平日のルド

※途中で終わります


┄┄┄


 日の昇らないうちに起床。近くの井戸まで水を汲みに行く。樽に補充、残りを銀のポットに注ぐ。カップ一杯分の水を飲む。庭から薬草を摘み、麻紐で結んで窓際に吊るす。自室の椅子に腰掛け、杖と宝石を磨く。ダイニングの棚にある薬と食材の確認。古書店帰りに職人通りへ寄るので補充用のメモを書く。こうして毎朝同じルーティンを繰り返す。魔術師とは、健康な肉体と健全な魂が揃ってこそ力が最大限発揮されるものだ。生活が乱れれば、同様に魔力も乱れる。常に優秀であり続けるためには日常生活においても気を抜いてはいけない。

 アネモネはまだ眠っているらしい。部屋の空気を入れ換えるため窓を開けていると、箒に乗った郵便屋が上空を漂っているのが見えた。しばらく眺めていると、丁度自分の家の前まで降りてきて止まった。手紙を探しているのか、肩から下げた大きな鞄をガサゴソと漁っている。俺は庭に出て、柵越しに声を掛ける。

 「おはようございます。うちに何か届け物ですか」

 「やぁ、おはよう。シュマドさん。今日は招待状が届いているみたいですよ。パーティーのお誘いかな?」

 郵便屋はそう言って、鞄の中から一通の手紙を出してきた。彼はボサボサの長い赤毛に深く帽子を被っているため、常に目元が隠れている。見た目は冴えないが、仕事の出来る男だと街では評判が良いらしい。俺は笑顔を作り、差し出された手紙を受け取る。

 「有難うございます」

 郵便屋はにこりと笑ってみせる。目元は見えないが不思議とこの男からは穏やかで呑気な雰囲気が漂っている。すると彼はふと思い出したように、「ああ、それともう一枚」と言って腰に提げていた新聞記事らしき紙切れを一枚引き抜いた。

 「シュマドさんのご家族にも噂は伝わってると思うんですが、最近魔術師の血が抜かれるっていう残忍な事件が多発しているみたいですよ。お聞きになりましたか」

 「ああ、その話ならこの間知人から聞いたので知っています。全く酷い話ですよね」

 「でしょ?俺許せないんです。魔力だけを抽出して、体はポイっと捨てるだなんて。個人の価値を踏み躙る様な最低な行為ですよ」

 彼は珍しく怒りを顕にしている。郵便局員といっても、こいつも魔術を扱う職人の一人なのだ。逆鱗に触れて当然だろう。

 「これ、政府から術士のいる全てのご家庭に配るよう指示されてる文書です。血抜き事件の注意書きなんかも書かれてるんで、ルドさんも充分気をつけて下さい」

 「有難うございます」

 「はい、確かに渡しましたよ。それじゃ、アネモネさんにも宜しくね~」

 彼はそう言って、箒に跨り三軒隣の家まで飛んで行った。見送った後、踵を返した俺はふと立ち止まり、先程の郵便屋の言葉を頭で反芻する。アネモネさんにもよろしくね。アネモネさんにもよろしくね。何故奴が彼女のことを知っている。いつ知り合ったんだ?あの男がこの付近で勤務するようになったのは最近の話だというのに。…というか、他の男と迂闊に話すなとアネモネには強く言いつけている筈なのに。

 「……………」

 「おやおや、朝からそんな怪訝な顔しちゃって。最近の若者は怖い怖い」

 いつの間にか横を浮遊しているマヴェットが頬をつつきながら話しかけてくる。口角を上げてにんまりと笑う顔が如何にも悪魔らしい。

 「やめろ。鬱陶しい」

 「まぁまぁそう怒るなって。郵便屋のことが気になるんなら、本人に直接聞いてみればいいんじゃないか?」

 「言われなくてもそうするさ」

 玄関に戻ると、丁度廊下でアネモネとすれ違った。髪が乱れているので先程起きたばかりなのだろう。呑気に欠伸をしながら眠気まなこで歩いている。肩を掴み、こちらに引き寄せる。

 「おい」

 「うわっびっくりした…!おはよう…」

 「おはよう、じゃなくて。ちょっとこっち来て」

 俺の機嫌が悪いことに気がついたらしいアネモネはすぐに顔面蒼白になり、大人しく着いてくる。ダイニングまで連れてきたところで掴んでいた腕を離すと、突然放り出された彼女は、ソファに座ることもキッチンまで着いてくることもなく、戸惑った表情でただ立ち尽くしている。その無力な様を可愛らしいと思った。そのまま朝食の支度を始める。

 「お前、あの赤毛の郵便屋と知り合いなのか?」

 一呼吸置いたつもりが、どうしても声色に怒りが混じってしまう。その上、単刀直入に尋ねられた彼女は明らかに動揺した素振りで視線を泳がせ始めた。図星だったんだろう。

 「えっ、ええっと…あの………ごめんなさい」

 「まだ何も言ってないだろ。まさか謝られるような事したのか?」

 「そうじゃなくて、あの…」

 言葉に困ったのか口を閉じた彼女は、何かに助けを求めるようにして辺りを見回している。それがメイデーを探している様子なのだと直ぐに気がつき、段々と苛立ちが込み上げる。

