第二十〇話「同類」
暑熱ともいえる気温の昼下がり、総勢1000名にも及んだ三次審査が終了した。
三次審査で評価されたのはビジュアル面の部分。
各々が持参してきた自慢の服装を身に纏い、壇上でモデル歩きしろというボーカルを募集しているオーディションとは思えないモデルコンテストが行われていた。
その中ではもちろん……と言っていいのか分からないが、このうだるような暑さを利用して、人目を引くような格好をしている輩もいるわけで。
「アレを顔色一つ変えずに審査する審査員にはなれそうにないなぁ……」
きっと、歌唱力に過度な自信がないビジュアル型の人たちなのだろう。
そのビジュアル型の人も容赦なく落とされていそうだが。
窓から外を覗くと、早々と荷物を帰り支度を済ませた人間がチラホラと見えた。
翔は脳裏に焼き付いたアレらを浮かばせながら、楽屋へ戻るためステージを後にした。
「っ……どうして一般人がここに?」
「え、いや……」
客席から離れて舞台裏の廊下に差し掛かろうとしたとき、丁度想像をしていた乳輪を隠す役割しか果たしていない範囲の青いビキニ姿にデニムのショートパンツを履いたイメージ通りの帽子を被った女性が突如として、目の前に現れた。
「ここは関係者しか立ち入ることができないはずです。帰ってください」
扉の前に屈んでいたキャップ型の帽子を被る女性は立ち上がると、あたかも関係者であるかのような物言いで、真正面から翔を捉えた。
翔は女性の理路整然とした立ち振る舞いに一瞬怯みながらも、自信を持って言う。
「ぼ、僕は関係者です。場合によってはあなたを通報することだってできます」
「証明できるものはありますか?」
翔は目線をあちこちに舐め回すように焦点をあやふやにしながら、関係者しか持っていない首からぶら下げた証明書を思い出したように差し出した。
「ほ、ほらこれ!」
「ほんと、みたいですね……」
女性は感嘆として証明書を手に取ると、凝視するように眺める。
「君がここでなにをしていたのか、僕が運営に言ってしまえば君は失格になる」
「わたしが関係者だという可能性もまだ、ゼロではないはずです」
「そんな不埒な格好をしたスタッフがいるか!」
「それに、今わたしがあなたを十字固めで落としてしまえば、なかったことになりますよね!」
「え、ちょっとま――」
十字固め……って格闘技じゃないんだからと思いながら、
目線を慌てて下に戻して、臨戦態勢を取ろうと身構える……も、
「やっと、こっち向いてくれた」
罠だと気付いた頃には、翔は両頬を名も知らない彼女の両手に包まれていた。
深々と被った黒いキャップ型の帽子のつばから見えたのは、整った目鼻立ちの味を活かすような、大人びた薄い化粧をした女の顔。
だけど、薄い化粧の中にも、はにかんだ表情から隠しきれていない芋臭さが欲張ったように塗った下地から滲み出ていて、年上ではないことだけはすぐに分かった。
ただでさえ、思考がそっちに行ってたのに……なんてバットタイミングなんだ。
これ以上、視線を下に向けないことだけを意識しながら、会話を続けた。
「き……君の楽屋は反対方向のはずだ。一般人の立ち入りは禁じているはずだが……」
「わたしだって、考えなしにそんな無茶なことはしないです!」
こんな近距離で女の子に大声を出されたのは初めてだ。普通に唾が顔に飛んできた。
「僕からすれば、このオーディションを受けること自体、無茶なことだと思うけど」
「わたしもここまで来れるとは思いませんでした!」
「いま、君を失格にもできるけどね」
「聞いてください! わたしには理由があるんです」
「って、言われてもな……」
顔を背けたくなるほどの声量に、翔は思わず、顔をしかめた。
「納得する理由をお話します! わたしの話を聞いてください!」
「しつこいな……君はもう有罪なんだぞ」
「猶予を与えてください! 客を納得させる猶予を!」
「うっ……」
困ったな。ここまで懇願されるとは……開き直られても困っていたが。
「と、とりあえず、分かったから」
「無罪ですか!」
「ちがう」
女の子にこんなこと言うのは気が引ける……が、
「言い訳を聞く前に、顔を拭いてもいいかな?」
「……ごめんなさい」
両手で肩をグッと押されて彼女との距離が離れる。そのせいで僕は横転したけど。
※ ※ ※
「実はわたし、神坂美成子さんの大ファンなんです」
「え……⁉」
「え?」
「いや、なんでもない」
僕の唯一の弱点を理解したかのような発言ぶりだと我ながら思った。
翔は、通報するために出したケータイを一度だけ、ポケットに戻した。
「それで、大ファンだからなんだって言うんだ?」
「わたし、神坂美成子さんみたいに輝きたいんです!」
彼女の回答はすぐさま返ってきた。
「輝きたい、ね」
