第56話 会長の涙
なつめに忠告を受けた浩太朗は、女子列に並ぶ青果となつめの姿を視界の端にとらえながら、教師の話を聞いていた。
「最初に講師の方のお話を聞いてから、後で自由に見て回る時間があるからな。点呼が取れたら1組の人から順番に入っていけ」
浩太朗たちは、担任に先導され小さなホールに入った。
全クラスの生徒が着席をすると、自身の被爆体験を聞かせてくれる講師が、時間通りにステージに現れ、少し自己紹介をした後に講演がスタートした。
講師が幼少時代の話で、家業の畑仕事を手伝っていた時、突然、空が明るく光ったと思ったら、その瞬間、辺り一体が焼け野原になったそうだ。
講師の家族が遺体となって見つかったりなど、壮絶で悲惨な過去を、涙ながらに語ってくれた。
講演は1時間くらいだったが、普段よく授業中に居眠りをしてしまっている生徒も、この時だけはしっかりと意識を保って真剣に話を聞いていた。
「これで講演を終わりとします。ご清聴、ありがとうございました」
講演が終わると、会場は拍手に包まれた。
浩太朗はこれまでたくさんの拍手を耳にしてきた。
勝利を祝福、賞賛するものや、卒業生や入学生を送り出す、迎え入れるものだったりと、多種多様で、目的の違う拍手がある。
間違いなく、今会場に響いた拍手は、人生の中で1番重く深いものであり、戦争がもたらすものは絶望だけだ、ということを再認識させてくれた。
「じゃあ、今からは班行動なー。1時間後には絶対に集合場所を守るように。はい解散」
担任がそう指示すると、クラスメイトは班ごとになって、順路に従いながら原子爆弾に関する資料を見て回り始めた。
もちろん浩太朗も、龍谷たちと一緒に行動している。
「うっ、グロい……」
賢弥は、放射線の影響を受けて死亡してしまった人の写真を見て、苦い表情をした。
「頑張って耐えろ」
龍谷と隼人は、ファットマンという長崎に投下された原子爆弾の模型に張り付いていて、浩太朗と賢弥は、そんな2人をお構いなしに先に進んでいた。
「なんでこんなR-18Gに引っかかりそうなものが出てくるんだよ……」
賢弥は、まるでホラーゲームをプレイしているかのように、ビクビクしながら先に進んでいた。
「戦争の悲惨さを正しく伝えるのも大切だからな。百聞は一見にしかず、っていうだろ」
「1万回くらい聞いてやるから許してくれ」
「どれだけグロ耐性ないんだよ」
「小学生の時に見たミステリー映画に出てきた死に方がトラウマになって、それ以来血も見たくなくなった」
浩太朗は、どんな死に方を見せられたらそこまでトラウマになるのかが気になったが、トラウマを掘り返させてしまうかもしれないと恐れ、話題を変えることを選んだ。
「今日はこれが終わったらホテルに行くのか?」
「ああ、結構いいホテルらしいから、普通に楽しみなんだよな。……早くこんな地獄みたいなところから出て、ホテルに行きてぇ」
「じゃあさっさと見て回るか。精神系に異常をきたされても困るからな」
浩太朗と賢弥は、軽くではあるが、一通りサッと目を通して、出入り口に戻った。
「俺ちょっとトイレ行ってくるわ」
「分かった。すぐそこで待ってるわ」
賢弥がお手洗いに向かい、完全に1人取り残された浩太朗は、特にすることもないので、先ほど新幹線の中で読めなかった単語帳を取り出し、ペラペラと読み始めた。
人と話すことに慣れ直してきた浩太朗だったが、やはり1人でいる方が気持ちが楽だった。
蓮斗と話していた時は、お互いにほとんど遠慮なんかなかったからだ。
そんな浩太朗が、1人の時間を静かに楽しんでいたとき、少し懐かしい声が聞こえた。
「あれ、神崎君ひとりなのかい?」
姿を見るまでもなく、誰なのかが分かった。
直接話したのは1ヶ月近く前のことではあるが、全校集会や、様々な場面で声を聞く機会があったからだ。
「生徒会長様が俺に何の用で?」
浩太朗は、パタリと本を閉じて、声がする方向を向いた。
相変わらず綺麗な黒髪のストレートヘヤーで、神宮寺の周りでは異様なオーラが放たれていた。
「急に生徒会長様呼びなんかしちゃって、どんな心境の変化?」
「大丈夫、名前を忘れたわけでは……、あれ、なんだっけ?」
「生徒会長の名前を忘れるなんて酷いよ!ボクは覚えてたのに!」
「冗談。久しぶりだな、神宮寺」
球技大会以来、顔も合わせる事もなかった。
