第七話「明確的リレーションシップ」
「ちょっとさ、舐めてんの?」
「舐めてません。課せられた業務を全うしてるだけっす」
後輩店員の愛垣恋美が、絵に描いたようなチンピラ集団に絡まれて、歯向かっていることに気が付いたのは、翔が水の入ったバケツを片手に携えてレジに戻ってきた時だった。
「っす……って、それ馬鹿にされてるようにしか思えないんだけど。態度もわりい、品揃えもわりい、商品も売らせない、最悪だな?」
「決まっていることですので」
「俺ら、お金払ったよな。払った後に言うのは違くない? みんなもそう思うよなぁ?」
一人の男がレジの前で血相を変えて威圧的な態度で、店員を牽制しながら、後ろにいる仲間数人に店内に響き渡る大きな声で同調を求めた。
後ろにいるアイスの棒を持った仲間数人は、視線をあからさまに逸らしながら、「まぁ……そうかも」と曖昧な言葉で返した。
「お金は返金いたします。ですから……」
「そういう問題じゃないよ? わかるよね?」
反応からするに、不服なのはレジ前にいる男一人みたいだ。
ほかの仲間数人と比べて、顔が赤く見えるのは気のせいじゃないだろう。
というか、よくよく見たら、さっきまでアイスケースを独占していた学生集団だ。
これも若気の至りってやつなのだろうか。あんなふうには酔いたくないな。
「もし、このまま売らないんなら、あんたの誠意をヒッ……見せろよ……。もちろん、俺の虫の居どころが良くなるまでな」
「誠意、ですか?」
「そうだよ。誠意! 愛……なんとかさんは誠意って知ってるかぁ?」
男は店員に顔を近づけて、ネームプレートを間近で見ながら、大声で問い詰める。
そろそろ、頃合いだろう。
あいつが何をしたのかは知らないが、これ以上の話し合いは無意味だ。
部下の責任は上司の責任。僕には止める責務がある。
「このたびは――」
「確認が遅れたのは謝罪します。申し訳ございませんでした」
翔の横槍が入る前に、恋美はその場で深く頭を下げた。
「そ、それはなんの謝罪だよ」
「れ……わたくしのお客様に対する年齢確認が会計後になってしまったことはお詫びいたします。ですが、年齢の証明できるものがなければ、お酒を販売することはできません」
「財布がないだけで、俺はこんなに酔っぱらってるのにか?」
「はい。お客様に販売することはできません」
彼女なりの誠心誠意を、翔は初めて垣間見た気がした。
目を離したら、すぐに他人に迷惑をかけるような問題児。
客の悪口は言うし、からかってくるし、言うことは聞かないし。
『余計な世話すんなよ』
だけど、そんな彼女にも芽生えてきた一面。
無愛想に接客をする心配よりも、成長を感じさせる嬉しさの方が勝っていた。
あいつ、やればできるじゃん。
「……じゃあ、もういいよ! 面倒だし」
「あ、お客様」
酒をその場に置いて、店を後にしようとする客を恋美は呼び止める。
「この、アイス棒はお売りできますけど」
前言撤回。たぶん、接客向いてないわ、あいつ。
「お前……」
客は怒り心頭。
今度ばかりはさすがに止めに入った。
やっぱり、余計な一言が要らないんだよなぁ……。
※ ※ ※
「びっくりしたっすね~。まさか、神坂美成子が創墨高校に転校してくるだなんて」
「いやいや、どうした急に」
レジに戻り、退勤までの時間を過ごすタイミングで、恋美はいつものように明るく翔が避けたい話題を振ってきた。
「どうしたもなにも、顔に訊かれたくないって書いてましたし」
「それは、確かにそうかもしれないけど……」
ついでに『訊かれたくない』と書かれたメモをセロテープで僕の顔に貼ろうとするのはやめろ。
「なんすか? 恋美に不満でもあったっすか?」
「不満は……ないけど」
「けど?」
純粋に問い返す恋美、そしてこの普通すぎる空気。
「なんかさ、違くないか?」
「転校してきたのは事実っすよね」
いつもとは違う、なんともいえない居心地の悪さが翔の中にはあった。
「ここは怒ってもいいところじゃないか?」
「はい?」