憧れを志して、夢を目指したい気持ちは悪いことじゃない。
こういう若い世代の子は特に。
「それで、今日限りで復帰する美成子さんにどうしても会いたくなってしまって、自分を制御できなくなって……」
「楽屋まで会いに来てしまった。と?」
「はい! そうなんです」
自信に満ちた口ぶりで返す、僕からしたらただの『唾吐き痴女不審者』な彼女。
なんか、嘘くさいところもあるんだよな……。
「それって理由になってるか?」
「ファンであれば、憧れの人に会いたいのは当然です! 誇れることだと思っています」
「いや、不正な方法で入ろうとする不審者は誇れないだろ」
扉の前で何をしようとしていたのかは、知らないけど。
「その反応! やっぱり、ここが冷d……彼女の楽屋なんですね~」
確かに、ここの部屋が舞台裏から一番距離が近い部屋になっている。
話通りならば、ここが神坂美成子の楽屋となるはずだが、残念ながら、確認する方法は、今はない。
「いや、僕も知らないんだ。それに現場入りは夕方になるって」
「そうなんですね……残念です。でも夜に会えるので楽しみです!」
「ああ、夜ね。会えるといいな」
オーディション落選者は即帰宅だったはず。
つまり、彼女からすれば、それまで残っていればの話だろう。
「わたしが夜まで残っていないと思っていません?」
顔色を見透かされたか。だが、彼女の顔色に変化は見られない。
「そんなことないよ。挑戦者みんなにチャンスがあるからね」
「それ言うのって、無責任過ぎますよね。社交辞令ってやつですよね」
彼女は、不機嫌そうに頬を膨らませるでもなく、ただ、こちらに近寄った。
「そんなことない。誰にでも残る可能性はある……だろ」
ただでさえ、今日来ている千人は、計三万人の応募者から選ばれた逸材だ。
運だけで来れるようならこの場に立つことすらできていないのだ。
「貴方様は、わたしが、身体だけのポンコツ女だと思ってますよね?」
「身体は自信あるの?」
「あんまりなかったんですけど、いま、自信がつきました」
彼女は、バストと繋がる肩紐部分を引っ張って、窮屈に縛られた胸部を揺らした。
故意的に。視線を吸い寄せるみたいに、あからさまに。
「い、意味がわからんな」
「貴方様が好きな水着の色は何色ですか?」
「僕は……黒だな。黒。青は別に好きじゃない」
本当は青が好みなんだが、彼女の前で言うと誤解されそうだ。
「あー。黒はナンセンスですね~……。一番選んじゃダメな色です」
「え、そうなの?」
「体型を引き締めるにはうってつけの色ですけど、運気的には最悪。タブーです」
「運気ね……。そんなのでこのオーディションを乗り切れるとは思わないけど」
「運は大事ですよ! 何をするにも運がなければ人は死にますから」
風水的なあれだろうか。こういう人って説得力のない暴論でも、押しが強い傾向があるから苦手なんだよなぁ。(偏見込みの個人的な意見です)
「大げさだな。その運で乗り切った三次審査は、三百人以上落とされたはずだけど」
「そんなに落とされたんですね! 知らなかったです。普通に」
「その普通は、意識すると思うんだけども」
そして、次は最難関と言われている四次審査。
例年通りであれば、今いる700人から十分の一以下まで減ることになる。
この鬼門を抜けることができれば、エーデルサイドでなくても、どこかしらのプロ事務所でデビューを果たせる実力があると言われているほどのラインだ。
そんな大勝負を前にして、この余裕ぶりは一体どこから来るというんだか。
「どうして青の水着なのか、気になりませんか?」
「その話、まだ続いてたのか」
「気になりませんか?」
「気にはならないが、聞き出さないと開放してくれなさそうだな」
「青は、心理的に人の精神を落ち着かせる傾向にあるんです」
「そうなのか」
彼女は存外、あっさりと答えた。
「だから、冷静に審査してもらえれば、勝機はゼロにはならないかなと思ったんです」
「ゼロにはならない、か……」
自信満々の割には説得力に欠ける理論だ。
「はい! そういうことです」
「君はさ……不安じゃないのか?」
「もちろん、不安ですよ」
予想していた言葉とは違った答え。
「不安なのに自分に自信が持てるのか?」
「まあ、不安ですけど……自分しかいないですから」
「どういうことだ?」
天に人差し指を突き立てた後、彼女はここぞとばかりに声を張った。
「自分にいっちばん自信を持てるのは、自分しかいないですから!」
肌を露骨に露出させる彼女は、前だけを見据えて、そう言った。
「良い心構えだな」
オーディションを受けたあの人も、当時は自信がなかったのかな。
翔は、生まれて初めて、弱気な彼女を想像した。
「しかしですね。運すらも凌駕する人間がこの世には一人だけ、存在するんです」
