第二話「思い出した嫌な事」
彼女の名前は、愛垣恋美。
同じ高校、同じバイト先で、先輩を敬う気持ちを知らない一個下の生意気な後輩だ。
小柄な背丈に片手で掴めそうなこじんまりとした顔。縄跳びもできそうな長いツインテールを校内で振りまき、小悪魔系毒舌女子として一部男子から人気を博しているらしい。
「ところで先輩、昨日は青少年健全育成条例に従ったんすか?」
こいつが? 冗談じゃない。
店が暇になったタイミングを見計らって、愛垣恋美は爆弾発言を投げかけてきた。
「だから、何もしてないっつってるだろ。何回も言わせるな」
「けど、愛梨先輩、本人が言ってたっすよ」
「なにを」
恋美は両手に携えた長いツインテールをバッと頭上に上げ、物憂げに囁いた。
「初めての夜は素っ気なく終わった――。……って」
「……言った証拠は?」
「ネックレスを買ってもらった、とも言ってたっすね」
あいつ、なに言ってるんだ……。
たしかに、昨日は彼女のいう花前愛梨と街へ出かけた。春休みはバイトづくしで遊ぶ時間も取ることを忘れていたために『息抜きに』と誘われて、断る理由もなかったから。
ネックレスも買った。
誕生日が今日だなんて、当日に突然言われたら買わざるを得ないだろう。
「その沈黙は、認めるってことでいいんすね?」
「まあ、ネックレスは買ったな。でも、安いやつだよ。夕勤四時間分くらい」
「四千円弱は十分高いっすよ。高校生がサラっと買える値段じゃないっす」
「そうかな?」
「そっすよ」
僕は日頃の感謝の気持ちを込めてプレゼントしたつもりだけど。
「で、その後は個室に移動した……と」
「カラオケ、な?」
女子と二人きりで遊ぶと言われても、何をすればいいか戸惑うのは当然だろう。
彼女の場合は『なんでもいい、任せるわ』の一点張りだから余計に困った。
だから、ショッピングに映画にカラオケと、定番なところには連れて行ったつもりだ。
「ちなみに何を歌ったんすか?」
「リトルロックドリーム」
「うわ、即答。そこは変わらないんすね」
「変わるかよ。一生、変わらないし、変わるつもりはない」
リトルロックドリーム。
それは、僕にとって、大切でかけがえのない楽曲の一つだった。
曲のキャッチコピーは『色褪せない一筋』。
この曲を、僕は想像を絶する狂気で愛してると言っても過言ではないのだ。
「ちなみに……何時間熱唱すか?」
「八時間四十九分らしい。愛梨がカラオケに入ってからの時間をタイマーで測ってくれていたみたいでさ」
「先輩。それ歌いすぎだって、愛梨先輩に当てつけられてるんじゃ……」
「なに言ってんだ。愛梨は僕と一緒にライブツアーを全通した戦友だぞ。そんなはずないだろ」
「ははは、そうっすね」
恋美は腑に落ちない渇いた笑いで場を流す。
僕も愛梨も通常ファンクラブのさらに上位のクラスに存在する、プレミアムゴールデンファンクラブに入会している。入会費は高いが、チケットの配備に抜かりは禁物だろう。
「いま思えば、あの頃は佳境だったなぁ。土日と両日参戦した後は疲れを癒す暇もなく、夜から朝までかけて格安深夜バスで東京から地元に戻り、そのまま直接学校に登校……」
「よく愛梨先輩も付き合いますよね。恋美だったら絶対行かないっす」
「愛梨はさ、付き合いがいいんだよ。普段はツンツンして、周りから見たら薔薇の棘かもしれないけど、僕の語りにも全力で受け止めてくれるし、本当はすげーいい奴なんだよ」
だから、ネックレスを渡した。
誕生日は一年の中で唯一主役になることのできる日で、大切な行事だから。
「どれくらいのいい奴っすか?」
「とにかく、いい奴だよ。僕なんかとファン活を共にしてくれるのは勿体ないくらい」
