第十八話「怒ってる?」


 煌びやかに光る太陽、雲一つない青い空。

 青天白日ともいえる清々しいお天気の日に、一件の電話で携帯は鳴る。

 金網のフェンスの穴々から風が突き抜けるように通り、目障りな音は止まない。

 携帯を耳に当て、声を出し始めると、吹き荒れていた風は弱まったような気がした。


「……こんな昼間から何の用ですか?」


「それは……はい。存じております」


「ですから、私は……はい」


「申し訳ないとは思っていますが、今回は……」


「……はい。では、失礼します」


 一人の女生徒は肩の荷が下りたとばかりに、深く息をついた。

 けれど、通話を終えた電子盤を見つめたまま、呆然と立ち尽くしたままだった。


「『エーデルサイド』からですよね?」

「……聞いていたのですか?」


 ビクッと身体を震わせる彼女、神坂美成子は初めて、少し怪訝そうな目つきで扉を背に腕を組む男子生徒を睨んできた。


「いや、ここに呼んだのはそっちですよね?」


 昼休みが終わりに近づき、静寂だった廊下が段々と忙しなくなる頃。


『屋上、来てもらえますか?』

『え……?』


 すれ違いざま。

 神坂美成子は残り数分の昼休みを利用して、瀬崎翔をここ屋上に呼び出したのだ。


 当然のように翔を美成子の座る二人掛けのベンチに座らせると、美成子は粛々と言ってのける。


「何のことですか? 私はそう言って、普遍ない真顔に戻ります」

「ネクタイをこんなになるまで引っ張っておいて、よくもまあそんなことを……」


 すれ違ったときに、彼女が強引に引っ張ったネクタイはだらしなく緩々になっていた。呼び止めるためにわざわざ首元を掴まれたのは、生まれてこの方初めてだぞ。


「じゃあ、貴方はどこを引っ張ればよかったと思いますか?」

「それは……ワイシャツの裾とかじゃないっすか? 普通だったら」

「裾……ですか。それなら、他にもある、と思います」

「え、あ……」


 美成子は有無を言わせずにまるで物色するみたいに、翔のことを四方八方から首を伸ばして覗き始めた。

 背伸びしたり、腰元まで姿勢を下げたり、新種の動物を発見したような観察ぶり。


 どうも落ち着かない。


 ベンチで隣に座らせられた時から思ったが、神坂美成子は危機意識が足りない。

 そんな近づいたら、いろいろな刺激が男子の清純を襲うとは思わないのだろうか。

 いや、この場合、近づくというより、密着といった方がいいだろう。

 身体の身動きすらままならない……ぞ!


