第十九話「会場入り」


 月日が流れるのはあっという間で、今日はオーディション当日。

 翔はうるさく鳴り続けるケータイの電源を切って、集合場所に向かった。

 あの後もしつこく絡んできたというのは言うまでもないだろう。


「ここ……だろうか」


 集合場所である会場裏の扉に辿り着くと、翔はまだ薄暗い周りを見渡す。

 早く着きすぎただろうか、陽がチラリと顔を出す早朝時の集合だから人が見当たらないのは当たり前なんだが、一人はどうも心細い。


 重たそうな鉄製の扉はドアノブを捻る限り、鍵はかかっていなさそう……だが、勝手に入って極秘情報を知ってしまって出禁なんて最悪な状況にはしたくない。


「気長に待つ、か……」


 翔は壁に背を向けてその場で胡坐をかいて待つことにした。


「瀬崎様、ですか?」


 扉に耳をあて、音を窺おうとしていた時、背後からの声に身体をビクッとさせる。


「は、はい。そうですけど、あなたは……」


 眼前に立ち尽くす、というかそびえ立つ人物は『巨漢』を絵に描いたようなフランケンシュタインのような高身長、鍛え上げられた筋肉質の肉体によって、膨張したスーツが人目につく大柄な男性。


「何をされていたのですか?」

「いや……あの、これはですね。別に怪しいことをしていたわけではなくてですね……」

「怪しいこと? わたくしめは何をしていたのかと訊いただけですよ」

「はい。えっと、僕はなにもしてない、ただの一般人ということでして……」


 って、これじゃあ、尚更墓穴を掘ってるんじゃ……


「こちら、ガードマンB。西裏扉にて重要人物と思わしき男性を発見」


男は耳に手を当てると、こちらを見ながら仔細に報告を始めた。

容姿、話し方、様子、それらを淡々と話す男はまるで取り調べ後のポリスメン……


「あ、あの……本当に出来心なんです。ただの一般人なんですよぉ……」

「本当に一般人でしたら、わたくしが貴方を摘み上げていますよ。とっくに」

「間違えました! 僕、実は一般人じゃなくて関係者で……」

「はい。彼女から、話は聞いております」

「へ?」


 男は翔に敬意を表すように、軽い会釈をし、


「本日はどうぞお越しくださいました」


 どうやら、話は通っている……みたいだ。


「あの、彼女っていうのは……」

「はい。貴方の想像する彼女と相違ないと思います」

「は、はぁ……なるほど」


 確認が取れないから不安だけど、名前を呼んではいけない制約でもあるのだろう。

こんな化け物みたいなボディービルダーをお付き人として飼いならすための制約が。


「予定より少し早いですが、案内させていただきます。どうぞこちらへ」

「すみません。あ、はい……あ、あざっす」


 ドシドシと効果音が鳴るみたいに前を歩く男の後ろについていく。

 何回かケジメをつけていそうな顔をしているのに、エスコートは一丁前だ。


「ここが瀬崎様のお部屋です」

「あ、あざっす……」


 缶詰め部屋みたいだな……。

 到着した部屋は客人専用の個室といえるような質素な作りで、パイプ椅子が一つと丸机が一つ以外に物はなく、イメージしていた演者が利用する楽屋とは別物だった。


「個室ってめずらしいですねー」

「はい。以前は物置部屋として使っていたようです」

「そうなんすね~……」


 狭いところが好きなわけじゃないって言っておく必要があるな。物扱いされるのもなんだか癪に障るし。


「ところで、神坂……彼女はどこにいるのですか?」

「彼女はまだ到着していません。楽屋入りは夕方からと伺っております」

「夕方⁉」


 あいつ、僕をハメやがった。……でも、集合時間は合ってるよな?


