第十六話「お見舞い」


 曖昧な意識下の中で目を覚ます。

 右手と左手には目がチカチカするくらいの眩しい棒を持っていた。

 周りを見渡すと、人々が一体となって会場を灯していた。


 いつのライブの記憶……だろうか。


 翔はそれが現実ではないことは分かっていた。

 額が異常なくらい熱を帯びている。

 夢の中でも興奮していたのか、頭がクラクラしてめまいがする。

 隣には、いつもライブを一緒に見に行っていた愛梨の姿。


 いい表情をする。忘れてたけど、

 こいつと彼女を観に行くと、ライブはもっと楽しくなるんだった。


 だけど、倒れそうになっているこちらには目もくれない、ステージに釘付けだ。

 それもまるで気付いていないみたいに。

 僕はそんなステージを一目、見てやろうと、首を上げようと試みるけど、

 首すら上げることはかなわず、床に手をついて息苦しさも増してくるようになる。


 どうして、どうして……。

 一目、輝いた彼女を拝むことも叶わないのか。


 悔しさとは裏腹に、視覚は怪しくなり、耳も遠くなっていく。


『終わりだよ』


 そう告げられているような気がして、次第に世界は液体のように歪んでいった。



     ※ ※ ※


 現実だ。


 目が覚めると、見慣れた天井と、頭上から覗いてくる制服姿の女生徒が一人。


「起きた?」

「……起きたような気はするな」

「熱い?」

「ああ、熱い」

「一応、大丈夫?」

「大丈夫だったら、ここで寝てないだろ……っと」

「ちょっと起きていいわけ?」

「これ以上、迷惑はかけられないからな」


 額に貼られた温くなった熱さまシートを剥すと、翔は無理矢理、身体を起こした。

 オレンジ色の光が窓から差した自室、さっきまで真上にいたはずのお天道様は既に沈みかけていた。

 頭の中に大きな石が入りこんだような、そんな倦怠感を感じる。


「えーと、お茶は……」

「取ってくるわよ。あ、この前来たときに冷蔵庫の位置は確認したから」


 翔をベットから立ち上がる隙も与えずに、彼女、花前愛梨は颯爽と空のコップ片手に僕の部屋を後にした。

 翔は自分の部屋をなんとなく、見渡す。


 グッズ、なにも奪われてないよな……?