 「あいつなら家には居ないよ。今日は新月なんだ。どうせまた礼拝堂にでも逃げ隠れてるだろ」

 「………」

 彼女は気まずそうに目を伏せる。俯きたいのはこっちだ。何度約束を破れば気が済むんだよ、この女。

 「答えられないのか」

 「……違うの。この間、魔法薬の調合に材料が足りなくなって、注文したの。郵便屋さんにはその時届けてもらっただけだよ」

 「材料なら、倉庫に沢山用意してあるだろ。わざわざ注文しないと手に入らないような物だったのか」

 「…………」

 ほら、また黙る。アネモネは図星を突かれると直ぐに言葉が出てこなくなって黙り込むところがある。昔からそうだ。要するに、俺に対して何か後ろめたい事があるから答えられないんだろう。

 「郵便屋と口を聞いたことは百歩譲って許すとして、何の薬を調合しようとしたのかは答えろよ。また黙るつもりなら、魔法で無理矢理言わせても構わないけど」

 「……スワニフの麻香水」

 「はあ?なんでわざわざそんな物が要るんだよ」

 「…面接に必要だったの。調合の出来で、合否が決まるって言われて、それで…」

 アネモネは決まりが悪そうに俯く。

 「お前さあ……何度言わせれば気が済むんだよ。仕事は俺がするからお前は家に居ればいいんだって」

 「でも、私も働きたいの…!せっかくこうして正式に魔術師になれたのに。学費だって全部出してもらってるのに未だに居候のままじゃ、おばさん達に顔向け出来ないよ」

 「それでも別に構わないって前回葬式の時にあいつらから許可出ただろ。どうしてそこまでして外に出たがるんだ。そんなに俺と一緒に暮らすのが不満かよ」

 「違うよ!だって私、このままじゃ……」

 いつの間にか、彼女は目に涙を溜めている。ああ、可哀想に。きっとメイデーに余計な事を吹き込まれたから、外に出たいだなんて考えるようになったんだ。あれもこれも全てはメイデーのせいだ。以前のアネモネには自立の意志など微塵も感じられなかったのに。俺の不都合になるようなことは、絶対に言わなかったのに。

 「ルドと暮らすのは、いやじゃないよ。でも私…」

 「…じゃあ、いい」

 「え?」

 「その仕事は俺が断ってくる。もう余計な事はするなよ」

 そう言い放つと、彼女はそれ以降黙って席についた。いかにも陰鬱そうな表情でいつも付けている青い指輪を外したりはめたりを繰り返している。アネモネは自分で納得がいかない事がある時によくこの仕草をする。無意識の癖なんだろう。まあ納得など出来なくて当然だ。幼い頃からこんな家に閉じ込められ、同居人からは事ある事に虐げられ、仕事も出来ず生き甲斐を感じられず、さぞかし退屈なのだろう。彼女の言い分も理解出来る。俺だって、少しは心が痛まないでもない。しかし仕方がないのだ。何もかも彼女を守る為なのだから。

 アネモネに受け継がれ、今も尚流れている血。アニヤ家の血筋は常人のそれではない。戦争で数多く失われた優秀な血筋の一つであり彼女は唯一無二の生き残りだ。俺の実家で匿っているうちは防御壁の魔法が作用しているので彼女には薄い膜のような守護がかかっている。しかし彼女が心からこの家を拒絶し逃げ出す様な事があれば秘められた強大な魔力はたちまち露呈し、アネモネの存在は凡百世間に知れ渡るだろう。その時危険に曝されるのは他でもない彼女だ。魔法政府が相手となれば流石の俺でも一人で守れる保証は無い。彼女の望む通り、正当な評価が受けられたとして、隠れた実力が認められたとして、その魔力が彼女の健康な身体と魂を保持したまま正当に利用されるとは限らないのだ。

 

 今朝の郵便屋が話していたように、近頃は中身と血液だけが抜きとられる残虐な誘拐事件が多発している。術士の重ねてきた技量を無碍にして彼らに流れている血と魔力にのみ価値を見出す一部の極悪人の所業だ。そんな不誠実で穢らわしい連中に愛しいアネモネを渡せるわけがない。いくらアニヤ家の人間が特異体質だからといって、優秀な血筋の魔術師なんぞその辺を探せばいくらでも転がっているのだ。だが、アネモネという少女はこの世にたった一人だけだ。俺にとっては、彼女だけが特別で、他に代わりなどいない。何としてでも死守しなければいけない。この価値が分からない連中共にアネモネは渡せない。

 両親や親族からは彼女の存在を死守するよう、昔から言いつけられていた。婚約を取りつけろだとか、子供を産ませろだとか、親戚の集まりがある事にコソコソと刷り込まれていたが、今思えば奴らの指令は同い歳の俺を利用して、彼女の持つ絶大な魔力をシュマド家に合併させるための策略でしかなかった。しかしそれは、正直なところ俺にとっても都合のいい話ではあった。彼女を常に手元に置いておくための援助が思う存分受けられるのだから。だが、奴らと一緒にされるのは死んでも御免だ。奴らと俺とでは行動原理がまるで異なっている。あいつらはアネモネに潜在する大きな魔力にしか興味がないが、俺は彼女という無力な個人そのものを愛しているのだ。いずれ魔力の全てを失い、絶望に暮れる彼女を見放さずに傍に居てやれるのは、きっと俺だけだ。この家に居続けることが、いずれは彼女の幸せに繋がる筈なのだ。だからあいつが邪魔なんだ。メイデーとかいうあの忌々しいサリディ。いつも肝心な所で現れては俺の計画の邪魔をする。

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