第十四話「翌朝」
「おはようございます!」
「……おはよ」
駅から顔を出す生徒らが気怠そうに、坂を昇り始める朝。
そんな衆人環視の中、一人元気そうに声をかける男子生徒がいた。
「突然どうしたの、瀬崎君」
「僕ら昨日で仲を深めたわけじゃないですか。だから気軽に話せるのがうれしくて」
「…………」
「神坂さん?」
「少々、馴れ馴れしい……と思います」
彼女は遠慮気味にしながら、距離を置こうとする。
周りからの生徒らの視線からして、気を引いているのは確かみたいだ。
「そうですか? 僕はこれからも仲良くしたいと思ってますよ」
「今だって、ほら。注目されてる」
「昨年十一月にあったドームライブよりは注目されてないですよ~」
「あの時もいたのですか? 最前席はプレミアム会員でも入手困難だったはず」
「あんまオタク舐めない方がいいですよ。手段はたくさんありますから」
黒いことはしたことないが、グレーなことは何度もしてきた自覚はある。
それもこれも、僕らを魅了してくれていた、歌手の神坂美成子を拝むために。
「ファン同士の交流はあるのですか?」
「ありますよ。ライブ終わりは頻繁に交流してましたね」
「仲は良かったのですか?」
「それなりには。最近はライブもないので逢ってないですけどね」
神坂美成子を介して、ついでに会う。それがファン仲間というやつだろう。
一部には荒らし目的で入ってきたり、出会い目的で入ってくる人間もいたみたいだが、ルールに背いてる人間に付き合う義理はないので関わることはない。
「ファンの中でも、花前愛梨さん、という方とは仲がよろしいみたいですね」
「え……? ああ、まあ仲はいいですよ。クラスも同じだし、中学から一緒ですし」
「それなのに最近は避けているみたいで」
すかさず差してくる一言に、どことなくデジャヴを覚える。
「は、話す機会がないだけですよ。というかどこでそれを?」
「彼女とは友達なんです。クラスでも頻繁に会話するほど」
「まさか、そんなに……」
じゃあ、あの納屋で話をしていたとき、もう一人誘おうとしてたのって……
「なにか?」
「あ、いえ。なんでもないです」
彼女の鋭い視線に委縮する形で、翔は口をつぐむ。
行動原理が、以前の神坂美成子の人物像からは想像できないな、ほんと。
「ところで、反対車線にいるあの小柄な男性はお知り合いですか?」
創墨高校の校門が見えるところまで来ると、信号機を介して、大きいリュックを背に反対車線から呑気に手を振ってくる、チャック柄のTシャツを着た小柄な男が一人。
手を振られているのは、おそらく僕、瀬崎翔。
「はい、神坂美成子を慕うファン仲間の一人です」
翔はその男に見覚えがあった。
※ ※ ※
「瀬崎さーん!」
横断歩道を渡って、慌てて駆け寄ってくる男性は大きな声で呼びかけてきた。
「……あれ、" かみなりもん "さん?」
「久しぶりですな」
「はい、そうですね。ご無沙汰です」
ファン仲間のかみなりもんさんだ。
彼は、神坂美成子ファンクラブ内では、縁の下の力持ちのような存在で、ファンクラブ内で起きた、交友関係のいざこざはすべて彼に管理してもらっていた。
見た目は壮年入りたての社会人のようだが、喋り方がどこかの村の長のように年季が入っているので、ハマり役職だとみんなで言ったのも懐かしく感じる。
「いつ以来でしたかな」
「たぶん休止前最後のドームライブ以来なんで……二ヶ月以来っすかね」
「二ヶ月ですかぁ……。途端に会う機会がなくなるとたった二ヶ月も長く感じますな」
「そっすか? まあ、佐伯さんに逢えないのは寂しいっすよね~」
「ははは、またまたご冗談を申されますな。……ん? 顔色が青いですぞ」
「いっ……いや、気にしないでください」
裏返りそうになる声を慌てて、押し込んだ。
隣で息を潜めていた女子生徒がなんと、固いローファーの底で足を踏んできたのだ。
なんだよ。僕は、佐伯さんがファンクラブ内で姫なんて呼ばれてたのを思い出して言っただけなのに。
