第十五話「望まない逢瀬」
「おかしな話よね。私……じゃなくて、神坂美成子を利用して友達作りだなんて」
「まさか、連絡先を訊かれるとは思ってなかったなぁ……」
ここは、創墨高校の校門から少し離れた場所に位置する公園。
遅刻確定の生徒二人は、ベンチに横並びに座って、談話を繰り広げていた。
「アタシ、あのおじさん見たことなかったわよ?」
「僕も現地で見かけたことは全然ないけど、ライブ会場には毎度来てるみたいだぞ」
「まさかとは思うけど……」
「そのまさかで、ライブには参加せず、終わった後に、ノコノコと現地会場に来るんだってよ」
「……まさに、飲み会ハンターね」
「ああ。自分から切られてるって気付きたくないんだろうな」
プライドの高い人間は自分を棚に上げて、なんでもない話でも美しく見せようと飾る。彼らの意地の悪いところは、自らの非を省みず、そのまま正当化してしまうところだろう。反省をしないから、いつまでも意固地な子供のまま化物が出来上がる。
他人の信頼無くして、ついていく輩は、容姿が整っているか金持ちだけだろう。
ファン意識の高い僕が言うのだから、間違いない。
「ねえ」
「なんだ?」
「この貸しはデカいわよ」
「また、デートして返すよ」
「……ぁ」
「いいよね?」
彼女はあっけなく、コクリと小さく頷くと、咳ばらいをして本題に移った。
「それで……これはアンタの思惑通りなのかしら」
眼前にいる美成子ちゃんと呼ばれていた、同級生で幼馴染できめ細かな黒髪ロングな彼女は、まだ完全には信じ切っていない疑心を漂わせていた。
僕にも絶対的な信頼があるか、と言われたら頷くことは難しいのかもしれない。
「ああ、問題ない。完璧な振る舞い方だったよ。神坂美成子として、ね」
「……ふん。偶然、アタシが同じ髪型で助かったわね」
手首で、首元からしなやかで長い髪を横に薙ぎ払う彼女。
黒髪ロングという髪型だけが、以前の神坂美成子と同じだった彼女。
花前愛梨は、まんざらでもない様子で自分の髪の香りを鼻孔に含ませた。
「本当に似てるのは髪型だけ、だけどな」
「うるさいわよー」
愛梨が神坂美成子ファンでなければ、再現できなかったと言えるかもしれない。
僕に危機感を覚えさせたのは間違いなく、後輩の生意気な助言からだった。
『目撃情報が出てるんすよ。恋美たちが通う創墨高校に神坂美成子に似た人物がいるっていう目撃情報が』
確証もなにもないが、あの発言が本当ならば、ネットで情報が回り始め、現地訪問しに来る狂信者がいないはずはない、と考えた。なんせ、あの神坂美成子なのだ。
だから昨晩、僕は満足な答えが得られるまで、監視される心当たりがないか尋ねた。
もちろん、神坂美成子本人に。
『昔から視線を感じないことはない、と思います。私、人間不信ですから』
なんとも参考にならない回答。常日頃から監視される立場にいると麻痺するのか?
『でも最近になって、視線は多少減ったんじゃないですか?』
『不自然な質問ですね。その根拠は?』
『いや……髪を切って、髪色も変えたら、気付く人も少ないと思っただけですけど』
なんせ、この僕が一目見ても気付けないくらいの変わりようだ。
他の人間が一目見ただけで分かったら……正直、負けた気分になる。
『そう、なんですね』
当の本人は、その重要性を自覚していなかったみたいだが。
「しかし、本当に髪型だけで分からなくなるものなのね」
「黒髪ロングは、デビュー当時から神坂美成子のトレードマークだったからな」
「それはそうだけど……まさか、本当に騙せるなんて」
「ああ、僕も笑いを堪えるのに必死だったよ。なんか謝ってるし」
陰で人を嘲笑う行為を隠蔽することがこんなにも勿体ないと感じることはあまりないだろう。
実に、にわからしい結末だ。
「それにしても。次はどうするの?」
「次? 次は……二人でデートでもしてもらおうかな。僕を除いた二人で」
今後、本当の意味で規律を犯すことになったら立てる顔がない。
神坂美成子が歌手活動を再開したとき、ファンクラブも円滑に再建できるようにしなければならないからな。僕は彼女と関わりを持つべきではない。
「はぁ? アンタ、何の話してんのよ」
「え? 何の話って、流行りの百合路線変更計画だけど……」
うんざりした表情を見せると、愛梨は念を押すように尋ねる。
「アイツは、ずっとアタシをつけていたことになるのよね?」
「アイツ? ああ、かみなりもんさんね。正確には、神坂美成子と勘違いしていた花前愛梨だけどな。ただ、あのデカいバックの中身が気になるところだけど……」
「十中八九、カメラでしょうね」
「だよな……。あのサイズのバックだったら三脚立てすら入りそうだ」
「ネットの流出の時期からするに、1週間は粘着されていたと見るべきね」
「1週間……そんなにか」
「ああ、タイミングがタイミングよ、どうしてこの1週間で……」
愛梨はどうしてか、苛立ちを露わにさせていた。
この1週間、愛梨と僕は逆に何もなかったと思うんだけど……。
「まあ、心配する必要はないと思うぞ」
「どうしてよ」
「落ちぶれたとはいえ、同志として、約束を破るような卑劣な人間ではないからだ」
「アイツが?」
「ああ、これは規律にも書いてあることだからな」
約束を破らない、という単純明快で合理的なファンクラブ内の規律。
これほどいい規律はないだろう。僕が作ったんだからな。
「それ、本気で言ってるなら笑えないわよ」
