第一話「奇しくも、これが日常」
自転車飛ばして早数十分。
着いたのは、外壁が白から灰色に変わっている築十三年のそこそこオンボロなコンビニエンスストア。
バッカンが積み重ねられた横に自転車を無造作に立てかけた後、ガラス張りの店内を横目にしながら、店に踏み込んだ。
「お疲れ様です」
翔の声を聞いて、前進陳列を行っていたらしい従業員はゆっくりと振り返る。
「あ、瀬崎君。おつかれ~」
従業員の堀下さん。
いつもやわらかい笑顔を見せ、馴染みやすい性格が特徴な方だが、
「どうかしましたか?」
いつものあんぱんを濡らしたようなやんわり笑顔が、顔から薄れていることに翔は即座に気づいた。
「瀬崎君、愛垣さんのことなんだけど……」
やっぱり。
翔の嫌な予感は当たった。
「注意しときます……」
「よろしくね~。あはは」
堀下さんの渇いた愛想笑いを背に、翔は大股で店内奥にあるバックルームへと向かう。
時刻は午後四時五十八分。
制服に腕を通し、鏡で寝癖がないか軽く確認した後にレジへと赴いた。
翔は一拍置いて、重たい息を吐いた後に、背後から冷静な声色で同業者に声をかける。
「おはようございます。愛垣さん」
「あ、先輩! おつかれっす~」
翔のことを先輩と呼ぶ、レジのテーブルに肘を突っ伏していたやる気のなさそうな女性従業員は、軽快な口調で挨拶を返してくる。
元気は有り余っているみたいだ。
「休憩はもう取ったのか?」
「はい、そりゃもうばちこりと。先輩と少しでもお話したいですから」
ばちこりって今日日聞かないけど、たぶんばっちりってことだろうか。
「そうか。なら、その元気な調子でゴミ捨てをしてきてくれ」
「え~。嫌っすよ。恋美は苦労せずに稼ぎたいんで汚いのはちょっと……」
女性従業員は駄々をこねる子供みたいに、両手を交差させて嫌がる素振りを見せる。
「じゃあ、僕がゴミ捨てに行く。お前はファストフードの補充でもしとけ」
「先輩がゴミ捨てに行くなんてめずらし~。いつも嫌がってたのに」
じゃあ、誰がゴミ捨てに行くんだよ……という非効率的な怒りは置いといて。
「バイトでも仕事は仕事だ。完璧な仕事の上に達成感を得ることが出来るんだ」
「興味ないっすね。恋美は仕事に達成感を求めてないっす」
「そうか……」
翔は一分も経たずして、二度目の重たい息を吐くことになる。
教えたことをすぐに忘れる人、嫌になってバイトそのものをバックレる人、愛想が悪く根本的なやる気を感じられない人。そのどれもに女は当てはまらないレアな人材だった。
しかし、女が優秀な人材であれば、労働者の人手不足なんか起こらないわけで。
一発、渇を入れる必要があるみたいだ。
翔は静かに腕を組むと、新人店員を説き伏せるべく、鬼の形相で睨めつける。
「あのな。小売業は接客が命で――」
「つーか今日の先輩、なんかスカしてるっすね?」
ついには翔の言葉を遮って、女は曖昧な表現の言葉で訊いてきた。
「スカしてない。話を遮るな」
「じゃあ、浮かれてる?」
「浮かれてない。なんなんだ。脱線させようったってそうはいかないぞ」
話は最後まで聞くやつだと思っていたが、そこまで反抗心を持つようになったのか。
「じゃあ、卒業した?」
「卒業した……? 一体、何の話だよ」
「いいから」
彼女はしつこいくらいに催促してくる。
もしかして、彼女なりに訊きたいことでもあるのか?
「僕は今年で三年だな」
彼女をやる気にさせる解決の糸口、それを見つければまだ再起はできるかもしれない。
「知ってるっす。恋美は今年で二年です」
「そうか」
「いやいや、そういう意味じゃなくて。暗喩っす」
「暗喩?」
「はい。卒業したかって部分。もしくは隠喩とも言うっすね」
国語には強くないが、暗も隠もたしか同一の意味だったような。
訊きたいことっていうのはそれなのか?
「しかし……なんだな。まるで、やましいことを聞かれている気分になってくるな」
「え、やましいことを聞いているつもりっすけど」
「そうなのか。悪いけど、僕は……」
「昨日のことについて、詳しく訊かせてもらえないっすか?」
「……いや、何のことだかさっぱりだな」
翔の手には若干の汗が滲み始めていた。
思い出したのだ。昨日、何かがあったことを。
「図星っすか。なにか、ありましたよねえ?」
今日初めて見る、彼女の嬉しそうな口角の上がり具合。
こいつの質問は全部当てずっぽう。こいつが入ったばかりの頃もこの顔をされた時には質問攻めで頭を抱えたが、幸い、相手にするだけ無駄ということを今の僕は学んでいる。
仮に春休みの学生事情まで網羅しているというならコンビニバイトじゃなく、探偵でもした方が儲かりそうなもんだ。
「他人に迷惑をかけるようだったら、給料前に辞めさせるぞ」
「先輩に茶々を入れてるだけじゃないっすか」
「僕だけじゃないだろ」
堀下さんのあの困り具合、きっと、こいつがまた迷惑をかけたに違いない。
「あー、堀下さんっすね?」
新人店員に心当たりはあったらしい。
「正解。そして、僕が注意された」
こいつの保護者でもないのに、どうして僕が……。
まあ、連れてきたのは僕だから文句は言えないけど。
「あの人、グチグチうるさいんすよ。休憩が一分でも長引いたら文句言いに来るし」
「それ、言い訳に過ぎないから。堀下さんは、小さいことを気にする従業員もいるから、教訓になるように前もって注意してくれてるの。あの人なりの配慮だからな?」
「でもあの人、廃棄食べてましたよ? 大盛り塩焼きそばに一日一杯特盛チャーハン」
「そりゃあ、あれだ。たまには……食べるだろ」
僕だって一日一杯特盛チャーハンはたまに食べる。あれ安い割に量が多いんだよ。
「廃棄なのに? 捨てなきゃいけないのに?」
コンビニのタブーな部分に疑問を持つのは新人店員の性なんだろうか。この前も実習生に突っ込まれて頭を抱えた覚えがある。って、そう考えると、新人教育って大変だな。
まあ、彼女の場合、単に不服なだけなのだろうが。
「ちょっとくらい許してやれ。バツイチ子持ちなんだから」
「じゃあ、恋美も食べていいですか? 豚の餌」
「そういう言い方は……まあ、人目を盗んで食べるんならいいんじゃないか?」
こういうことはあんまり言いたくないんだけど。
「ウケる。センパイ、チョッッロ」
新人店員は浅はかに嘲笑する。
やっぱり舐められてる。
「あのな……先輩は敬うもので――」
「まぁまぁ」
女は自らの口元の前で人差し指を交差させて、これ以上は喋らないことをアピールした。
「いま言ったことは冗談だからな。店長には言うなよ」
「うぃーっす」
上機嫌で部活みたいな返事をすると、新人店員は店の扉を開けて外に出て行った。
「はぁ……」
翔は本日三度目の重たい息を吐いた。
あと、三時間五十五分か……。
瀬崎翔は開始五分にして、今日という日にシフトを入れてしまったことを悔いた。
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