「初耳でしたか?」

「ええ、それはもちろん。後で電話でもしてやろうかと思ったところですよ」

「彼女なりのご考えがあっての行為だと思いますので。何卒、ご遠慮ください」

「え、あ……はい」


 割と冗談交じりで言った発言だったのだが、真摯に受け取られてしまった。


「ちなみに、彼女の楽屋はどこにあるのですか?」

「私も詳しくは把握していないため、お答えしかねます」

「そっすか……」


 詳細な場所を知りたいと思われてしまったらしい。


「他に訊きたいことはありますか?」

「いや、特には……」


 これ以上、話しても怪しまれる可能性が増えるだけだ。静かにやり過ごそう……。


「詳しくは把握していませんが、舞台裏に一番近い部屋に配置されているはずです」

「そ、そうですか。ありがとうございます!」


 付き人の配慮の言葉に、翔は思わず口角が上がった。


「くれぐれもご勝手に訪問されないよう」

「はい。詮索もしません」


 こればっかりはやっぱり、なんとも言えない嬉しさがこみ上げてくる。

 芸能界では、一般的に楽屋の位置によって出演者の『格付け』があると聞いたことがあった。そして、舞台やスタジオ等により近い部屋にあてがわれた出演者が『格上』であることの証明――。


 つまり、そういう認識で構わないだろう。

 彼もその意味を知らせるためだけに、教えてくれたのだと推測できる。


「おそらく、演者の出番は早くても陽が落ちる頃。朝から現場入りしている演者は少ないかと思われます」

「まだ陽は昇り始めたばかりですけどね……」


 関係者席がどんなものかは気になるし、不安はある。


「不躾かもしれませんが――瀬崎様なりの新たなスターを見つけていただくのも楽しみの一つかと」


 不安はある……けど。


「……分かりました。とことん楽しみます」


 僕は、エーデルサイド主催のボーカルオーディションを観に来たんだ。


 もともと配信でも一日中張り付いていたし、それが現地観覧となっただけ。

 これはラッキーなことだ。

 なんだか一層、今日という一日が楽しみになってきたぞ。


「それより、これは食べていいんですか?」


 翔は机に置かれた高そうな弁当を指差す。


「ご自由にどうぞ」

「やったー。実は、朝からなにも食べてなかったんですよ」


 緊張していたせいもあり、朝食なんぞに気を配る暇がなかったのだ。ありがたい。

「どっちから食べようかな~」


 翔は、机に置かれていた弁当を二つ持ち上げて、吟味を始める。

 魚か肉か……朝だから、ここは無難に魚かな?


「ご自由ですが、弁当は昼と夜の二食分と伺っております」

「二食分? 今日はファイナルまでやるんすよね?」

「はい。例年通り、五次審査を終えた後、ファイナル審査があります」

「つまり、日付が変わるまではやりますよね?」

「はい。例年通り、日付が変わるまではやります」

「そ、そうっすよね。じゃあ……」

「じゃあ。なんですか?」


 男は翔の顔を覗き込むように、身体を動かす。


「いや、なんでもないっす」

「……お困りでしたら、近隣におにぎりが安くなるセールをしているコンビニエンスストアもございますので、そちらで済ましていただきたくお願い申し上げます」

「いや、朝食食べてこなかった自分が悪いんで。すいません、ほんと勘弁してください」

「地面に頭を擦りつけて、どうかされたのですか?」


 謝ってんだよ! 怖いから!


 結局、朝食は我慢することにした。


「案内してくれてありがとうございました。おかげで助かりました」

「いいえ。客人を待たせてしまったわけですから、わたくしの責です」

「いや、それは僕が早く着いたせいで……」


 と言ったところで、また謙遜されると思い、諦めがついた後。

 翔は別れの最後に、質問をした。


「そういえば、案内してくれたあなたのお名前を教えてもらえますか?」


 美成子に直接、伝えるためにも名前を訊いた、こんなにも親切にしてくれたから。

 しかし、男からは予想外の反応が返ってくる。


「……理由を尋ねてもよろしいでしょうか?」

「え。別に深い理由はないですけど……」

「わたくしは、彼女の使用人です。それ以上もそれ以下もないかと」

「いや、あのそういう意味ではなくて……」

「ただの使用人、です」

「は、はぁ……? そうですか」


 その後も軽く粘ってはみたものの、男が名前を口にすることは最後までなかった。


 僕、嫌われるようなこと言ったかな……。


 お前に教える名前はないということだろうか。まだ生きたいし、仕方ない。

 渾身の質問をはぐらかされて、少しショックを受けた翔であった。

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