「どういうことだ? 彼の目的は、友達の電話番号って分かったじゃないか」
改めて言葉にすると、小学生みたいな目的だな。
好きな子に電話しようと電話番号を訊いてみたけど、
「アタシは1週間以上もカメラを構えておいて、何もしないっていうのが信じられないだけ」
「愛梨は彼が納得していない、と?」
「そうよ。神坂美成子ファンという厄介な界隈の人間ってのが極めつけの材料ね」
「ちょっと待てよ。そんなにうちの界隈って世間からグチグチ言われてるのか?」
翔は耳を疑った。
生意気な恋美から言われるならまだしろ、ライブにも同行して、ファンと実際に交流をしたことのある愛梨がそう言ったのだ。
僕らの仏のような信仰ぶりを近くで目にしていた愛梨がそれを否定する理由が理解できなかった。
「そりゃ、内側の人間は自覚ないわよね。あの空気じゃ仕方ないと思うけど」
「あの……空気?」
「趣味を受け入れるのではなく、強要されるような、そんな息苦しい空気よ。アンタには言ってなかったけど、アタシははっきり言って、苦手だったわよ」
「そう……なのか。まあ、コアなファンも多いから……」
「臭いし、キモいし、擦り寄ってくるしのテンコ盛りだったわね」
「そう……ですか」
突然の告白に翔の思い描いていた理想郷は、溶けていくように抜け落ちていった。
身近な存在である愛梨に言われたこと自体が、ショックだった。
「じゃあ……」と、翔は委縮した頭で、おそるおそると尋ねる。
「そうなると、どんな可能性が出てくる?」
「クズが暴露したら、の話?」
「ああ、僕はまだ信じ切っていないその話だ」
「そのままよね。創墨高校にいる神坂美成子の存在は神坂美成子ではなく、アタシ、花前愛梨が神坂美成子として、広まることになるかもしれないってことよ」
「おいおいマジかよ」
「残念ながら、マジね」
この影武者作戦の本質は、神坂美成子の前にファンクラブの中枢である瀬崎翔を登場させることで、不貞を働くストーカーを規律の力によって、絶望させることだ。
そう。僕がお前らの夢を奪ってやったぞ、と絶望させ撃退をすること。
ただ、今回は読みが外れた。規律が通用しない人間が相手では、神坂美成子を愛人にしたところで、特ダネのスクープにされ、逆効果。不利益しか生まないのだ。
作戦は洗いなおす。空回っただけなんてのは勘弁してほしいもんだが……
「アタシを神坂美成子にそのまま見立ててしまう作戦は、悪くないと思うわよ」
「いや、結果的には悪くなった。彼女自身には、絶対に被害が及ばない作戦だとは思うんだけど、僕という男の存在が脅威にならなきゃ意味がないんだ」
それも、避妊具を買い合うような密接な間柄だと思わせるくらいに。
「アタシにとっては、悪くないと思うわよ」
「悪いだろ。勘違いされるんだぞ」
「だから、良いのよ」
「え……?」
瞬間、全身から悪寒がするくらいに、尋常じゃない冷や汗が湧き出てくる。
こいつ、まさか……。
「安心して。いざという時はまた、アタシが神坂美成子になってあげるわよ」
振り向いてもらえないなら、神坂美成子自身になってやる。
狂気じみたことを平然と言ってのける愛梨に恐怖心を覚えないはずがなかった。
「僕は認めないぞ」
「そ、世間はどう思うかしらね」
それに、僕には守らなくてはならない約束があるんだ――。
※ ※ ※
『話も聞けて満足したので、今日は帰っていいですよ』
『なにを……』
『はい?』
『なにを……するおつもりですか?』
『あなたには何もしませんよ。ただ、今日の言動の意味を突き止めただけです』
『言動?』
人混みに入るのを気にした。
特定の店に留まらないように移動を極端にしたがった。
僕は、些細な言動にも、なにかしらの理由があると考えただけだ。
『安心してください。傍から見て目立つような言動をしてたとかじゃないので』
だから、聖域であるカラオケの入店も許した。
入ってしまえば、
『……他人に迷惑をかけることは控えてください』
『迷惑? 迷惑されているのは神坂さんの方ですよね?』
『私は……迷惑だと感じたことはないです』
『はい?』
震える声でそう言う彼女に、説得力なんてなかった。
『先日貴方の店で購入したものについて、口をつぐんでもらえれば、私はそれで』
『…………』
『あの、どうか?』
『……誰にも言いませんよ。そんなこと』
やっと、言ってくれたという安堵な気持ちが半面。もう半面は……
その震えた声が、僕に向けられていた恐怖心だったという事実に対する、空虚感。
『ファンを大切に想っているというのは、虚勢を張っているだけ、ですよね?』
こんな思ってもいない、毒を吐いてしまうくらいに。
『貴方は、そう思っているのですか?』
『でも、いま……』
『私は、どんな形であれ、ファンの気持ちに応えるのは当然のこと、だと思います』
『それは……本人が迷惑だと思うようなことも、ですか?』
『それも愛だと、私は思っています』
『……⁉』
ですから……と言葉を続けると、美成子は、翔の腕を強く握った。
『度を越えない少年少女らの愛を浴びるのは、私一人で十分、だと思います』
それが約束。
だから、愛梨を神坂美成子と見立ててしまうのはダメなんだ。
誰よりも、他人を重んじる意固地で優しい彼女との約束を破ったら……
僕は、嫌われてしまうかもしれない――。
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