第十七話「エーデルサイド」
翌朝、翔の身体は昨日の気怠さが嘘のように楽になっていた。
お見舞いイベントパワーすごい。
今日に限って、駅で待ち合わせをしていないのが勿体なく感じるくらいの元気だ。
もし会ったら、なにをするつもりだったって? それはご想像に任せるとしよう。
「おい。訊いたか?」
そうして、教室に入って早々。
そんな友人Aこと中陳は、翔の姿を見つけると、出待ちしてたレベルの速度で、話しかけてきた。殴られに来たかと思ったが……
「おはよう中陳。そんなに興奮してどうした?」
それもどこか落ち着かない様子で、視界の焦点が定まっていないほどに。
「ああ、おはよう。えっと……だな、居ても立っても居られなくてな」
「まず、落ち着け。先に用件を言ってくれ」
「そ、そうだな……お前が落ち着いてるんだから、俺も……うん――」
言う決心がついたのか、中陳は妙に真摯な顔つきでこちらを見つめた。
まあ、神坂美成子関連以上に面倒なことはこれ以上ないと思うけど。
「オーディションだよ! 神坂さんに代わるホープが現れるかもしれないんだぞ!」
勝手に神坂美成子を引退扱いするな。
「オーディション、ねぇ……」
「ああ、それに今年は過去最多人数だ。楽しみになるよな~」
「何人が落ちるんだろうな~。前みたいな、最終選考まで行った人間全員合格なんて興ざめなことはエンタメとしても面白くないから辞めてほしいと僕は思うね」
「何言ってるんだ? 『エーデルサイド』がそんなことするわけないだろ」
「それもそうか。……って、いまなんつった?」
思わず、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまった。
「エーデルサイド主催の新人ボーカルオーディションが今年も始まるんだよ!」
『エーデルサイド』
エーデルサイドとは、数々のミリオンヒットを生み出す大手レコード会社が五年前に新規参入を図るために派生して設立されたレーベルであり、総勢二万人以上の規模で行われる大型ボーカルオーディションを毎年開催していることで有名なレーベルだ。
ボーカルオーディションの参加条件は、年齢が十〇代~二十〇代であることのみ。
『若者であれば、誰でも自分の夢を叶えることが――勝ち取ることができる』
そんな直球的なフレーズはメディアを通して瞬く間に話題となり、第一回のボーカルオーディションでは、計八千人もの歌唱自慢の一般参加者が集うこととなった。
そして、ほかのボーカルオーディションとはハッキリと違う基準がある。
それは求められる素質。
歌唱力に留まらず、ビジュアル、そして揺るがない精神力。
たとえ、どれだけ秀でた才能を持っていたとしても、三つのいずれかが欠けていたら、チャンスすら与えられることはない。
大手レコード会社から形成されたエーデルサイドというレーベルは、それほどまでに新たなスターを渇望して、厳正な審査を行うレーベルだった。
というか。
「神坂美成子のことじゃないのか……」
「神坂さん? なにかあったのか? 神坂さん」
「いや、出回ってな……知らないならいいんだ。話を続けてくれ」
写真の話は出てこなさそうだ。それとなく流出の件もあって、それとなく身構えていたのだが、一時間のネットの拡散ごときじゃ、世間には広まってないのだろうか。
「今年の応募総数は三万人にも昇るらしいぞ」
「また増えたな。しかし、なんでだろうな」
「そりゃ、人気イベントだからだろ。世間もメディアも釘付けになるくらいのさ」
イベントって言い方に引っ掛かるが、視聴者からしたらイベントのようなものか。
「……じゃなくて、そういうことを訊いてるんじゃない」
「あ? 翔は何が言いたいんだ?」
意味が理解できないのか、中陳は仏頂面で翔に問いかける。
こいつはどうも、肝心なことを忘れているらしい。
「開催までにはまだ、時間があるはずだ。どうしてそんな情報がもう発表されて、勝手に世間は賑わってるんだ?」
「それは俺にも分からん。例年より早めってのは俺も思ったけど」
「早いどころじゃない。季節が違うぞ」
少なくとも昨年のオーディション三次審査の模様が生中継で配信されていたのは、うだるような暑さが身体を溶かす夏の日だった。
