第四話「休み明け」


 刺激的な一日を過ごした翌朝。


「もう、朝か……」


 翔はどんな夢を見ることもなく、目を覚ました。

 歩道橋で路上ライブを見る夢も、歌番組で収録模様を眺める夢も、観客席がパンパンのアリーナ席でライブに参戦する夢も、見ることなく、熟睡したみたいだった。


 TVから聞こえるニュースキャスターの声が妙に遠く聞こえる。

 耳障りなノイズで何も聞こえないよりかはマシかもしれないけど、耳だけじゃなく、目ですら見れなくなった……という解釈のほうが今の僕には納得がいった。


「克服した……ことにはならないか」


 言葉に出してみるけど、やっぱり考えられない。

 まさか、苦しめられていた悪夢がこんなに恋しくなるなんて思いもしなかった。

 恋美の言ってた『離れた時間が二人を他人にする』遠距離恋愛ってやつに似てるかもな。いや、あれはアイツの自論か。


 なんてくだらないことを浮かべながら、翔は机の上に無造作に置いてあった食パン一枚を雑に銜えた。時刻は……うん、予定通り。


「行ってきます」


 無人の家に挨拶した後、翔はいつもより早めに家を出た。


 今日は四月一日。僕らが通う創墨高校、一学期始業式の日だ。

 近場の駅で待ち合わせした時間は、いつもより一本早い電車の時間。

 翔が乗車する電車は始発駅から数えて早めな三本目の駅。

 普段乗っているもう一本遅い電車だと、まだ席が埋まりきっていない状態なのだが、今日は既に吊り革に掴まる人もちらほらと見えるくらいには人がいた。


 あいつは多分……立ってんだろうな。呑気な顔して。


「なあ。始業式だからって、わざわざ一本早くなくてもよかったんじゃないか?」

「久方ぶりに会った友人に対して一言目が文句かよ。翔」

「だって、座れないし」


 翔が通う創墨高校の最寄り駅までは、三十分以上かかるのだ。

 朝から三十分も立たされるなんて、拷問に近い……は言い過ぎだが、正直考えたくはない。偏見と捉えられがちだが、立ち仕事を選んでいる社会人は人生の5割を棒に振っていると本気で思ってる。立ち仕事は辛い。


「仕方ないだろ。役員になったんだし」

「なんの役員だっけか?」

「聞いて驚け。清掃美化委員の……」

「僕まで巻き込むな。僕はお前の彼女か」

「まだ役職言ってないでしょーが」

「言わなくてもわかる。どうせ書記のくせに書記っぽいことは全然任せられなくて、結局上級生のくせに雑用だけやらされる下っ端一年と同等の扱いだろ」

「いや、書記なのは間違ってないけど言い方に棘しかないよね?」


 毎日のように駅で待ち合わせするクラスメイトの中陳智樹とは付き合いが長い。

 きっかけは、中学一年の頃。中陳という特徴的な苗字だったのが気になり、僕から興味本位でからかってやろうと近づいたら懐かれたというのが始まりだ。


「しかし、彼女かぁ……。お前となら、なってもいい……かもな」

「朝からキツイぞ。お前」


 冗談を言い合う仲ではあるが、たまに冗談じゃない発言も混じっているため、こいつの冗談は安心して聞いてられない。

 こいつのことは親友というより、一度しか家に遊びに行ったことがないのに、道端で会うたびになぜか懐かれている友達の飼ってる犬みたいな存在と思ったほうが付き合いは楽だ。


「あ。と言えば、愛梨はどうした?」

「愛梨はいつもの時間で行くってよ」

「俺には連絡来てないぞ」

「僕には来てた」

「そうか……なら、仕方ないな」


 中陳は肩を落として、露骨に落ち込む素振りをする。

 別にどっちに連絡しようが、大した意図はないと思うけど……

 たぶんこいつは「あるだろ‼」と大声で叫ぶから、言わないことにした。


「ところでよ、春休みはなにしてた?」

「休みが始まる前も話した気がするが、僕はずっとバイトだよ」

「だよなー。平日の昼間に働く素直に高校生すげーわ」

「特に予定もなかったしな」


 一昨日のことを話したらめんどくさくなりそうだ。

 いや、話すつもりもないんだけどさ。


「ところでよ、宿題は終わらせたか?」

「数学の方程式の部分があと少し。それ以外は粗方片付けたかな」

「それ、俺を貶めるための冗談か?」

「今日はエイプリルフールだったか? 残念ながらこれは、本当だ」

「まじかよ、俺のも手伝ってくれる……よな?」


 そういう上目遣いを男に向けるな、男の娘といえる骨格もしてないだろ。


「安心しろ。締切の入学式まではまだ三日ある」

「冷静に考えて、三日で終わる量じゃねえよ……」

「城を建てるわけじゃあるまいし、終わるだろ」

「それは一夜城な」

「なら余裕だろ。一夜城ならぬ三夜宿題だ」

「全然面白くないし、言っといてなんだが、その理論、根本的に間違ってるから」

「そうなのか? 僕、歴史ができない文系だから」

「それはさすがに文系名乗らないほうがいい」


 過去を覚えたって仕方なくないか?