「いや、普通に考えてさ、後輩のピンチを先輩の僕は見守ってたんだぞ」
「あー、まだそっちの話っすか」
「もっとなんか言われるのかなーって思ってたんだよ。僕は先輩だからさ」
「えっと……つまり、『もっと早くに助けに来いよハゲタコボケナスこらぁ』って言えばいいってことっすか?」
「そういうことだけど、ちょっとそれは言い過ぎじゃない?」
定番盛り合わせお得セットみたいな悪口は、反省のしようがないよ。
「あ、わかった!」
恋美が閃いたように声を出した。
「なにがわかったんだ? 僕の言動に他意はないぞ?」
いや、話題を逸らしたいという思惑はあるかもしれないけど。
「先輩、さっき持ってたバケツって」
「あ、あれはな……」
「
「はい、アウト~! 下品なの禁止でーす!」
「じゃあ、あのバケツは?」
「イートインスペースの机を拭いてたんだよ。白いのがこぶりついててさ」
「それって――」
「たぶん、カップ麺の油か何かだろうな」
「あ、そっすか」
恋美はハイライトの見えない、心底、興味のない目で流した。
その手にはもう引っかからないからな。
「一応言っときますけど、先輩が謝るようなことじゃないっすから」
「そうなのか?」
「はい。愛想が悪いのは恋美が望んでやってるキャラっすから」
「そこは笑顔満点の接客を期待したいんだけど」
「悪いっすけど、恋美。客が神様なんて生まれ変わっても思いませんから」
「だから、そういう問題じゃないって、何回言えば――」
「この話、アイスの新商品が品切れってところから始まったんすよね~」
「て……店長に言っとくよ」
「ちゃんと、お願いします」
なんとなくわかってきた。
恋美の発言から推測するに、つまり、あの酔っ払い学生はお目当てのアイスがなくて、財布も持ってなかったから酒も買わせてもらえなくて、怒ってたってことか。
それに加えて……
「……? なんすか?」
こいつの気に食わない態度。
結果的に年齢確認を会計後にやった事が、火を点けてしまったわけだ。
しかし、どうして年齢確認を会計後にしたのだろう?
僕も新人の頃はたしかに罰金30万と客に怯えながら「すみません、年齢証明できるものって……」と訊いていたが、あの生意気で強気な愛垣恋美なら、パッと訊いて、パッとダメですと言ってしまいそうな、即決即断のイメージがあるものだが。
「いや、なんでもない」
たぶん、めんどくさがったんだろう。
深く考えるのも時間の無駄だ。こいつなら客側にある年齢確認のタッチパネルをレジに飛び乗って押すことも考えられそうだし。それに……
法を犯す客側の気持ちなんて、理解する必要ないか。
「あ、それと先輩」
「なんだ?」
「チンピラ撃退したっすよね」
「ん? ああ、先輩だからな」
「あの、イチオウ、アリガトウゴザイマシタ……」
左の二の腕をつまみながら、吐く後輩からの感謝の言葉は無愛想そのものだった。
「心こもってねー……」
※ ※ ※
「お疲れ様っす」
「お疲れ」
無人のバックルームに戻ると、各々が帰り支度を始める。
店長はさっさと帰っちまったのか。あの光景を見たら、どう思うのやら。
「嫌いな知り合いでもいたか?」
恋美は、防犯カメラの映像が映るモニターを見て、眉をひそめていた。
「いや、夜はこれからだなーと思って」
「まさか、お前……」
嫌な予感はすぐに当たりそうだった。
「先輩。話の続きするっすよね?」
「話ぃ? なにか話してたっけー」
「知ったかぶっても、無駄っすよ~」
恋美は背もたれのあるクッション椅子に腰を下ろすと、子犬みたいに目をキラキラさせた。
「神坂美成子っすよ! 今日はここで、夜が明けるまで話しましょ」
「夜が明けるまでは嫌だな」
どうせ、僕が質問攻めに遭うだけだろ。
「恋美は、人類の9.99割が卑しく思う話を訊く時が一番楽しいんすよ」
「重い腰上げた話す気を削ぐな」
心の中の小言にも、釘を刺されたような、そんな気分だ。
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