「先輩、一度話したら止まらないっすもんね~」
「止まらないじゃなくて、止められない、の違いな。ブレーキが壊れるの」
「それ、アクセル踏むのは轢いていい人間だけにしてくださいね。恋美は断固拒否っす」
「そこまで言う……?」
自覚はあるけど、意外と治せないもんよ。そういう癖って大体無自覚だから。
「ああー。昨日のカラオケは楽しかったなぁ。これを楽しめない恋美は可哀想だなぁ」
海綿で指を濡らして金庫のお札を入念に数える翔は、からかったお返しに自慢話を持ち掛けようと、横目で棒立ちする恋美の方をチラリと覗く。
「あ、恋美は歌とか聞かないんで大丈夫っす」
恋美はこちらに見向きもしなかった。遠慮しなくていいのに。
「お前も名前くらいは聞いたことあるだろう? 神坂美成子という偉大な名前を」
「まあ、聞いたことくらいなら……」
「じゃあ、聞こう。そして、共有しよう」
「恋美にメリットはあるんすか? それ」
「生きる……価値……。そう、彼女の曲には生きる価値を見出せるんだよ」
翔は興奮あり余って、数えていたお札を恋美の眼前に差し出す、も。
そのお札すらも恋美は跳ね除けた。
「恋美、自殺願望とかないっすよ?」
「どうしてそんな暗い話になる?」
「いや、生きる価値とか壮大すぎて恋美にはちょっと理解できないっつーか……」
「それはそうかもな。スケールはデカければいいってもんじゃないもんな」
「それに、お金を差し出されて共有しようとか言われても説得力に欠けるっつーか……」
「いまのはミスだ。神坂美成子の価値はお金で買えない」
「あっ。それに……」
「他にはなんだ? なんでも訊いてくれていいぞ」
恋美は一瞬言いにくそうにしながらも、確信的なその単語を吐き出した。
「――神坂美成子って、いま、活動休止中じゃないすか」
痛恨の一撃だった。
「あ、あ、ああ……」
翔はポロポロと言葉を零していった。
そして、膝から崩れ落ちるように身体を仰け反った後、その場の地面にうずくまった。
「あの、先輩?」
「僕、忘れてた……」
僕は愚かだ。彼女は舞台から降りたというのに僕はまだ客席で呆然としている。
演じ終えた彼女の出番を延々と待っている……。
「もしもーし、先輩?」
「カタツムリの真似だ。気にせず仕事しててくれ」
「いや……気になるので辞めてほしいっす」
「あと三十秒だけ待って。そしたら回復する」
「先輩……。耐性なさすぎっすよ」
「ちょっ……やめ、いてっ」
僕が弱虫なのはわかったから。足のつま先でツンツン蹴ってくるのやめてくれない?
「ショックなことに変わりないことは自覚できてるんだ」
「ショックっすね」
「近況をここ数ヶ月知らないだけで生きてる実感が湧かなくて、気が狂いそうなんだ」
「病気っすね」
「可能性を考えてしまうんだ。今後、一生復帰しないんじゃないかって……」
「そういうケースはよく聞きますよね。いつの間にか、お母さんになっていたり」
「リアリティに近い発言は辞めてくれ。今の僕には効くんだよぉ……」
「はぁ……」
見かねたらしい恋美は腰を下げ、目線を翔のもとまで合わせた。
「先輩、その人の特徴教えてもらえますか?」
「どうして?」
「恋美の観察眼にかかれば、街中ですれ違っただけで見極めることができるっす」
「そんな神業できるのか……?」
「頭に入れるくらいなら」
「だ、だけど……」
「会える確率がゼロよりかは、マシじゃないっすか?」
「そうだな。じゃあ、教える」
即決即断。
いまの瀬崎翔にプライバシーもポリシーも存在しなかった。
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