第八話「冷暖歌姫」
「丸椅子どうぞ。長くなると思うので」
「……どうも」
まず、彼女がどういう人物かを紹介する必要があるだろう。
【神坂美成子】
二年前にエーデルサイド主催のオーディションにて、歌手デビューを果たし、美麗な歌声に釣り合ったビジュアルの良さですぐさま熱狂的な人気を獲得した歌手だ。
そんな彼女も最初から人気者だったわけではない。いや、十分な人気者だったんだけど。
活動初期の頃から注目度が高かったのには、一つの理由があった。
それは『ギャップ』だ。
歌唱時には楽曲に寄り添うために、元気の出る楽曲ならば笑顔を絶やすことなく歌い切り、アップテンポの激しい曲ならば雰囲気を崩さずに歌い切る。
想いを歌に込めるのが歌手という職業として定義づけるなら当たり前なのかもしれないが、最近は妙に気取ったりする歌手が増えてきた。
だからこそ、楽曲ごとに歌への真摯な姿勢を忘れないのが神坂美成子が神坂美成子である所以なのだ。
その反面。
歌唱時以外では、一切の感情を消し去っていた。
収録現場でどんなに面白い芸人がいたとしても、大御所の司会者がどれだけ話を振っても、神坂美成子は微動だにすることはなく、自分の歌を届けるだけという生真面目さで、無愛想ともいえる自分の姿勢を崩さなかった。
「それって、面倒なだけだったんじゃ……」
「キャラ付けは大切だろ。尖ってた方が注目は集めやすい」
「それが『冷暖歌姫』の語源っすか」
「……ああ。そうだよ」
誰でもネットを見る時代。
様々なメディアによって、爆発的に拡散された神坂美成子はある愛称を付けられ、定着することとなる。
『冷暖歌姫』
歌唱時との温度差のある振る舞いから、世間からはそう呼ばれるようになった。
「どこかのエアコンみたいな愛称っすよね~……って、そんな睨まなくても」
「僕はあまり好きじゃない。彼女は真摯に歌と向き合っているだけなのに」
「でも、その皮肉な愛称が出回って、人気を博したことは紛れもない事実っすよね」
当の本人である神坂美成子は『冷暖歌姫』の愛称についてどう思うかと訊かれた時、
「特に気にしていない。歌えるなら、それでいい」
と言及しているため、本人は気にも留めていないことが判明している。
それが彼女の強さでもあるのだ。
「まわりに愛想を振りまかない……正直、恋美には分かりかねるっす」
「お前は真逆だもんな」
「はい、恋美はみんなから好かれたいので」
神坂美成子はその後も何ら変わりなく、活動を続け、さらなる飛躍を遂げていった。
新曲を出せば月間オリコンランキングではTOP3間違いなし、デビュー二年目にして行ったアリーナツアーは大盛況で完遂。
歌手活動以外のメディア露出はしないという我のスタイルを貫き通し、彼女なりのブランドを確立。神坂美成子は実力派シンガーとして一躍、時の人となった。
「あの頃の勢いはすごかったっすね~。社会現象になりつつありましたよ」
「誰にも止められないよ。あのときの神坂美成子は最強で最高だ」
「まさか、先輩と同い年だとは思わなかったっすけど」
「同意見だ。僕も成人しているものだと疑っていなかった」
「先輩も知らなかったんすね。にわかっすか?」
「ちげーよ。知らないんじゃなくて公開してないの。神出鬼没な孤高の歌い手。それが神坂美成子のスタイルだから」
「そんなに怒らなくても……」
二ヶ月前。
そんな人気絶頂中の『冷暖歌姫』こと神坂美成子が突如として、歌手活動休止を発表。明確な理由は語られないまま、彼女はステージから姿を消した――。
「しかし、幸運でしたね。休止後もまた会うことができて」
「…………」
「……先輩?」
「いや、たしかにそうだな。本当に消えてなくてよかったよ」
思い直すみたいに翔は言葉を紡いだ。
「先輩は、神坂美成子をツチノコか何かだと思ってるんすか?」
「ツチノコなら構わないさ。僕はそのツチノコを鳥籠に閉じ込めて監視したいわけじゃないから。ただ、誰かに飼われるツチノコを液晶画面を通して、傍観していたいだけなんだ」
「それで」
「……そ、それだけだけど。」
結論を要求するような無関心な返答に、翔は圧迫されるみたいに怖気づいた。
「クラスで浮いてる、というのは間違いなさそうっすね」
「それは、嘘でも否定できなさそうだな」
というか、僕の決意と覚悟のツチノコ発言に聞く耳持とうよ。
結構、本質的なこと言ったつもりだよ? いち彼女のファンとして。
「神坂美成子のクラスでの立ち位置はどうなってるんすか?」
「普通だよ。過度に崇高してるのは僕だけだし」
僕以上のファンはいないだろう。未満は学校中のどこでもいるだろうが。
「つまらなそうだったり、楽しそうだったりとかは?」
「たぶん、後者じゃないかな。クラスメイトとも違和感なく会話してるし、表情の変化が少ないから分かりづらいけど……」
「そりゃ舞台から降りたら冷たい風しか吹かない神坂美成子ですからねー」
「ライブも行ったことないくせに、テキトー言いやがって」
神坂美成子は実の肉親が死んでも、ライブ公演を中止にはしないだろう。
彼女の肝っ玉はそのくらい据わっている。
「……なにか気になったことでも?」
「あったとしても、話すのは僕の幻覚だぞ」
「それは遠慮しとくっす」
黒板消しトラップに引っ掛かった直後にした自己紹介。
愛想を振舞ったのか、はたまた本心からなのか、僕には解らない。
けれどあのとき、彼女は確かに微笑んでいた。
古株の僕が、彼女の些細な表情の変化に気づかないはずがないのだ。
