第三話「多分、発情」
翔は、ありとあらゆる記憶をたどって言葉を揃えるように吐いた。
「髪は黒髪で長さは腰に届くくらいのロング。顔はお人形みたいに小さくて、整った目鼻立ちは振る舞いも相まってか、大人びている。年齢は非公開。肌にツヤがあるため、二十代前半が濃厚。左眼の涙袋の下にホクロが付いているのが特徴的なチャームポイント。身長は165センチくらい、足はスラっと長い長身で胸も控えめにあって完全モデル体型」
「……それで、神坂美成子の自己紹介は終わりっすか?」
「容姿の説明はこれくらいだな。経歴も話した方が分かりやすいか?」
「それって、先輩の感想っすよね」
「僕だって、言えることはこのくらいしかないんだよ!」
その言葉、実際に言われると結構腹立つな。
「じゃあ、あのお客さんとかはどうっすか?」
息巻いた恋美が、手当たり次第に指差したのは、米飯ケースの前でおにぎりを吟味する長身の女性客。
客を指差すなと注意しようとするも、横目で確認したシルエットが目から離れなかった。
「あのお客さん? ん? あ、あれは……⁉」
黒シャツの上に黒いライダースジャケットを羽織り、スラっとした足にピッタリフィットした黒のスキニーパンツを履きこなす、全身が黒一色で覆われたコーディネート。
「うそ、ほんとっすか?」
スタイル抜群な容姿に、あからさまな反応を示した翔だったが、
明確な相違点に気が付くまで、そう時間はかからなかった。
「たしかに身体のシルエットは似てるかもだけど、そもそも黒髪ロングじゃないだろ」
あごのラインよりも短いショートヘアで、髪色は茶髪に近いアッシュブラウン。
横の髪を耳にかけているせいか、大人っぽくは見える。
が、根底からして、違った。
「あんなスタイルいいヒト、滅多にいないと思うっすけどね~。あ、帰っちゃった」
「けど、違う。誰にだって譲れない個性ってのは存在するんだ」
神坂美成子の
「先輩の場合は?」
「神坂美成子の限界オタク」
「自覚あったんすね……」
自覚のないオタクほど誇れないものはないだろ?
自論な上にキモがられるから言わないけど。
「そんなことより、今度は恋美の番だぞ」
「なんの話っすか?」
「仕事だよ、仕事! 札束をもう一回恋美が数え直すんだよ」
「えー。さっき先輩が数えてたじゃないっすか」
「二回確認することに損はないの。ほら、さっさとやる」
「ふぇ~い」
恋美がだらしない声と共に地面に膝をついてお札を数え始めたのを確認すると、翔はポケットから大学ノートのメモ帳を取り出し、業務を再確認。
レジ点検をさせる前に夜の便を教えるべきだったか……? だけど、夜の便は週に一度だから量が多いし、こいつの身長じゃ一番上の箱は届かないだろうし……。今度、店長に相談してみるか。
「先輩はなに落書きしてるんすか?」
「新人指導のメモな。お前と違って、僕は真面目に働いてるの」
「じゃあ、目の前で待ちぼうけしてるお客さんは?」
「え」
眼前を見ると、レジの前で不満そうに立ち尽くす、サングラスをかけた女性客。
さっき、恋美と話していたスタイルのいい女性客だ。
メモを取るのに集中していたせいで待っていたことに気が付かなかったみたいだ。
「すみませんでした。いらっしゃいませ」
翔は深々と客に頭を下げた後、強引に差し出された買い物かごを受け取り、一品一品を丁寧にスキャナーで読み込んでいく。
スキャンする順番も
ペットボトル飲料にチルド弁当におにぎりに雑誌、手に取って順々と読み込んでいくうちに翔は買い物かごの底にあるものに目が行った。
「あの、紙袋は……」
「紙袋に入れてください。この後、使うので」
「えっ……?」
「……?」
「あ、はい。少々お待ちを……」
女性の指示に従うように翔は地面に膝をついて、紙袋を下の引き出しから探し始める。
「先輩?」
翔の両手は、平温のまま、真冬の寒さに凍えるような身震いしていた。
「レ、レジ袋は有料ですが、つけましょうか?」
「つけてください」
せっかちな客に急かされて、委縮してしまう店員の図。
傍から見たらそう観測できる状況……だよな。
「ポイントカードはお持ちですか?」
「……はい」
「ポイントはご利用になりますか?」
「しません」
「お箸は付けますか?」
「スプーンで」
「お会計が5点で1748円になります」
「……これで」
出されたのは千円札が二枚。
「ポイントカードはよろしかったですか?」
「……先ほど、読み込んでいましたけど」
「あっ。失礼いたしました……」
翔は、出された千円札二枚を入金口に吸わせ、
自動釣銭機から出てきた散らばった小銭を手渡しできるように震える掌で形を整える。
そして、小銭を丁寧に整え
「募金しておいてください」
「えっ」
その一言だけ残して、サングラスをかけた女性客は颯爽と店を後にした。
「先輩。そのお金は?」
札束を数え終えて立ち上がった恋美は、出金口に入ったお金を指摘する。
「あ? いや、ミスってな……」
「先輩も新人からやり直した方がいいんじゃないすか?」
「また研修のビデオを見るのは嫌だな……」
「あれ、長いっすもんね~。恋美は途中寝てたっすよ」
「ちゃんと観ろな」
「嫌っすよ。だって、挨拶は目を見てとかそういう喧しいことばっかで……って先輩?」
「ん……ああ、聞いてるぞ。ちゃんと聞いてる」
「眠いっすか? ボーっとしてるっすけど」
「反省してたんだよ。ミスったな~って」
「ちなみにそのお客さんはなにを買ったんすか?」
「なんでそんなこと聞くんだ?」
「先輩があまりにも動揺していたので」
「0.01㎜の避妊用コンドームだけど」
翔は、包み隠さずに動揺したと思われる理由を伝えた。
「ぷぷー。先輩、心はまだ童貞っすね~」
恋美はバカにしないわけにはいかないとばかりに、口元を必死に両手で抑えた。
だから、今日はそれに乗ってやろうと思った。
「ああ。綺麗なお姉さんがコンドームを買ってたから興奮した」
「え、先輩、なに言ってるんすか?」
ガチ感が出たのか、途端、恋美からはありったけの軽蔑の視線を送られた。
「ガチだ。大ガチだ。今日はこれでいいや」
「うわぁ……」
けれど、いまの翔が求めるものは反省でも、軽蔑でもなく。
動揺した裏づけ、ただ一つだった。
「僕が動揺したってことは、そういうこと、だよな?」
翔は恋美に確認するように、何度もそう問いかけた。
『この後、使うので』
女性客の口から出たそんな言葉が、脳裏にこびりついて離れようとしなかった。
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