第十〇話「前座」


 第二の作戦

『購買部でバッタリ、パン奢るよ作戦』は、あっさりと失敗に終わった。


 そもそも購買部に神坂美成子の姿は見当たらなかった。

 冷静に考えてみたら、それもそうだ。僕だって、転校してまだ一週間しか経っていないのに大勢の人が並ぶ購買部に昼を買いに行くようなことはしない。


 彼女の場合は尚更だろう。


 しかし、そんな初歩的なことを恋美が気付かないとは考えにくい。

 いや、可能性もある。恋美のやつ、小動物系女子を演じているばかりに、いつも召使いの男子に買いに行かせているとこの前言っていたから、購買部のある昇降口がお昼時、どんな悲惨な状態になっているのか知らないのかもしれない。


 なんせ創墨高校の名物、グラタンパンは超がつくほどの人気商品で、言うなれば、昇降口が小学校の全学年一斉下校の時と同じくらい、息をするにも一苦労な混雑具合を見せるのだ。


「まあ、人が密集状態なら逆に意識されないっていう線もなくはないのか……」


 作戦の立案者である後輩への不信感は消えないまま、翔は校舎の南棟にある物置になっている暗がりの納屋の中、購買部で購入したパンの耳を一人で貪った。

 一つ、二つと口に頬張り、三つと行こうとした時。

 翔のパンの耳を食べる手は途端に止まった。


 換気用の小窓からけだるそうな女生徒の声が足音とともに、近づいてきていた。

 あれから何分経っただろう、現在の時刻が昼休みでないことは理解できていた。


「マラソンまじだりー」

「それな~。てか、ちょっとここで休憩しない?」


 翔は、音を立てないよう、古びた納屋の壁の隙間から外の景色を覗く。

 外は、小柄な女生徒が近くに二人。遠くには人としては認識できない米粒みたいなサイズの人間が北校庭で走っているのがなんとなく見えた。


 五時間目の授業は学年で校内マラソン。あ、言っとくけど僕は免除有休だ。

 少しくらい労ってくれてもいいだろ。なんせ、このグラタンパンを買うためにどんだけ人と人と人と人に揉まれたのか、君たちは知る由もないのだから。


 じっくりと蛇口から水を吸い取るようにゴクゴクと飲む女生徒二人。

 クラスは違うけど、苗字は知ってるぞ。名前はなんだっけか。たしか……


 下の名前が喉元まで来たところで、蛇口から離れた女生徒一人が口を開いた。


「なんかうちらって恵まれてないよね」

「どゆこと?」


 唐突で不自然な問いかけに、訊かれた女生徒は困惑以外の表情は見せなかった。


「あの噂の話」

「なんの噂よ」


 噂という単語に反応してか、女生徒二人の口元が微かに浮つく。


「例の大型転入生の話」

「ああー、あの箱入り娘さん」


 箱入り娘って、彼女に一番相応しくない単語のような気もするが。

 おそらく、神坂美成子の噂話だろう。


「そう。なんでも転校初日に黒板消しトラップを派手に食らったらしいよ」

「うそ、転校生に仕掛けるとかないわ~」

「あのクラス、ノリがキツイから大変そうだよね」


 ノリがキツイ、か。

 あれは本来、担任への新学期の挨拶という意味合いで仕掛けられたトラップで、アクシデントだったけど、他クラスからはそういうふうに見られてるのな。


「ていうか、私、間近で見たんだけどさ」

「あ、あたしも見た。なんかさ……あの人あれ、だよね」

「まじ、あんたも?」

「うん。まじまじ」


 女生徒二人は意気投合したようで、興奮気味に一つの単語を同時に言おうと言った。

 彼女のことだと分かっていたからこそ、翔は何も身構えることなく訊いていた。


「「せーの! 、だよね」」


「テレビでそういう演技してるのかなーって思ったら、あの人マジでコミュ障じゃん」

「あたし、幻想見てたわ~。もっと忌憚に振舞ってるものかと思ったわ~」

 女生徒二人はその後も愉快に偏りまくった偏見をべらべらと汚い口で語った。


 予想だにしていないこと。

 だからこそ、耐え切れなくなるのも早かったのかもしれない。


 その時は突然、やってきた。


「あいつら、勝手なことばっか言いやがって……」


 頭に血が上った翔は、一言文句を言ってやろうと納屋の扉の前まで駆け寄った。


 暴力沙汰になっても構わない。

 女相手だろうと容赦はしない。

 一発、何かをしてやらないと気が済まなかった。


「事実、だと思います」


 そんな男の覚悟を遮る声が後ろ、つまり、納屋の奥から聞こえてきた。


「……‼ びっくりした……」


 声だけする暗闇にそれとなく身構えると、声の主は陰から続けて口を開く。


「テレビの前、表では忌憚に振舞って、裏では惰眠を貪る」

「それは……僕のことか?」

「いいえ、わ……貴方の敬愛する彼女のことです」


 暗がりの中で微かに確認できるのは服装。

 体操服を身に纏った女生徒は、示した両手だけを太陽の光に晒して、そう応えた。


「あのな……。僕の前でそれを言うことがどういうことか分かってるのか?」

「分かっています」

「じゃあ――」

「けれど、貴方が他人のことでどうこう言うのは身勝手、だと思います」


 女生徒の毅然とした振る舞いに、翔は少したじろぐ。

 僕、神坂美成子のファンの中では、結構な有名人だったんだけどな。


 自分の気持ちが静かに膨らんでいくのを、なんとなく感じた。


「僕にとって、彼女はただの他人じゃない。お前になにが分かるんだ?」

「なにも分からないです。分かるのは、貴方が他人ということだけ」

「……そうか。じゃあ、覚悟を決めろよ」

「覚悟?」


 挑発をするのであれば、それなりの覚悟を持ってするべきだ。

 だって、そうだろ? ファンクラブでリーダー格の役職を務めていた瀬崎翔以上の崇拝者ならば、納得させることだってできるはずだ。


「僕を説得してみろよ。神坂美成子が正義だってことの証明として」


 翔はパフォーマンスと言われてもいいくらい、

 自身の愛の『自信』とファンであることの『誇り』を持って、言って見せた。

 後になってみれば、それが鼻で笑われるような事だったとしても。




「そのコミュ障で、世間に理想を抱かせ騙していた、三下歌手とは、私のことです」


「…………え?」


 薄暗い納屋の中。

 隙間から差し込むわずかな光が、黒とは違ったくすみのあるアッシュブラウンの髪色を所々、夕景色に染めながら、近づいてきた。


「だから、わたしには貴方を止めるほどの説得力がある、と思います」


 距離を縮める人影は足元から徐々にライトアップされていく。

 そう、まるで檀上で見た""のように。


「私が、神坂美成子本人なので」


 注目が集まったとき全身が照らされたとき、僕の中で初めて、彼女は、僕の部屋に貼られたポスターの中の、神坂美成子になっていた。




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