 いや、たしかに流行に乗るタイプでもないけどさ。


「ところでよ、春休みは家族でどこかに出かけたか?」

「ずっとバイトだっつってんだろ。僕からは新人が生意気って話題くらいしか出ないぞ」

「いや、違うんだ」


 否定の言葉。これまでの話とは違う、ただならぬ気配を察知する。


「何が言いたい?」

「俺の……自慢話をしたいんだ」


 横目をやると、恥ずかしそうに中陳がこちらに視線を合わせようとしてきた。

 当然だが、気味が悪い。


「ィ、妹さんか?」


 翔の問いに中陳はよくぞ聞いてくれたとばかりに、ぱあーっと表情を明るくした。


「ああ、家族で伊勢に旅行に行ったんだ!」

「伊勢か。また観光名所が山ほどありそうなところを」

「最近、新しいデジカメを買ってもらったんだ。スマホのカメラじゃ限界があるだろ?」

「そのデジカメでたくさん写真を撮ったと?」

「ああ、由紀の私服姿を拝める日なんて限られてるからな……。兄としての尊厳を投げ打ってでも、俺は由紀の最高に可愛いショットを……」

「そうか、幸せそうで何よりだ」


 察しの通り、中陳のシスコン癖はこれに始まったことではない。初めて出会った日ですら、妹の写真を自己紹介代わりに見せられたのを覚えている。いつまで経っても完治することのない不治の病らしい。


「嫌われないように大概にな」

「安心しろ。写真撮るとき、家族の集合写真って嘘ついて、由紀しか撮らないから」


 そのやり方、いつかは限界くるだろ。絶対。


「ところでよ、本当に春休みはバイト以外に何もしなかったのか?」


 電車内もいよいよ制服色に染まってきた頃、中陳は最初と似たような質問をしてきた。


「本当に、何もなかったな。中陳が期待しているようなことはなにも」

「俺がこんなに幸せだったっていうのに?」


 なんだ幸せ自慢か。


「関係ないだろ。運命共同体でもあるまいし」

「あ、そういえば」


 中陳は思い出したように声を上げる。


「なんだ? どこにも行ってないからな」

「あの人のメモリアルアルバムっていつ発売……」

「四月三日発売。初回生産限定盤はどこの店に行っても予約が間に合わないだろうから僕のを一枚やっても構わない。あ、あげるのは布教用に買った円盤だから安心していいぞ」

「翔……お前ってやつは本当にファンの鏡だな」

「普通だろ」

「いいや、普通じゃないさ。俺だって妹のことをそこまで饒舌には語れない。あ、CDは要らないから」


 お前の妹愛と比較されても、そもそものベクトルが違うとは思うが。


「遠慮するな。まだ布教用だって五枚はある」

「いや、俺はもう翔が予約したのをもらう予定って」

「そういえばそうだったか。だが一つじゃ足りないだろ。遠慮するな」

「いや、そういうんじゃ」

「いいから」


 ここが公衆の面前だからといって、小さい声で話す配慮は要らないぞ。

 好きなものは好きと言う。その気持ちがタレントを成長させるんだ。


「相変わらず、カラオケにも行ってるのか?」

「ああ、この前も九時間弱は歌ったな」

「カラオケは敷居が高いからとかなんとかで一人で行けなかったろ。誰と行ったんだ?」

「そりゃあ、戦友である愛梨と――」

「愛梨と……?」

「ああ、九時間弱。歌ったな」

「……翔」

「なんだ?」

「休み中はどこにも行かなかったって言ったよな?」

「カラオケくらい出かけるうちに入らないだろ」


 まさか、こいつカラオケは旅行とでも言い出すんじゃ……。


「カラオケは立派な旅行だろ!」

「うわ。めんどくさっ」


 思わず口から本音が漏れる。

 ほんとに言ったよ。こいつ。

 男のメンヘラはウケないからやめたほうがいいと思うぞ。ほんと。


「カラオケが旅行になる定義は?」

「風呂で歌えばいい」

「九時間も入ってたらのぼせるだろ」

「二人で交代ばんこで入れば問題はないだろ。まさか、お前ら付き合い始めたのか?」

「いろいろ飛躍しすぎだ」


 頭を重くさせる盲目的な問いに、翔は重たい息を吐いた。

 デジャブかな、これは。


「あのな、僕と愛梨はそういうのじゃないって、中陳が一番知ってるだろ?」


 愛梨との付き合いも中学一年からのものだ。

 なので、必然的に関係性を知る身近な存在である中陳がこんなこと言うはずがないと高を括っていたのだが……。


「いや、俺は今までずっとそういう目で見てきたけど」

「どういう目だよ」


 誰に感化されたのか知らないが、中陳は翔の言葉に訊く耳を持たなかった。


「茶化すなよ。俺はお前たち二人を想って協力を……」

「はいはい、付き合ってるよ。これでこの話はおしまいな」


 翔は投げやりにそう吐き捨てると、

「おまっ……おまっ」と放心状態の中陳を置き去りにして、先に電車から降りた。


 駅のホーム。

 春を匂わせる生温い風は、翔の身体を迎え入れるように心地よく吹いた。


「外、最高だ」




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