第二十一話「本番前:控え室」


 あの嵐のような出来事から数時間後。

 扉をコンコンと叩く音が聞こえてくる。


「はーい、こんにち……は?」

「こんにちは」


 午前中に会った付き人とは声質から違う人物。

 顔だけ見えるくらいまで、扉をおそるおそる開けると、男は次の瞬間。


「うわぁ!?」


 と、翔をすっ飛ばすくらいに扉を強引に全開にした。


「あ、あの……どうかされました?」


 黒いスーツを身に纏った巨人のような男は、部屋を見渡しているように見えた。


「失礼。お怪我はありませんか?」

「え、ええ……。大丈夫ですけど」


 振る舞い方からして、午前中の付き人とは別人のような横暴さだ。


「なにか用ですか?」

「不審者を見ていませんか?」

「とととととと、特にそのような輩は見てないですけど……?」

「左様でしたか。それは失礼しました」


 男は翔の回答を訊くと、深々と頭を下げ、すんなりと自分の非礼を詫びた。

 まるで、そうプログラムされたAIみたいな挙動だ。


「どうして、そのような不届き者が?」

「二次審査の一週間前から、ステージと出演者様の楽屋を繋ぐ、連絡通路の監視が甘いとの噂を聞き及んだため、問題がないか、こうして聞いて回っているのです」


 単純なセキュリティ面の問題なのか。厳正なチェックが行われているイメージがあったけど、意外にザルだったりするのだろうか?


