温室

アネモネ目線です。

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 はしゃぎ回る子供の声が聞こえる。学園の東側の隅に位置するこの大きな温室は、外壁に面しており、その向こうから公園で遊ぶ子供達の声が時折聞こえてくるのだ。温室では放課後、植物生育担当の生徒が草花に水をやり、世話をする決まりがある。この落ち着いた時間が、私はとても好きだ。学園内の喧騒から離れ、心を癒せる唯一の場所。勇気を出して、この担当に立候補したあの日の自分を褒めてあげたい。といっても、他に誰も手を挙げなかったので、誰とも競う間もなく私に決定したのだけれど。この温室には学園内の売店で販売される乾燥茶葉の材料や、学食に使われる野菜が育てられている。植え込みには薬草学の授業で使用する薬草やハーブも一緒に植えられている。その他にも、私の背丈よりも大きな鮮やかな蕾をつけた花。天井まで届きそうなくらい茎の長い熱帯植物など、多種多様な植物が魔法の力で一つの場所に維持されている。あらかじめ空間に魔法をかけているとはいっても、毎日の細かな世話と手入れは必要なので、こうして私という世話係が割り振られているわけだ。如雨露で順番に水をやり終えると、後片付けをしてベンチに座って一息つく。カップにお湯を注ぎ、家から持ってきた花茶を混ぜて飲む。ふんわりと漂う花の香りが優しい。遠くで鳴る鈴の音のような可愛らしい子供達の声に耳を済ませていると、なんだか寂しいような、懐かしいような感覚になる。思い返せば自分もあんな風に心から笑ったり、はしゃいだりしていた時期があった。それに、今よりも真っ直ぐに世界を見て、純朴に、率直に生きていたように思う。幼い頃は何か明確な成し遂げたい事があった筈なのに、最近は何もかもぼやけて霞んでしまっている。どうして忘れかけてしまったんだろう。私には、私たちには、確かな目的があったはずなのだ。一緒に幸せになるという、明確な夢が。

 大きくなったら結婚しようねだなんて、花で作った小さな指輪をお互いの指にはめて密かな約束を交わしたのはいつの頃だっただろう。何度も思い返してはその度に美化され、遠くの山々の景色をぼんやりと拝むように白んでは薄れ、まるで擦り切れたレコードみたいになってしまっている、私の唯一の大切な思い出。お花畑の真ん中で小さなお互いの手を握り合った時の温もりを、今でもはっきりと覚えている。思い返す度に切なく、同時に懐かしさで胸がじんわりと温かくなるのを感じる。あの日の出来事、彼は今も覚えているのかしら。いいや、きっと忘れている。彼が思い出したとして、叶う筈もない。何故なら、今の私達の関係に当時の面影などは微塵も残っていない。密かに大事に抱えていたはずだった暖かな二人だけの空間は、いつの間にか他者に踏み入られ、乱暴に荒らされ、私たちは逃げる様に距離をとった。今では会話も少なく、常に冷えきっていて、珍しく心が通じたと思えば、また大きくすれ違ってしまう。もう長いこと、そんな物悲しい日々が繰り返されている。今の私達は、家族でも、友人でも、勿論将来を誓い合った者同士でもない。単なる、他人同士の同居人である。彼の態度は至って私への嫌悪に満ちており、どう前向きに捉えようにも難しい。確かに昔は仲が良かった。お互いを大事に想っていたし、自分でもその実感があった。けれど、今は違う。彼は確実に私を嫌っている。元より真逆の性格であった故か、私達は生活の中で、お互いの思想や考え方の違いで対立する事が頻繁にある。私が主張をすることは少ないけれど、殆どの場面で異なる意見を持っているように思う。その上、私達は根本的な性格も真逆である。彼には社交性があり、いつも華やかで友人にも恵まれている。一方私の性格は陰気であり、他人と関わることは基本的に苦手だ。そんな私に、きっと彼は呆れているに違いない。真っ向から、邪魔だ、目障りだ、なんて言われた日もある。それなのに彼は、未だに私をシュマド家に置いておこうとする。それが私には全く理解出来ない。それどころか、私に自立の意志がある云々を話したり、仕事を探すような素振りを見せれば、促すどころか、むしろ全力で阻止してくる始末である。私はそんなに量を食べる方ではないし、衣類や高価なものも一切欲しがらないが、とはいえ他人を一人住まわせて養っているのだから、学費や食費を考えてもそれなりに損失は生まれていると思う。そもそも、彼は私を嫌っているのだ。私を置いておくメリットが、一体どこにあるというのだろう。彼は頭が良いからきっと何か彼自身にも利益があるに違いないのだけれど、私にはそれが何なのかまるで検討もつかない。疑問は日に日に膨れ上がるばかりである。

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