第五話「常識破りのエイプリルフール」
「さっきの話。あれは嘘だよな?」
教室に入って早々、遅れて入ってきた中陳は開口一番に翔に尋ねてきた。
「翔ってば、中学の頃から乗り物全般が苦手で、機嫌が悪くなりがちだもんな」
自分から聞いてきたくせに、いざ真実を伝えると信じることができない性分らしい。
「本当だったら?」
「それは……もうお前たちをそういう目でしか見れなくなる」
どんな目だよ。
「今日が何の日かお前も分かってるだろ?」
「そうだよな……なら、いいんだ」
嘘か誠かは言わなかったが、中陳はそれを聞くと、安堵したみたいに隣の席に着いた。
というかお前、応援するんじゃなかったのかよ。
「ったく……。エイプリルフールってのが嫌いになりそうだぜ」
「どのくらい嫌いになりそうだ?」
「紙が切れて、トイレットペーパーの芯でケツを拭くくらい」
「さすが清掃美化委員書記。環境にも配慮してるんだな」
「ま、まあな! へへっ」
別に褒めてはないが、前向きなのはこいつのいいところ……か。
「……じゃあ、もう一つだけ。法螺話を吹いてもいいか?」
「さっきみたいなのはよせよ」
「善処するよ」
翔は一拍置いた後、重々しい口調で昨日のことを話し始める。
「昨日、男なら誰もが振り向くような絶世の美女が来店したんだ」
「はあ」
「僕自身、彼女に見惚れていた自覚はなかったんだけど、人間のオスとメスの足掻きようがない性的本能で、目が行ってたことに気が付いた」
「つまり、見惚れていたと」
「断定するのは早い」
「いや、間違いない。俺もそういう時は開き直ることにしてる」
「話の腰を折るな」
「でも、そういうことだろ? よかったよ。お前が神坂美成子から卒業できて」
「卒業してないし、彼女に対して、僕はそういう感情を持ち合わせていない。前から言ってるだろ? 次言ったら、控えめに絶交するからな」
「悪かったよ。話のつづきをどうぞ」
ったく、現実見てないシスコン野郎に言われるのが余計に癇に障るな。
翔は咳払いをして、話を再開する。
「遂に彼女が会計をしにレジにやって来た。僕は彼女の圧倒的……いや、圧力的な誘惑に気を取られないよう、冷静沈着に商品をスキャナーに読み込ませていたのだが、購入した商品の中に避妊具を見つけてしまった」
「ほう」
「通常、避妊具は生理用品と同じ類だと教わるために、僕は紙袋に入れるかどうか彼女に尋ねた。すると、彼女は『この後、使うから入れろ』と宣言までしてきた」
「大胆というか、恥じらいがないのな」
「この話はそこで終わる。その後、僕は後輩に動揺していたことを指摘された」
「動揺? 動揺っつーか、それは……」
中陳が首を傾げたのを確認した翔は、確信をもって、こう断言した。
「そう、わざわざ使う宣言をした彼女に興奮したんだよ!」
「……で、話のオチは?」
中陳は自慢話を聞いた後みたいに、退屈そうにして結論を待っていた。
クラスの一部が声に反応してこちらを向いたが、期待できるようなオチはもちろんない。
「悪い。それを確かめたかっただけだ。それ以上もそれ以下もない」
「なんだよそれ~。俺も会いたかったわ~」
「うちで働ければまた会えるかもな」
「バイトは時間と体力が奪われるから嫌だ」
「時間は縛られるけど、お金が増えることはいいことだよ」
「……そう、だな? いや、当たり前のことを言うな。労働が嫌なんだよ」
「はは。そうだな。まあ、言えてスッキリしたわ。ありがとう」
そう。
聞いたことのある声色だなんて、絶対にありえない。
聞いたことのある発音だなんて、絶対にありえない。
あれが神坂美成子だったなんて、絶対に――。
翔は、一抹の後悔を思考から完全に遮断させた。
「そういえば、あの黒板消しトラップはなんだ?」
指差したのは教室の扉に挟まれた黒板消し。
「誰かが仕掛けたんじゃないのか? 翔の方が先に教室に来てたろ」
「うちの担任は軽々とかわすから意味ないだろ」
「今日は当たるかもよ」
「当たらないに百円」
「じゃあ、俺も当たらないに五百円」
「それじゃあ、賭けにならないだろ」
なんせ担任である小倉先生は、体育が専門講師のバリバリスポーツマンだ。
歳で反射神経が衰えているとはいえ、長年培ってきたセンスは本物だ。
「おい、開くぞ」
扉の小窓に影が映るのを確認すると、クラスメイトの一人が合図する。
クラスメイトがその瞬間を見守ろうと、緊迫した空気を醸し出す。
そして、黒板消し一つ分が空いていた扉が少しずつ開き始めた。
少しずつ少しずつスローモーションに見えて、やがては、扉に挟まっていた黒板消しは頭上から降り、見事、制服を着た担任の頭に抵抗することなく命中……したが。
「え?」
一人の生徒が疑問の声を挙げて、クラスメイト全員の心の声を代弁した。
担任と錯覚していた人物の隣に担任の姿が見えたからだ。
つまり、担任ではない誰か
黒板消し特有の白い粉が舞い、頭から粉で白くなった制服を纏ったその人は、
僕だけでなく、クラスメイトの誰しもが見覚えのある顔だったから。
「あ、あ……あっ……ぁ~」
瀬崎翔は言葉にならない吃音を発しながら、思わず席から立ち上がった。
教室が次第に騒々しくなる中、彼女は落ち着いた物言いで、
黒板消しトラップに引っ掛かった直後とは思えない逞しさで、
髪を真っ白に汚した状態のまま、クラスメイトに初めての挨拶をした。
「本日、創墨高校に転校してきた神坂美成子です。よろしくお願いします」
誰もが適当な法螺を吹いて盛り上がるエイプリルフールの日。
それは冗談にしては、あまりにも現実味を帯びない展開で。
僕が思い描いていた神坂美成子より、俯瞰して見る神坂美成子は少しだけ……
――
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