「仲が良いのですな」
「あ、そんなことないっすよ。ははは~」
微笑ましそうにかみなりもんさんは見つめる。
夫婦漫才だと思われただろうか。そう考えると、気恥ずかしくなってくるな。
「それで、今日はどうしてこんなところに?」
「僕、ですか?」
「はい。瀬崎さんに尋ねてますな」
ニコニコした様子で、顔に曇りを一切見せないまま、彼は尋ねる。
「僕は、見ての通り……」
「この創墨高校に通っている生徒だから……ですかな?」
「その通りです。ちょうど……横にいる彼女と登校していたところで――」
「彼女ではなく、神坂美成子ですな。瀬崎さんや」
途端、かみなりもんさんの瞳がギラりと光るようにして、視線が刺される。
「あ、バレちゃいました?」
「パレるも何も、見間違えるはずないでしょう。容姿、風貌、そして、その長い髪」
それはまるで身体を舐め回すような観察ぶりで、常軌を逸しているように思えた。
「やっぱ滲み出てますよね……僕もそう思ってて」
「そうですな」
「ええ、特にやっぱりこの長くきめ細かい黒髪が人目を引く要因じゃないかと――」
「御託は結構」
話の途中でバッサリと切られると、不気味な笑みとともに彼は要求する。
「どういうことか、説明していただけますかな?」
かみなりもんさんの口調は予断を許さないほどに、強いものになっていた。
身体から沸々と滾る怒りを抑えきれないみたいに、煙が出ているようにも見える。
「あー、これはですね……」
「即答はできないと。
「理由はないですよ。見たまんまなので」
「……白状しましたな」
それほど驚きを示すことなく、彼は淡々と平坦に言葉を吐いた。
それはもう、勝ち誇ったみたいに余裕綽々な口元を見せて。
「はい。だから、かみなりもんさんみたいな疚しさはない、と思います」
「……なんですと?」
だから、最初から僕らが勝っているゲームだと分からせてあげようと思った。
「論点ずらしもいいところですな。見苦しいですぞ」
「では、どんなことでも質問していいですか?」
「構わないですとも。包み隠さず話しますとも」
「では、遠慮なく……。かみなりもんさんは、どうして
ギクーッと、雷の演出が幻影で見えたような気がした。
「大した理由はないですぞ。私は――」
「ただ、僕に逢いに来ただけ。なんて、ふざけたこと言うつもりないですよね」
「それは……」
痛いところを突かれたみたいに、かみなりもんさんは表情にも露わにし始めた。
わざわざ、僕らの前に顔を出したことが、仇になったと今更気づいたらしい。
「初めの頃は抜きにして、僕らって、あまり仲が良くなかったと思うんすよね」
「そ、そうですかな……。私はそんなふうに思ったことは――」
「いや、あるでしょ!」
って……やべ。
今からネタバラシパートなのに、あまりに嘘で塗りたくられた社交辞令にうっかり、禁断症状が出てしまった。
この静まり返った空気をもとに戻さないと。
「んぅ……? 大声で荒げてどうかされましたか?」
「いえ、すみません。昨日の面白かったテレビを思い出して、つい」
「構いませんぞ。さ、続きを」
「少なくとも、僕は、あなたが嫌いでしたよ。出会い目的で神聖な界隈に土足で踏み込んできた媚売り野郎としか思っていないですから」
「……それもテレビで?」
半信半疑で尋ねる、一見純心そうに見えるかみなりもんさんに若干、心が痛む。
またやってしまった。んぅ……?ってなんだよ、そのしゃくりあげるような擬音は。
こうなれば、正直に言うまでか……
「あ……えっと、これは本心ですね。はい」
「私に対しての悪口……と?」
「はい。間違いないと思います」
「規律を犯した罪人が言うには、お似合いの台詞ですな」
「それは……」
「まさか、お忘れではないでしょう。我々の契りともいえる規律の存在を」
規律、というのは僕らが作った『ガチ恋をしない』という規律のこと。
彼の言う通り、ガチ恋をするということは万死に値するほどの最も重い罪だ。
