第52話 苦しみからの解放
「あぁ……!」
浩太朗の部屋から逃げてきたなつめは、エレベーターの目の前で泣き崩れた。
感情が入り乱れていて、気持ちの整理ができない。
「わたしがそばにいるだけで、こうたろうに迷惑がかかる……。こうするしか、なかったんだ、きっと……」
縁を切ろうとしたのはなつめ自身のためではなく、浩太朗のことを思って、だ。
球技大会でペアになってしまい、目立つのが嫌な浩太朗を注目させてしまったことや、迷子になり映画の上映時刻ギリギリにシアターに入場することになったこと。
そして今日のこと。
1ヶ月の中でこれらが起こっているので、これから先、高校を卒業するまで、もしくは大学に至るまで何度も迷惑をかけるということになる。
将来、取り返しのつかない迷惑をかけてしまうかもしれない。
そうなってしまう前に、縁を切ったほうが、浩太朗のためになると思ったのだ。
「いやだ、いやだよっ!」
そもそも、なつめが転校してきたこと自体が迷惑で、今まで浩太朗が、兄妹のフリの演技を貫き通していたのなら。
今まで見てきた浩太朗の笑顔が偽物だったのなら。
そう考えると急激に吐き気が込み上がってきた。
そして、辿り着いてはいけない答えに辿り着く。
「こんなに迷惑かけるくらいなら、あのときわたしなんて死ねばよかったのに……!なんで生かしたの、ママ……」
これが初めてだった、なつめが亡き母のことを口にしたのは。
交通事故が起きた時、なつめの母親は、なつめを覆い被さるようにして守った。
そうして、なつめだけが生き残る結果となったのだ。
両親を失ってからなつめは、自分が生かされている理由を長い間考え続けた。
しかし、結論が出ることが出ないまま中学生活が終わってしまう。
そして、なんのために生きているかもわからない状態で、高校1年を終えたとき、大きなことに気がついた。
話していないとはいえ、なつめの生活に浩太朗が大きく影響していることに。
浩太朗のいなくなった家で暮らしていても、生きている感覚というものを感じることなく、中身のない生活を送っているような、そんな感じがしたのである。
最後の賭けとして、答えを探すべく、なつめは浩太朗の通う高校に転校することを決めた。
「答え、みつかったんだけどなぁ……」
なつめは、転校初日、浩太朗と再開した。
浩太朗と共に過ごしていくことで、生活が充実しているのを実感することができ、自分の生きている理由を見つけ出すことができた。
しかし逆はどうだろうか。
突然転校して来たと思ったら、学校生活を滅茶苦茶にした迷惑女。
「自己中すぎ……。最悪だよ、わたし、人の気持ちも考えないでさ」
なつめは荷物を持たず、ゆらりゆらりと、感情を無くしたかのように立ち上がり、エレベーターのボタンを押した。
「なつめっ!」
遠くの方から浩太朗の声が聞こえてくるが、なつめは振り向くことなく到着したエレベーターに乗った。
そしてすぐにボタンを押して、扉を閉めた。
その場に荷物が残されているのを見た浩太朗は、普段ならどうも思わないはずだが、扉の向こう側に立っていたなつめの顔を見た後では、最悪なことが起こるかもしれない、と脳内で警告音が鳴り響いている。
「……上?」
エレベーターのランプが、上の階層に移動するということを示していた。
それを見た瞬間、背筋が凍りつくのを感じた。
脳内で鳴り響いていた警告音が、さらに大きくなっていく。
「一体何をっ……!」
一刻も早く、手遅れになる前に、なつめの元へ行かなければ、大変なことになる気がした。
エレベーターを待っている時間はない。
浩太朗は、すぐに方向を転換して、反対側にある非常階段を目指した。
なつめがどこに何階に向かったか、何をしでかすかはわからないが、とりあえず本能が最上階へ向かえと促している。
足を止めることなく階段を登り続け、何十階もの階層を上がった。
息をあげながら、扉を開けて、最上階の通路に出ると、向こう側、エレベーター側になつめが立っているのが見えた。
彼女は、浩太朗の方を見ることなく、遠く向こうの空を見ている。