「……なるほど」


 翔から離れると、美成子は首を俯かせて考える素振りを見せた。

 やっと終わった……。


「どうでした? 掴めそうなところは……」

「どうして裾なのか、ピンと来ていないと私自身自負している、と思います」


 そんな気はしてましたけど。


「裾って、他の部分とは違って少し硬くなってますよね? 掴みやすくないですか?」

「でしたら、腕のボタンを引っ張ってちぎる方が気づきやすい、と思います」

「そこまでされて気づかない方がおかしいですよ」

「本気にしないでください。冗談です」

「冗談っぽくない冗談はやめてください。ワイシャツ高いので」


 冗談というより、本気でやりそうなのがこの人の恐ろしいところだ。


「エーデルサイドも、私という存在に気づかなければ……」


 美成子が軽く口にした単語に、翔の身体は過敏に反応せざるを得ない。


「エーデルサイド、ですか?」

「はい。いまさっき仕事をぶっちした相手のエーデルサイドです」


 翔が食い入るように返したその言葉に、美成子は真摯に答えた。


 美成子が話を仕事の話に戻したのは意外だった。

 誰もいない屋上、二人きりの昼食に誘われる、ましてや僕の隣で仕事関係の電話をするくらいだから、それが狙いというのは薄々感づくことくらいはできるが。


「あなたほどの立場になると、それくらい日常茶飯事なんじゃないんですか?」

「仕事を選ぶことはあります」

「グラビアは基本NGですよね。取材付きなら何回かありましたけど」

「私だけの問題であれば、いくらでも断ります。けれど――」

「今回ばかりは、話が違うと言いたいんですね」


 美成子は頷くこともなく、揺れる瞳で前を見ていた。

 その顔は初めて見たと思った、けど、次の瞬間、僕は口火を切っていた。


「出たらどうですか? 大きすぎる空席を作ってしまうことを懸念しているなら」

「やけくそに言うのも限度がある、と思います」

「それは……さすがに自覚してます」


 翔は静かに自分の失言を肯定した。

 つい言ってしまった、無責任な言葉。


「私は、オーディションに参加することはできません」


 それは、重い現実となって返ってきた。


「理由はいくつかあります。それも明確な理由が」

「……活動休止中だからですよね」

「それは正直、どうでもいいです。いまの私は骸。歌手の神坂美成子ではないので」

「そうですよね。活動休止中は何もする気はないと……って、えっ?」

「なにか疑問点でも?」

「あ、いえ。特には……」


 自然と、僕がいま話しているのは神坂美成子と勘ぐっていた。

 だけど、それは歌手としての神坂美成子ではなかったらしい。


「他の理由は?」

「建前として、いまのも一つの理由として入れておきましょうか」

「あ、そうですか。それで、他は?」

「他の理由は業界人以外には言えない諸事情なので、以上です」

「…………」

「どうかしましたか?」


 僕は、考えていた。

 この活動を休止してから二ヶ月間毎日。

 可能性がゼロにならない限り、ありとあらゆる憶測を立て、神坂美成子の障害になったものを一日中考え続けていた、彼女のことは自分以上に知ってるんだ。


 それなのに。

 歌手ではない彼女に、はぐらかされたような答えをされて納得がいくと?


「そうですか」


 納得しないわけにはいかないだろう!

 本人に憶測をぶちまけるなんてのはお門違いも甚だしい。

 ニワカと呼ばれてもいい、プライドなんて元から持ち合わせていない。

 そんな、恥ずかしいファンになったつもりはないんだから。


「あの……」


 呼び止めようとする愛梨を手で制すると、翔は扉に向かって歩き始めた。

 空気が美味しく感じられるような解放感、モヤが晴れたような爽快感。

 そんな手応えを感じながら、扉に手をかけ……


「当日、招待するので来てください」

「……はい?」


 ケータイから通知音が鳴る。

 文字盤に映ったのはコピペされた、長ったらしい都内某所の会場案内の文章。

 それは、エーデルサイド主催第六回ボーカルオーディションに関する内容。


「日程はご存知のはずです。招待客として、関係者席で見学をしてください」

「見学って……僕なんかが審査とかできないですよ~」

「私が参加すると言っています」

「私が参加する……? 僕も参加しますけど、私と僕どっちが審査します?」


 まさに、パニック状態で自分でも何を言ってるのか理解に苦しんだ。


「行きたくないなら忘れてください。それでは」

「ど、どうして……行く気になったんですか? 活動は? 新曲は?」


 踵を返して屋上から去ろうとする神坂美成子を、翔は全力で呼び止めた。


「……それは、参加したい。というふうに捉えても構いませんか?」


 いつも慎重で落ち着いた冷静な口調で会話する神坂美成子も、このときだけはいつも以上に用心深かったように思えた。


 それはそうだろう。

 ファンが勝手に焚き付けた火種を、彼女自らが点けようとしているのだから。


「行きたいですよ。行きたいです。神坂美成子が出るなら、行きたいです!」

「恥をかくことになると思います」

「分かってます。たぶん、いま以上に興奮して、我を忘れることも」

「気持ちの話ではなく、服装の話です」

「タキシードでも用意した方がいいですか?」

「逆に目立つ、と思います」

「じゃあ、その日までにネクタイは結べるようになっときます」

「え……」

「なにか?」

「いえ、よろしくお願いします」


 一瞬、不穏な口調だったが、誰に結んでもらっているかは聞かれずに済んだ。


 あのことについても。


     ※ ※ ※


「怒ってる?」

「脈絡のない質問では何を言いたいか分からない、と思います」

「で、ですよね~。すみませんクセで……」


 階段をゆっくり降りていく彼女は、後ろを振り向こうとはしなかった。

 簡単には謝らせないってことなのだろうか……。正直、合わせる顔もない。

 いや、実際はこうやって合わせたし、なんなら、合わせられた側なんだけどさ。


「行く気になったのは、今度こそ、貴方を満足させるためですから」

「え……まだ、それ続いてたんすか?」

「当然です。一度決めたことを途中で投げ出すような真似はしませんから」


 どこまでも真面目。

 内堀を埋める前に外堀から埋めていくように、僕を介して、適度に話す友達から頻繁に話す友達になろう計画(勝手な憶測だが)はとっくにバレバレなんだけどな……


「もうどうでもいいっすよ。神坂美成子の晴れ舞台を見れるなら、それで」


 歌手としての神坂美成子をもう一度、見れるなら、それで。




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