「守衛さんが監視されているのですか?」

「はい。そのはずなのですが、どうも普通のイベントと勘違いしているらしく、身の入らない業務という話もあり……」

「な、なるほど……」


 普通じゃない、か……。たしかに、このイベントは普通じゃないな。

 もちろん、ビキニ姿の痴女と楽屋前で普通に話せる状況も含めて普通じゃない。


「たかがテレビ番組と思わないでいただきたいものです。未来ある少年少女の人生が懸かっているといっても過言ではないのですから」

「ですね!」

「いいや、テレビに留まらず、今はネットでも手軽に見れてしまう時代ですか」

「ですね!」

「このオーディションが始まって、今回で六回目。歴史も重なれば人も重なるために、こういった事態は免れないのでしょうが。いやはや、恥ずかしいものです」

「ですね!」


 ――沈黙。


「はい?」


 男の身体がどことなく、前傾姿勢になる。


「いえ、毎回楽しませてもらってます!」

「それは……何よりです」


 直立不動の男の身体がそれ以上、前に進むことはなかった。

 男は気を取り直すように、スーツの首元の襟を軽く手元で触る。


「瀬崎様。彼女がお呼びです。楽屋までご案内させていただきます」


     ※ ※ ※


 案内されたのは、ステージに一番近い部屋。

 中に入ると、壁一面に鏡が貼られた前で、数人のスタイリストに囲まれながら、神坂美成子は支度を始めていた。


「ようこそ、こちら側の世界へ。瀬崎さん」

「ど、どうも……」


 鏡越しに視線を合わせて、挨拶を交わす。

 美成子の顔はどうにか見える程度で、首から上にかけて、四方から手が加えられている。見る限り、お手入れ中らしい。


「朝からいる割には思ったより、元気そうですね。退屈はしませんでしたか?」

「まあ、それなりには楽しんでましたよ」

「タキシードは用意しなかったのですか?」

「え、ああ、それっぽい紺のスーツは着てきましたけど……ダメでした?」


 その言い草だと、まさか、タキシードをご所望していたのだろうか。

 それとも、この収録はタキシードを着るべき神聖な場所と言いたいのか。

 あのガードマンたちのように。


「いいえ。お似合い、だと思います」

「それは、よかった」


 そんなことはないらしい。


「ところで、私の普段の言動、発言は客観的に見て、刺々しいですか?」

「まあ……頭に角が生えた程度には?」

「それは、すべて演技です。貴方の思い描く神坂美成子の人格にするための」

「もし演技だけで神坂美成子になれるなら、容姿も真似ている僕の友人Bはもう神坂美成子になれてもいい頃なんですけど……」

「貴方が流したデマ通り、変わってもらった方がよかったでしょうか?」

「アイツ、歌はあんまり上手くないので勘弁してやってください」

「そうなんですか? 声質は綺麗だと思いましたが」

「それ聞いたら、嬉しがると思いますよ。アイツも君のなので」

「今の私はなっていますか? 神坂美成子に」


 唐突に投げかける、矛盾的発言。

 そこには、不安の色が多少なりともあった気がした。


「なってるもなにも、変わらないと思いますよ~。ずっと」

「久方ぶりの化粧なのです。女性が不安に思う気持ちを貴方は理解できますか?」

「化粧なんかしなくてもいいんじゃないですか?」

「……その理由は?」


 学校生活で普段見せている、元が整っているから。というだけ。

 そんなに食いつかれるとは思ってもいなかったから、翔は言葉に詰まる。


「えっと……あまり、変わらないと僕が思ったからですかね」

「貴方がそう感じたとしても、無様な姿でステージに戻るわけにはいきません」

「一体どう返すのが正解だったんだ……」

「もちろん、分かっていますよ?」

「……なにがです?」


 美成子は言葉を付け足すように、あざとく言った。


「貴方は、私の『ファン』でしたね」


 ファン、ね……。

 盲目的な『ファン』が美成子にとって、どういう存在なのか。

 裏切るような行為をした、僕は果たして、『ファン』と名乗れるのだろうか。


「審査員、不安じゃないですか?」

「なにか不安でも?」

「いや、僕が気になっただけです。審査員は重役じゃないですか」

「それに関しては、不安はありませんよ。はい、ない、と思います」


 回答に悩む間はほとんどなく、その言葉に淀みは見られなかった。


「他人の人生を委ねられる審査員、僕には到底できないです」

「私だって委ねられたくはないです。ですけど、それが仕事ですから」


 仕事と一括りできてしまう。

 その発言は、一層、僕らから遠い存在の人間だと気付かされる。


「どうして活動休止中なのに、この仕事を受けたんですか?」

「ノリです」

「んなアホな。理由を教えてもらえないと納得できないですよ」

「これが、それだけのイベントで、貴方へのファンサービスというだけです」

「ファンサービスにしては、サービスしすぎじゃないですか?」

「もしや……供給過多になってます?」

「同級生シチュまで組み込まれたら、ならない人はいませんよ」


 ――沈黙。


 どうかしたかと、人混みに目を向けると、わずかに瞳が見えた。

 今日、初めて、彼女の姿を見た。


「あの……なにか用っすか?」


 神坂美成子は、狭い隙間からジーっとこちらを覗いたまま。

 翔が目線を数秒合わせ、外したのち。


「プロデューサーシチュも、用意していますよ」


 と、言いながら、神坂美成子は人々を跳ねのけるようにして、姿を現した。


 だぶつくことなく、着こなす黒を基調とする衣装は、休止前に出したアルバムジャケットと同じ、ライダースジャケットに膝が割れたダメージの入ったジーンズ。

 同い年にはやはり見えない。年齢は七、八歳上くらいに思える。シャープで涼しそうな目元に、凛々しく整えられた眉毛がクールさを一層、際立たせる。そして、いくら話を振っても、頬や目尻といった感情の出やすい部分がピクリとも動かないためにテレビ番組の収録で司会の肝を冷やした、あの顔。


 ただ、あの頃と変わったことがあるとするならば……


「髪、切ったんですね」


 振り下ろすような、長い黒髪がないのが寂しく感じた。


「貴方と会ったときには、切っていたはずですけど……」

「いや、そうなんですけどね」


 僕自身、心のどこかでは彼女を神坂美成子ではない、別物として、見ていたのかも。


「いつもの神坂美成子になっていますか?」


 視線を合わせて、真正面から尋ねる神坂美成子本人。


「本物は迫力ありますね。この距離で見たのは初めてです」


 翔は素直に感想を述べた。

 演者の気分を害すことのない、率直な感想で。


「初めてですよ……ここまで私がファンサービスした幸せな人間は」

「まあ、そうですよね」

「私のビジュアル力は53万です。ですが、もちろんフルパワーで貴方と戦う気はありませんから、ご心配なく……」


 そういう冗談を言えるなら、どうして、収録現場のときに言わなかったのか。

 そう訊こうとしたが、現実的な回答が返ってきそうだったので控えることにした。


 鏡を見ながら、最後の確認をする美成子に翔は横から話しかける。


「ということは、この数ヶ月は、すっぴんだったってことですか?」

「頷いて私の株を上げてもいいですが、女性が嗜む程度にはしていましたよ。化粧」

「女子高生でもするもんなんすね」

「私を基準にするのは、辞めた方がいい、と思います。顔には自信があるので」

「よく言いますね」

「これに限っては、事実ですよ。残念ながら」


 今の強気な君を見たら、否定なんか誰にもできないだろうよ。

 きっと、僕が想像していた三年前の弱気で無名な神坂美成子にも……


 頭で考えるよりも先に、口が先走っていた。


「今日のメンバーの中でも、神坂美成子は最上位の人気を誇った歌手ですよね」

「そう思われているなら、そうかと」


 それは、ファンという立場から、言っていいのか悩んでいた告白。


「でも、公の場に立つのは、半年ぶりですよね」

「そうなりますね。私が立たなくても、月日は当然流れるので」


 それは、彼女の期待を裏切るような告白。


「僕は……不安です」

「貴方が不安に思うことは何一つとしてない、と思います」


 だけど、不安のない彼女なら。

 相応の答えを出してくれるんじゃないかって、そう思って。


 僕は――。


「今日一日を通して、好意を持った人が落選しちゃうんじゃないかって、不安です」

「……応援しているんですか? 私以外の女に」


 鏡越しの美成子は、眉をピクリとも動かさずに、平静を保ったまま、言った。

 覚悟はしてたけど、想像していたより、ひどい言い方。


「女って……まあ、応援してます。それも自信があるくらいに」

「独占厨ではない箱推しに寛容な私は、貴方の愚行に目を瞑りましょう」

「ファンには優しいんですね」

「ええ、もちろん……っと、いいかな」


 調整が終わったのか、美成子は上着を羽織ると、翔の横を通って扉に向かった。


「もう行くんですか?」

「ええ、リハーサルがあるので失礼します」

「期待、してますね」

「どうぞ、ご自由に。それと――」

「……?」


 背中越しに言葉を交わす彼女。

 美成子は何かを言い忘れたみたいに、振り向きざま、人差し指を天井に指した。


「私は、一人の秘密を知る同級生を除いて、全人類には優しくするつもりですよ」

「僕も人類の一員に入れてくださいよ……」

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