何を持って、微笑んだのかは分からないけど。
「先輩は、考えを一新した方がいいっすね。それもずる賢く」
横柄な態度に、翔は若干食い気味で迫る。
「どんなふうに?」
「先輩はいま、神坂美成子の内面を覗き見することができる絶好のチャンスじゃないっすか。それこそ、そこらの一般人なんかよりも
「そうとも言うかもしれないっすね。けど、それは先輩の捉え方次第っす」
「捉え方……ね」
翔は即座にその場で腰を上げると、バックルームのドアノブに手をかけた。
「トイレっすか?」
「僕は帰る」
そんなの、理屈を強引にまかり通した傲慢じゃないか。
「ええ~。恋美ってば、なんか
「これ以上、遅くなるとお前んちの親御さんも心配するだろ」
時計の短針は夜の十一時を指そうとしていた。
「うち、親とかいないんで大丈夫っすよ。いてもいないようなもんなんで」
「お前がよくても、僕はよくないの。前みたいに補導されたくないし」
「あの時はどうにかなったじゃないっすか。恋美の頭脳プレイのおかげで」
「頭脳プレイ(笑)な」
明日からまた学校が始まる。こんなふざけた話に付き合っている暇はない。
「恋美は、先輩が困っているから手を差し伸べているんすよ」
「建前はいい。だいたい話を聞くだけだったろ」
「話を聞いたうえで、恋美の頭脳明晰で正確な意見が欲しいのかと」
「自信過剰すぎるだろ」
「先輩はネットがいま、どんな状況になっているか知ってます?」
「知らん、興味ない、帰る」
「後悔する前に」
「だから、そんなこと――」
「話だけでも訊いてみたらどうです? 先輩」
恋美はいつものように軽快に。
けど、翔の言葉を遮ってまで、強引に話を続けようとする。
翔は踵を返して、話だけでも聞くことにした。
「ネットだろ? 情報は公式から毎日確認してるよ」
新商品情報しか発信されないけど。
「エゴサーチはしないんすか? SNSとかで」
「滅多にしないな。なんせ不特定多数の人間が言う『神坂美成子のここが
良いポイント』なんて、僕が彼女のことを一番よく知っているから見る価値もないし」
「ナチュラルにファン内で対立関係生もうとしてます?」
悪口を言ってるんじゃない。そんな誰でも知ってるような表だけの情報で己の承認欲求を満たそうとしている輩に腹が立つのだ。
「でも、先輩が神坂美成子が髪を切ったことは知らなかったっすよね?」
「プライベートのことは知らないよ。一般人は知る権利もないだろ」
「髪をあんなにバッサリと切ったのに?」
「ああ、メディア露出がなければ知ることはできないな」
「なるほど。先輩は、そういう見解っすか。本人としてはありがたいかもですが、ファンとしては三流っすね」
「お前になにが分かるんだ。僕らは彼女のご尊顔を生で拝めるだけで救われているといっても過言ではないんだぞ」
軽い気持ちで貶されたような気がして、翔は口調を強くした。
「目撃情報が出てるんすよ。恋美たちが通う創墨高校に神坂美成子に似た人物がいるっていう目撃情報が」
「え?」
眉間に顕著に現した不快感が、背筋を悪寒がゾクゾクと走り抜けるような不安感に変わるのはそう遅くはなかった。
「ま、まだ転校して一週間だぞ? そんなことが……」
「ありえなくもないっすよね~。今の時代なら」
「……ソースは?」
「SNSでチラホラってだけっす。まだ大っぴらには……って先輩?」
恋美が問いかけた次の瞬間、丸椅子が床に音を立てて勢いよく倒れこんだ。
部屋中に鳴った脚の金属部分の鈍い音。
倒れた後の静寂は、微かな音も聞き逃すことのない沈黙を呼び寄せた。
「……が……なきゃ」
唖然とする恋美に目もくれずに、翔は独り言のようにブツブツと呟く。
そして、はっきりと内に秘めていた、重圧的な想いが口から飛び出た。
「ぼ、僕が守らなきゃ――‼」
それは、本能的に出た神坂美成子のファンとしての矜持――。
「でも、先輩……神坂美成子に避けられてますよね?」
「なんでそれを⁉」
「先輩の反応はいつも露骨なので、なんとなく」
「なーにがなんとなくだよ。どっかから監視してたくせに」
すまし顔でやっぱりとなんでも知ってるような表情を見せる恋美は、鼻についた。
「挑発成功すか?」
「挑発、か……。いいよ、ボールでもフォークでもかかってこいよ。何が言いたいんだ? あ? バックスクリーンまで返してやるよ、その打球」
「あの、なに言ってるかよくわかんないっすけど、貸してもらえます?」
「え」
差し出されたのは、片手で握りつぶせてしまえそうな可愛らしい手のひら。
翔は手招きされたみたいに
「なにしてるんすか?」
「お手だけど」
「ペン、もらえます?」
「あげないけど」
ジリジリと互いの視線が交錯する。
手のひらに乗せた翔の握り拳を先に視線を外した恋美が丁重に机の上に置いた。
僕の勝ちだな!
「お近づきになるための作戦を今から考えるんすよ」
「へ、作戦?」
恋美は真顔睨めっこに負けたにも関わらず、悔しがる素振りも見せなかった。
「言ったじゃないっすか。恋美は先輩が困っているから手を差し伸べているんすよ」
「なんだ、勝負じゃないのかよ」
翔は、差し伸べられた手のひらに愛用のボールペンを渡した。
「これで先輩の勝利は確定したも同然っすよ……ニヤニヤ」
不敵に笑みを浮かべる愛垣恋美は、楽しそうに白紙に何かを書いていた。
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