目的だった、肝心の弁当は品切れ状態だった。

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