それも、彼のストーカー行為よりも悪質な、人の夢を奪ってしまう行為。
「……これ以上の言葉は不要……ですよね。かみなりもんさんの目的を教えてもらえますか?」
翔は最低限の矜持を示すため、彼に服従した。
「潔くて助かるよ。君とは仲良くしたいと思っていますからな」
かみなりもんさんの目的は、『芸能界から姿を消した神坂美成子に逢うこと』
……ではなく。
「ファン仲間の連絡先、ですか?」
「ええ、先日ケータイを紛失してしまいまして、連絡先が失われてしまったのです」
かみなりもんさんは、悲壮感を漂わせた顔で告げた。
それはもう、悲劇のヒロインを気取ったような口ぶりで、悲痛の訴えをするように。
「それは可哀そうに。ファン仲間は憧れをも凌駕する素晴らしい友、ですもんね」
「ええ。だから、ファン仲間の連絡先を教えていただけないかと思いまして」
「ここで見たことを忘れる代わりに……ということですよね」
「お察しが良くて助かります。教えてくだされば、彼女に危害を加えるつもりは一切、ありません。瀬崎さんらも早く行かないと遅刻してしまうでしょうから」
時間を気にしてくれているらしい。社会人っぽい一面あるみたいだ。
「それは大丈夫ですよ。今日はいつもより三本早い電車で来てるので」
今では珍しい、数名の連絡先を書いた小さな紙切れを、翔は渡した。
「瀬崎さん、感謝します」
連絡先を入手したかみなりもんさんは、高圧的な態度を改め、深々と頭を下げた。
「いえ、このくらいのことでしたら」
「卑怯な手を使ってすまない。本当に悪気があったわけじゃなくてだな――」
「構わないですよ。僕は彼女と過ごす日々が1日でも多くなるならそれで」
「瀬崎さん、君って少年は……」
向けられるのは僕に対しての、純粋な感謝の気持ち。
「構わないですけど……最後に質問だけいいですか?」
「答えられる範囲ならいいですぞ」
感傷に浸る男に対して、翔は気になっていたものに遠慮することなく、指を差した。
「背中に背負ってる、その黒いバックの中身には何が入ってるのですか?」
「ああ、これは関係ないものですよ」
「でも、答えられる範囲なら、答えられるはずじゃ――」
「まさか、他人のプライバシーを侵害することはしないですわな?」
やわらかくなっていた目つきが途端に、逆さになった。
登山でもするのかというくらい大きなバック。彼の趣味は何なのだろうな。
「……そうですよね。疑ってごめんなさい」
「はっはー……ごめんね~」
かみなりもんさんは、バツが悪そうに空を見上げながら頭を掻いた。
「それと、ここに来たのはあなた一人だけですか?」
「ん? どうしてそんなことを?」
「現場を第三者に見られたらこの取引が成立しないじゃないですか。だから――」
「ああ、それは間違いない。いないよ。それに、私には友と呼べる人間にも今は会えない状況だからな。だから、君にはなんと言ったらいいのか……」
圧力をかけるようにぺらを回す、かみなりもんさんの表情に淀みは見られない。
あんまり首を突っ込んでも、印象が悪くなるだけみたいだ。
「もういいですよ。さすがに授業始まりそうなので」
「そうか。なんか、すまんな」
謝罪の後。沈黙を消すみたいに、かみなりもんさんは
「ははは……」
と、渇いた笑いで顔色を窺った。
そして、
「美成子ちゃんもごめんね。迷惑かけるつもりはなかったんだ」
当の張本人であり、黙りこくって置物になっていた、翔の横にいる黒髪ロングの彼女にも、言い訳にしか聞こえない押しつけの愛想を振舞うように、声をかけた。
「…………」
彼女からの返答は、もちろんない。
かみなりもんさんは、ひとしきりに平謝りした後、浮ついた足元で帰っていった。
僕らはその背中をただ、見送った。
互いに視線を合わせながら、溢れ出る可笑しさに堪えながら。
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