空いてしまった時間は少しのはずなのであるが、いろんなことがありすぎて、神宮寺との会話が、随分と昔のように感じられた。
「たまに同じ時間の電車に乗ってるんだけど?」
「それは知ってる。神宮寺は目立つからな。遠くに居てもすぐわかる」
「それはどういう意味なのかな?まあ、ボクが美しいからってことにしておくよ」
神宮寺は、浩太朗の隣に行き、浩太朗のように壁にもたれかかった。
「んで、何の用なんだ」
「用がないと話しちゃいけないなんていう法律はないからね」
「やっぱり面倒だな、あんた」
「あぁっ!まためんどいって言った!」
またしても、思っている事を口に出してしまっていた。
神宮寺と話していると口が軽くなってしまうのはなぜだろうか。
テストの順位を教えてしまった事で、何も隠す事がなくなったからなのか、ただ単純にコミュニケーション能力が戻りつつあるのか、理由はわからない。
「ほんっと、キミだけだよ、ボクにそんな態度が取れる人なんて……」
「まあな、学年一位だし」
「むぅっ!順位が高いイコール偉いというわけじゃないぞ!」
「生徒会長イコール偉いわけでもないけど」
「ああもう腹立つなあ!」
神宮寺は、手に持っていたペットボトルの蓋を開け、残りを飲み干すと、空のペットボトルを浩太朗のリュックのサイドポケットにさした。
「要らねえよこんなゴミ」
浩太朗は、手を伸ばしてペットボトルを抜くと、神宮寺にそのゴミを押し戻した。
「ゴミじゃない!ボクの飲んだペットボトルは貴重なんだぞ!」
「ただのゴミじゃねえか」
浩太朗にゴミと言われたことでいきりたち始めた神宮寺。
女子高校生とは思い難いほど子供っぽく、それが彼女の魅力の一つなのかもしれない。
「じゃあ、win-winの関係になるように、神崎君の飲みかけのペットボトルを頂戴」
「意味わからんし、俺だけ不利益だし」
「あははっ!」
「あははっ!じゃねえよ、意味わからんから。マジで何しに来たの?今の所、俺の勉強の妨害しかしてないんだけど」
浩太朗にとって、神宮寺がしたことといえば、単語帳を読んでいるのを中断させ、ゴミを押し付けられたことくらい。
なんの生産性のカケラもない会話をするくらいなら、1人で単語帳を読んでいる方が十分楽しい。
「ひまつぶし」
「帰れ」
浩太朗は、リュックにしまった単語帳をもう一度取り出して、先ほどの続きから読み始めた。
しかし、隣にいる神宮寺が鬱陶しく、なかなか勉強が捗らない。
「どうでもいいけど、ひまつぶしってひつまぶしに似てるよね」
「ガチでどうでもいい。どっかいけ」
「ボク一回だけウナギ食べに行ったことあるんだけど、あんまり好みの味じゃなかったんだよねー」
「聞いてない」
「でもね、アナゴのお寿司は大好きだよ?」
「俺は好きじゃない」
「ボクたち、分かり合えないかも」
「一生あんたとは分かり合えなくていい」
「マグロは好き?」
「もはやウナギ関係ない。……じゃねえよ!」
「うわぁっ!ビックリした!急に大声出さないでもらえる?」
浩太朗は、怒りを露わにして、単語帳を大きな音を立てて閉じた。
「さっきから隣でぶつぶつぶつぶつうるせえんだよ!今まで何人に、あんたの我儘が通じてきたのか知らんが、俺にまで通用すると思うな!」
浩太朗が怒鳴りつけると、神宮寺は、目に涙を浮べ、やがてそれは彼女の頬を伝って地面に落ちた。
「そんな……!ボクは、ただ、神崎君とお話がしたいだけなのに……!」
「おい泣くなって!これじゃあ俺が悪いみたいになるだろ……!」
まさか泣いてしまうとは思っていなかった浩太朗は、焦って神宮寺をなだめようとした。
「分かった俺が悪かったって!だから泣くな!」
しかし、神宮寺はピタリと泣き止んだ後、勝ち誇ったような顔をして浩太朗を見た。
「嘘泣きでしたー!完全に騙されてたでしょ!ボクの勝ちだね!」
「ぶっ飛ばすぞ」
浩太朗は、自身が弄ばれていたことに対し、怒りで口の端が引き攣るのを必死に我慢した。
「じゃあボクは、班のみんなが待ってると思うから、ここでお暇させていただきまーす!」
神宮寺は、小走りで去っていき、資料館の自動ドアの前で浩太朗の方を振り返った。
「楽しかった!またお話ししよう!」
「二度とするか!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます