第六話「先輩のすゝめ」

 

 あれから何時間経っただろうか。

 額に滲み出た一滴の汗がこめかみから流れ落ちる。

 次の言葉を言おうか、様子を窺いながらも、大丈夫だろうという慢心に代わると、大体が手遅れの局面になっていたりする。

 だから、こういう時だからこそ。


 僕は自信をもって、ドリンク剤一本の時でも、焦らずにこう尋ねるのだ。


「ポイントカードはお持ちですか?」




「ありがとうございます! またお越しくださいませ」

「今日は随分と人が来たっすね……」


 一週間の暮れの日の夕方勤務。

 翔はまた、問題児な後輩と勤労の時間を共にしていた。

 それも類に見ないくらいの繁忙時を。


「先輩は帰り何か買って帰ります? 恋美は新商品のスイーツが気になってて……」

「終わりが近いからって気を抜くなよ。お前の場合、クレームの原因になるから」


 ただでさえ無愛想な接客をしているのだ。配慮はしたほうがいいだろう。


「先輩、冗談キツイっすよ。恋美たち、あの荒波を二人で乗り切ったじゃないっすか」

「お前はまだレジ操作に無駄がある。いつも言ってるだろ、お釣りにお札もあるときは小銭からじゃなくお札から取れって」

「だって、そっちのほうが客側の手間が省けて楽じゃないっすか? 恋美も客側だったら、小銭から受け取ったほうが焦らずにお札をしまえると思うんすよ」

「正当化しようとするな。先輩の言うことは絶対だから」

「ケチ。んなこと言ってたら、将来禿げますよ」

「気持ち的にはもう禿げてるよ……」


 ストレス値的な意味だとな。


「さっき、会計が終わった後に、お客様に追加で袋代の三円を払わせてたよな」

「それがなんすか? 有料なんだから当然っすよね」

「事前に訊いておけば、本当はかけることのなかった手間を、客の時間をお前は奪ってるんだぞ」

「時間は奪っても怒っているようには見えなかったっすよ。なんなら『新人さんか、忙しそうだけど頑張ってね』と応援の言葉までいただいたっす」

「眉をしかめなかったのか?」

「はい。恋美の可愛さに感嘆して、怒りも吹っ飛んじゃないっすか?」

「そうか。なら……知らん」

「先輩?」


 我慢我慢。

 こいつの反抗期は今に始まったことじゃない。

 現在の時刻は二十時四十七分。たった、あと十分弱の辛抱だ。

 こういう無償にイライラする時はレジから離れたほうがいいに決まってる。


「どこ行くんすか? 先輩」

「店内回って前陳するんだよ。忙しかったろ」

「店長が粗方やってましたよ。ドリンクの補充も」

「それでもどこかは……」

「アイスケース前にいる大学生集団。あれ絶対一人ずつ来ますよ」


 恋美が指差したのは店内にいる学生集団。

 楽しそうに談話している学生集団は順番に一人ずつアイスを選んでいるようだった。

 代表して、買い物かごを持っている人間はたしかに見当たらない。


「ここに居ないと、っすよね?」

「……そうかもな」


 あんまり人を観察するような目で見るのはやめろと言うべきだな。


「それはそうと先輩」

「なんだ? 言い訳なら受け付けないぞ」

「やっぱり、今日忙しかった理由って……」

「ああ、あれのせいだろうな」


 いつもは平穏のはずの日曜が途端に何人も並ぶような地獄絵図になった原因は明白。

 それは今日から始まった社会現象にもなったアニメ作品とのコラボ企画で、スナック菓子を二個購入すると付属でついてくるキーホルダー目的の客が原因だ。


「恋美は知ってるのか?」

「もちろん。恋美も欲しかったので一個だけキープしといたっす」


 恋美が制服のポケットから取り出したのは、この四時間弱で何度も目にしたピンク色の髪をした可愛らしい少女のキーホルダー。


「そんなに流行ってるのか? それ」

「先輩、なーんにも知らないんすね」


 恋美の顔は引きつったように見える。


「わるいかよ」

「いえいえ、大丈夫っす。実はグッズが売れてるだけでそこまで流行っていないので」

「そうなのか? ならいいけど……」


 一般的な男子高校生の話題に差し支えるほどのものであれば、予習する必要があると思ったが、巷で話題になっている程度なら、僕も極力、労力を割きたくはない。


 たとえ、自分が若者の部類に入っていようと、人には向き不向きがある。

 翔は、後者だった局面を何度も経験してきたのだ。


「安心してください、先輩。無理しなくてもいいんです」

「そ、そうか……?」

「はい! 先輩は恋美が思い描く通りの無知でダメな先輩でいて欲しいっす!」

「おいそのアニメ観るからタイトル教えろ。いますぐ」

「先輩、こわ~。これだから流行老害は」


 流行に乗れなくても後輩に舐められてるようじゃ、先輩失格だ。

 後で絶対に聞き出そう。僕の名誉にかけて。


「それはそうと、ちゃんと対象のスナック菓子二個は買ったんだろうな?」

「後で買いますよ。これはキープっす」

「キープってお前……」


 またグレーなことを覚えやがって。


「というか、まだ店頭には残ってるんすかね~? ストラップ」

「どうだろうな。さっき電話で訊かれて確認しに行ったときは片手で数えるくらいしかなかったと思うけど」

「あー、電話。うるさいと思ったら、その電話だったんすねー」


 うるさいって……お前もそのうち電話対応することになるんだけどな。


「まあ、いいや。僕、ちょっとストラップとお菓子の在庫見てくるわ」

「え。先輩、レジは?」

「確認してくるだけだから。ちょっと待ってろ」


 翔はそう言った後、急ぐ素振りも見せず、スナック菓子が陳列されている場所に向かった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る