浩太朗に気づいていないのか、もしくは、気づいていないふりをしているのかはわからないが、少なくとも、浩太朗に構うような様子はなかった。
「なつめ……?」
嫌な予感が的中する。
なつめは、塀に足を乗せて、体を塀に乗り上げた。
「バカ!やめろっ!」
数百段の階段を駆け上がって疲弊し切っている体を、無理やり動かす。
間に合うとか、間に合わないとか、そういう問題ではなく、間に合わせなきゃならないのだ。
なつめの上半身が、ゆっくりと前に大きく傾いた。
浩太朗は、使える力の全てを振り絞って地面を蹴った。
そして、落ちる寸前のところでなつめをキャッチした。
全速力の状態でなつめをキャッチしたのと、焦っていたのとで、ブレーキをかけることができず、キャッチに成功したことによる気の緩みによって、足の力が抜け、なつめを抱えたまま地面に倒れ込んだ。
普通だったら痛いはずの痛みも、アドレナリンが放出しすぎているのか、全く痛みを感じなかった。
なつめの顔を見ると、相変わらず目に光は宿っておらず、表情も死んでいた。
「どうして、どうしてわたしを助けたの……?」
目から涙が流れ落ち、掠れた声で言った。
「わたしなんか、生きていても、あなたに迷惑をかけるだけなのに……、どうして」
そんなことを言うなつめの頬を、浩太朗は手加減することなく引っ叩いた。
パンっ!という大きな音が、早朝の街に響き渡った。
「痛っ!」
想像以上に痛かったのか、なつめは浩太朗に叩かれた部分を手で覆った。
皮膚が赤くなるほど力一杯叩いたので、相当痛いであろう。
浩太朗はなつめの胸ぐらを掴んで、なつめに向かって叫んだ。
「確かにあんたにはたくさん困らされてきた!でもな!それを迷惑だと思ったことは一度もねえ!直接聞いてもないのに勝手に決めつけるな!」
「でも……!」
「今あんたに死なれる方がよっぽと迷惑だ!そんなしょうもない理由で死なれてたまるかよ!」
「しょうもなくなんてない!わたしがどれだけ苦しんでいたかなんて知らないくせに!わかった風に言わないで!」
なつめは、胸ぐらを掴んでいる浩太朗の手を掴み、両目に涙を浮かべながら微力ながら抵抗した。
「……あんたが1週間前に俺に言った言葉を覚えてるか」
「話しすぎて覚えてないよ……」
「『わたしは諦めないから。だからおにぃも、わたしから逃げないでね』って。あんたの方からから逃げてどうすんだよ!」
「わたしのこの好きも、結局こうたろうには届かなかった!それはこの先も変わらない!このままあなたを想い続けたって!いつまでたっても……!」
「なつめの俺への愛はそんなもんだったのかよ!」
「鈍感なあなたに分かるわけない!」
なつめは、手に力を入れて上に被さっている浩太朗を押し除けた。
そして、浩太朗から掴まれないように距離を取った。
「これ以上近づかないで!」
近づこうとして、なつめに飛ばれたら全てが終わってしまうので、それだけはできなかった。
だから浩太朗は最終手段と出る。
「このままだと、何言っても死ぬ気だろうから、この際はっきり言っとくけどな!」
今まで、受け取ってばかりで、返すことができていなかった愛情を、ここでしっかりと表明しておくべきだと判断した浩太朗は、端的かつ単純に想いを伝えた。
「この世界のだれよりもなつめのことが好きだ!一番大切な人が誰かと問われれば、即答でなつめと答える!絶対に死なせやしない、簡単に死ねると思うなよ!」
なつめは、浩太朗のその心の声に動揺し、浩太朗の目を見て固まってしまった。
その隙を見て、浩太朗はなつめとの距離をつめた。
「捕まえた」
なつめの右手を掴み、掴んでいない方の手は、体を支えるために伸ばした。
突然浩太朗に迫られたことで、最初は驚いた表情をしていたが、浩太朗と至近距離で見つめあっているうちに、だんだん顔が赤くなっていった。
「もう自分から死なないって約束できるか」
「う、うん」
「駅に行くぞ」
「うん……!」
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