開催の発表ならまだしも、中陳の言い草からするに応募者の人数もすでに決まっているらしい。この時期に応募まで締め切っているなんて異例だ。
「開催時期が変わったんじゃないか? 五月とはいえ、最近暑くなってきたし」
「そんな告知、僕は知らないぞ」
「そうなのか? ネットを普段見ない俺でも知ってたけどな~」
「そんなはずは……」
と、否定しようとしたところで、キュッと急ブレーキを踏むみたいに思い直す。
「そうか、そういうことか……」
「どういうことだ」
一つの可能性は確信へと変わっていく。
以前は神坂美成子関連の情報を逃すまいと携帯に通知が鳴る設定をしていた翔だったが、グッズの再販情報ばかりが通知されるようになって、現実逃避するみたいにアカウントもアプリも完全削除していたことをいま、思い出したのだ。
「翔、ネットでは結構な有名人だったよな。えーと、アカウント名はたしか……」
「そんなのどうでもいい。それより、オーディションについて詳しく教えてくれ」
「ああ? まあ、いいけどよ」
中陳の携帯を覗き見ると、そこに開いてあったのは、エーデルサイドの公式HP。
確かに例年通り、そこにはオーディション用の特設ページが設けられていた。
「第六回、もうそんな経つのか……」
「えーと、今回の審査員は厳正なる審査を行うために、事前に試験を合格した者のみが審査する形となります……って、審査員ですら審査されてんのかよ……」
「で、配信はされるのか?」
「んーと、あった。今年も三次審査から密着生中継されるみたいだな」
「ゲストは?」
「いつもと同じ。歴代優勝者が最終選考をジャッジするんだろうな。もちろん、第三回優勝者は不参加だけどな」
「そんなことは知ってる。いちいち言わなくていい」
「へいへい。訊いたのはそっちだろうに」
注目を集める一つの要因として挙げられるのは、ファイナリストを決める四次審査の審査員がボーカルオーディションの優勝者らであることだろう。
なんせ、第二回優勝者以外の四人がミリオン以上のヒットを一回は成し遂げているスターたちなのだ。一番人気があるのは誰なのか、言わなくても予想はつくだろう。
「他はいつもどおり出るのか?」
「ああ、もちろん。あの冷たいコメントが聞けないのはちと残念だが、今年はどんな逸材が来るのか楽しみだし、面白いこと間違いなしだから俺は見る予定だぜ」
「薄っぺらいコメントだな」
「なんだよー。俺は去年CDも買ったんだぞ」
「どうせ特典目的だろ? なんだっけか。あのパッケージデザインが……」
「キス顔じゃなくて、チュー顔な!」
「いや、まだ何も言ってないし……」
エーデルサイドは楽曲のサブスク配信だけでなく、原盤であるCD販売にも力を入れており、初版限定特典を付けたり、リリースイベントのチケットが封入されていたりする。
スマホの登場によって、落ち目となっていたCD文化にも影響を与えているのだ。
『なんでもデジタルになってしまっては淋しいじゃないですか。
時代に取り残されるのも悪いことではない、と気付いてほしい。
私は懐古厨なのでね』
冗談交じりにインタビューに応えたエーデルサイド副代表はそう語った。
それは、音楽業界の時代を変革する革命――とも取り沙汰されるほどに。
五年という短い歳月で、これほど注目を集めるマーケティングをしているのだ。
あれだけの人材を世に出しておいて、図に乗っていないと逆に困るというものだ。
「お前は見るのか?」
「ボーカルオーディションか?」
「ああ。去年は一緒に見たろ。お前んちで。だから今年も……と思ったんだが」
それも完徹してな。
ちなみに、お前は途中で寝てた気がするけど。
「その日までに考えとくよ。ほら、もう授業始まるぞ」
「ハッキリしないな。どっちなんだよ」
中陳の追及に翔はかわして会話を受け流すと、自分の席へと戻っていく。
「その日のノリってやつだ。行けたら行くよ」
「……ったく、じれったい奴め」
振り向くと、中陳は人差し指で鼻の下をくすぐるように触っていた。
それもどことなく、照れくさそうにしながら。
あいつ、本当に分かってんのか……?
なんだか期待されていそうで、ちゃんと断ればよかったと後悔する翔であった。
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