「どうぞ」


 渡されたコップを受け取ると、一気に飲み干す。

 寝起きの喉に悪そうな濃い味の緑茶だ、余計に喉が渇いてくるぞこれ。


「それで、僕はどれくらい寝てた?」

「アタシが居眠りするには十分なくらいは」

「……学校サボりやがって」

「それはお互い様よね」

「病人と仮病人を一緒にするな」

「さては盗み聞いてたわね、昼の電話」

「あんな必死に偽装工作してたらな」

「アタシ、そんな大層な嘘ついてないわよ!」


 おっしゃる通り、熱が思ったよりきつくて、寝ては起きてを繰り返してたときに偶然、一部分を耳にしただけだけだ。

 しかし、風邪なんて引いたのはいつぶりだろう、片手で数えるくらいしか引いたことなかったんだけどな。


「アンタが風邪なんてめずらしいわね。首輪を嵌めるチャンスかしら」

「いや~、ほんとだよな。僕もびっくりしたんだよ」

「アタシが家まで迎えに来てなかったらどうなってたことやら」

「愛梨も遅刻してたよな? たしか、一時間目が始まったくらいでピンポン鳴って……」

「アタシは、駅で待ってたのよ。アンタが来るまで」

「うん、それはそれで重いよ」


 もう一人の友人Aも愛梨の頑固さに呆れたんだろうか。

 なんにせよ、普段は連れて行ってほしいが、今日は連れて行かれなくてよかった。


「心当たりは?」


 愛梨はどこか神妙なトーンで問いかけてくる。


「風邪の? そんなの僕の身体に聞いてみないと分からないよ」

「何が原因とかあるでしょ。思い出しなさいよ」

「あー、どうだろ……まだ頭だるくて脳みそ働いてないわ」


 腕組みをする愛梨は、トントントンと人差し指をその場で弾ませる。

 それは苛立ちだろうか? 僕が何か隠しているように見えるのだろうか。

 心当たりがないとは言い切れないけど、間接的な要因は話す気にならない。


「それよりさ、僕、愛梨に訊きたいことがあったんだよ」

「な、なによ。そんな改まって」


 どこか構える風を見せるが、残念ながらそのご期待には沿えられそうもない。


「神坂m……いや、神坂さんの話。お前、最近仲良いだろ?」


 なんとなく、瞳のハイライトが消えたような気がした。


「え? なにそれ。別にただの友達だけど」


 愛梨の反応は実に、興味を全く示そうとしない冷たい反応だった。


 あれ、この人。神坂美成子のファンだったよな……?

 それも髪型を真似るくらいの重度な。


「えっと……二人でどこか出掛けたりしたのか? 休日とは言わずに放課後とか」

「神坂さんとは教室で話すわよ」


「ああ、本当?」


 翔は質問に対する回答以外の回答を期待しながら、問い直す。


「ええ、本当」


 愛梨は質問にしか応えない。

 なんだろう、このアメリカンテイストな『察しろよ、ンッンー?』的な相槌は。

 それ以上でもそれ以下でもないということなのか? 女子って分からない。


「それはそうと、あれから一週間は経つよな」


 交友関係は置いといて、これは聞いておかなくちゃならない。


「そんなに経つのね」

「ああ、僕もびっくりだよ。あれから変化は?」

「特に。クズみたいなストーカーの姿もアンタ以外は見えないわね」

「僕は厄介?」

「鬱陶しいくらい粘着質で愛が重いファンでしょうね」

「それを再確認できてよかったよ」


 恋美から聞いた話、僕と偽美成子の移った盗撮写真は、その翌日にあっけなくSNSに流出したらしい。

 が、写真の投稿からわずか一時間で、なぜか投稿主のSNSのアカウントが利用停止になり、写真は消失。どうにか、最悪の事態である写真の拡散は免れたらしい。

 不幸中の幸い、しかしこんなことが起こりえるのだろうか。と恋美に伺うと、


『意外にも連絡先を交換したのが、仇となったんじゃないんすか』と。


 それを聞いた時、腑に落ちのは言うまでもない。

 いや~。どんな手段を使ったのかは不明だが、仲間ってのはいいもんだ。


「なによ、その顔」


 呆けた面をしていたのか、鼻の頭を愛梨の指に押される。


「ひとまず、一件落着って感じじゃないか?」

「……どうして、そう思うわけ?」


 鼻から指が外れると、愛梨は嫌悪感をより一層、露わにして、睨んでくる。

 敵意を向けている理由は、美成子の確証的な安全が保証されていないからだろう。


「撮られた写真あったろ? 実は、ネットで拡散される前に削除されたから……」

「害はないって言いたいのね」

「ああ、だから大丈夫だよ」

「その言葉。を知っても、胸を張って言えるのかしらね」


 ものを正直に言う愛梨にしてはめずらしい、含ませたような言い口。


「あれって?」

「なんでもない。そうだといいわね」

「おう」


 愛梨が知っている情報より、僕の方が知っている情報の方が多い。

 だから、愛梨の気持ちも分かるけど、同じファンとして、僕を信じてほしい。

 今度は、全部が上手くいく方向に持っていくから。


「飯、食ってくか?」

「突然なによ」

「ずっと、看病してくれてたんだろ? 腹空いてるかなと思って」


 床に置かれたスポーツ飲料5本にそこらに散らばっているゼリー飲料。

 ゴミ箱に入った使い捨ての熱さまシートの量からするに、かなりの時間そばにいてくれていたみたいだ。


「いい。昼はコンビニで適当に済ませたから」

「夜がまだだろ。なんなら、僕が腕を振るっても……」

「まだ安静にしてて。アタシが作るから」

「……おう」


 愛梨は翔を制する形で、部屋を後にした。

 部屋の扉の隙間から見える、エプロン姿の愛梨は初々しさも相まってか、新婚感あふれる雰囲気を醸し出していた。


 塩じゃない愛梨を見るなんて、いつぶりだろう。

 普段からこのくらい優しく接してもらいたいものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る