「運気的なあれを狂信的に信仰する君ですら、信じ難い特別な人間がいると?」
「言い方に悪意を感じます! 普通にやめてください!」
「普通にやめないです。君、傍から見ても、そういう人間でしょ」
「偏見です! 偏見報道反対!」
「悪いが、身近に君と似た友人がいてな。そいつはまだ犯罪までは犯してないから君より罪は軽い。それと超が付くほどのシスコンで……」
「その人物とは、わたしが敬愛する人物で……」
「おい、話聞いてるのか?」
「第三回ボーカ……」
「神坂美成子」
「やっぱり! ご存知ですよね!」
ハッ……と気付いてしまった頃にはすでに遅し。早押しクイズ並の速度で答えていた。
「まあ、知ってるよ。神坂美成子。一応、関係者だし」
ただ、証明書があれば審査員の一味的な人間だって通すことができるから、まだバレてはない。
「あなたも神坂美成子さん、好きなんですか⁉」
「いや、まあ……」
全人類好きだろ。嫌いな奴はいないだろ。深掘りした質問は控えてくれ。
「好きなんですよね!」
「まあ……好きっすね~」
そんなキラキラした目で迫られたら引き下がりにくいだろ。
「やっぱり! 嬉しいなぁ……ファンに会えて。何の曲が好きですか?」
「きみには関係ないだろ。言う権利もない」
「わたしから言っていいですか? わたしはですね……」
「リトルロックドリーム」
つい、言ってしまった。
チラリと横目で見ると、
目をキラキラと輝かせてこちらを見つめるビキニ姿の彼女。
「偶然! 同じです! わたしもリトルロックドリームなんです!」
彼女は、はしゃいで喜んだ。
「ああ、そうか」
「なんかリアクション薄くないですか? わたしが好きなのは歌詞のワンフレーズでして……」
「ファンならそこら中にいるだろ。自由に話してくればいい」
だいたい、どうして不審者のお前と意気投合しなければならないんだ。
「彼女、活動休止中じゃないですか~。だから、同志と巡り合える機会がなくて……」
「だったら、ネットを使って……」
「ネットはやり方が分からないので苦手です。怖いですし」
「そんなことないと思うけど……」
まあ、いまの時代、誰もがネットを使って交流するとは限らないのか。
一度、ライブを通じて仲良くなった人にSNSのアカウントを聞いたことがある。
他意はない。共感する話が多くて意気投合したからだ。
しかし、断られてしまった。会話と違って文章で返事を返すのが苦手だから、と。
軽そうな彼女も現実とネットで線引きをしている類の人間なのかもしれない。
「きみ、僕より情弱だな」
「なっ。失礼な。パソコンを使わなくったって九九くらいなら言えますよ!」
「小卒なら誰でも言えるよ」
というか、パソコンを電卓の代わりとして見ていることに驚きだよ。
「それと、わたしは『きみ』という名前ではありません」
呼び方が気に食わなかったのか、彼女は、言葉に棘を含ませた言い方をする。
名前……か。仕方ないから聞いておいてやるか。
最低限の礼儀は守るべきだと思うしな。
「じゃあ、教えてもらえるか? きみの名前を」
「わたしは、成り行きで世界を取ってしまう『わたし』です」
「そこって、普通は名前を言うところじゃない?」
「個人情報流出は炎上のタネですから」
「炎上対策ね……」
腰に手を当てて威張る渾身のポーズも名前がないんじゃ、格好がつかんだろ……。
それに、炎上もなにもまだデビューすらしてないよね。きみ。
「今は、年齢も性別も名前も不詳ですけど応援してくださいね!」
「応援って……。一応、関係者だから贔屓は……って、おい」
翔は立ち去ろうとする彼女を慌てて呼び止めた。
「なんです? 名前は……」
「違う。最後に一つ、訊きたいことがあったんだった」
「バストのサイズは墓場まで持っていくつもりですよ」
そんな冗談に付き合う暇もないとばかりに、翔は強い口調で訊いた。
「きみは『冷暖歌姫』の楽屋の扉の前で何をしようとしてたんだ?」
翔は、彼女にも分かるように親しまれた愛称で本質を問いた。
「あー……」
言い訳を探しているのか、
水着姿の彼女はおそらく、初めて、僕から目を逸らした。
「正直に言ったら、二点くらいおまけしてやる」
「扉をピッキングして、中に入ろうとしただけですよ~」
「ピッキング……?」
絶句したのも束の間。
「有名になったら、飯奢ってくださいね〜」
陽気な彼女は、口うるさく応援を促した後、流れ星のようなスピードで、もと来たステージへ戻っていった。
一人、取り残されて静かに鳴った廊下。
翔は小さく、ため息をつく。
「今回のオーディションって、名前訊いたらダメなんだっけ?」
やっぱり、少しだけ落ち込みながら、翔は自分の楽屋へと戻った。
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