第10話 蘇る記憶
見事に全敗した浩太朗となつめ。惜しかったのは最初の一試合のみで、そこから先は浩太朗の体力がなくなり、最後の試合に関してはストレート負けを喫した。
「これで体育の授業を終わります、ありがとうございました!」
一人の生徒が挨拶をし、地獄のような時間が終わりを迎え、浩太朗はようやく安堵の声を漏らした。
「……終わった。まじで疲れた……」
こんなに運動したのは約2年ぶりで、中学3年生の時に部活を引退してからまともな運動はしたことはなかった。
足がガクガク震えており、立っているのが精一杯である。
このままでは本番も酷い結果になりうると懸念した浩太朗は、今日から体力作りをしようと決めた。
膝に手をついて立ち止まっている浩太朗に近づいてゆくなつめ。なつめは試合中あまり動くことはなかったので、体力は残っていた。
「無茶しすぎ、次からは後先考えて発言と行動をしなさい」
「はい……すいませんでした……」
その言葉で、忘れ去ろうとしていた数十分前の自分の発言を思い出してしまった。
「サポートできなかった俺が悪い」、確かに浩太朗はそう発言したが、今膝に手をついて過呼吸になっている人の台詞とは到底思えない。
「意外だったけど、おにぃって思ったより体力がないんだ」
浩太朗は顔をかぁっと赤くした。なつめにそう言われるのが恥ずかしかった。
浩太朗の心の中で、なつめが妹であるという気持ちが、少なからず内在しているのだ。
「……ま、まあ、2年間運動なんてまともにやってこなかったから」
「え、そうなの?てっきり運動部だと思ってた」
浩太朗が部活に入っていないことを知らなかったなつめ。浩太朗は中学生の頃にサッカー部に所属していた。そのおかげで、中学では運動系キャラとして扱われており、クラスの中心人物ではあった。
その時の印象が強く、なつめは、浩太朗が高校でも何かしらのスポーツを続けているいると考えていた。
実際、浩太朗はもともと運動部に入ろうとしていたが、生活の面で色々バタバタ忙しかったり、精神面で傷を負っていたりしていたので、最終的に、園芸部に所属することに決めた。
「スポーツなんかやってられっかよ」
「どうして?中学生のときは、蓮斗くんと一緒にずっと外で遊んでたじゃん」
樋口蓮斗、親友の名を聞いた瞬間、浩太朗の脳裏に、一人の人物が浮かび上がった。
燃えるような赤髪に、本人の口からは明かされたことのない頰の傷。
浩太朗が、人生において一番関わった人で、なおかつ一番大切にしていた人。
だからこそ、その名前を聞いただけで拒絶反応がでてしまう。
「黙れ」
「えっ……」
さっきまでの優しさとは裏腹に、憎しみのこもった声が、無意識のうちに発されていて、なつめは、急に豹変した浩太朗に怖気づき、心拍数が急上昇していた。
そして、数秒が経過した後、自分が何を言っているか理解した浩太朗。すぐに言葉を取り消した。
「あっ、いやっ、ごめん!なんでもない!忘れてくれ」
「……う、うん。わかった」
衝撃的なことをすぐに忘れることのできる人間など数少なく、なつめは今の言葉が頭から離れない。
(確かに今黙れって言われたよね!私絶対嫌われてるじゃん!昔のこと相当根に持ってたりする!?)
なつめの額からは冷や汗が出てきており、尋常じゃないレベルに動揺している。
ちなみに、「昔のこと」というのは、浩太朗が家を出て行った時のことで、当時何も聞かされていなかったなつめは、自分のせいで浩太朗が出て行ってしまったのではないかと思った。
「じゃあ俺は戻るわ。次の授業遅れんなよ」
そう言って校舎の方へ向かって行く浩太朗。体力の回復は早かったようだ。
時計を見ると、次の授業の開始まで残り数分となっていて、着替えを考慮すると、ゆっくりしている余裕はない。
「もしかしてそんなに怒ってないのかな...?…私もそろそろ行かないと。着替えもしなくちゃいけないし」
今の浩太朗の様子を見て、あまり心配しなくてもよいと判断したなつめは、急いで更衣室に向かった。
更衣室には誰の姿もなく、ロッカーにはなつめの荷物しか置いていない。
体操服を脱ぎ、制服に着替える。汗をかいているせいで、体をタオルで拭く手間が増えた。
「あついよぉ……溶けちゃいそう……」
外に併設された扇風機すらもない女子更衣室。そんな部屋の中でなつめは、普段言わないような弱音を吐いた。
みんなの前では優等生を演じているが、一人でいる時は普通の女子高生なのだ。
「アイス食べたいなぁ……後で購買いこ」
着替えている最中に、先ほどの浩太朗の声が頭によぎった。
「黙れ」という、冷たく、怒りと憎しみに満ちたトーンで放たれた言葉。
長年の間、浩太朗と同じ家に暮らしていたなつめでだったが、そんな声は一度も聞いたことがなかった。
「おにぃ、蓮斗くんと何かあったのかな……喧嘩でもしちゃったのかな……」
浩太朗と蓮斗は、いつも一緒にいることで有名だった。放課中はもちろんのこと、下校時もずっと一緒だった。
クラスも一緒で、入っている部活も一緒。二人が別々に行動していた時のほうが珍しかった。
そんな二人が喧嘩するはずもなく、なつめは、なぜ浩太朗があんなにも「蓮斗」という名前に反応したのかが分からずにいる。
「はぁ……小学生の頃に戻れたらなぁ……何もかも、最初から、やりなおせたら……」
(私がおにぃと話さなかったから、お母さんは私とおにぃの仲が悪いって勘違いしちゃったのかな。……まあ、仲良くはなかったけど)
蓮斗のことを考えていると、昔の記憶がフラッシュバックした。
今から一年前のこと。
なつめが両親の義母に真実を聞かされた時、今まで両親に溜めていた怒りが爆発しそうになった。
自分だけが甘やかされ、義兄は放ったらかしで、両親の前では笑顔を取り繕うのが精一杯。
ついには浩太朗を家を追い出してまで自分を独占しようとする親。
なつめは蓮斗と同じ高校に進学し、1年間はその高校で勉強をしていたが、2年生に上がる直前に、溜め続けていた怒りが爆発した。
両親はなつめにとてもやさしかったので、なつめが転校したいと言えば、すぐに転校手続きを進めてくれた。
「本当に後悔しないの?」
「だからしないって言ってるでしょ!?私はもう子供じゃないの!お母さんの助けがなくても生きていける!」
もう数十回以上もしたこのやり取りも、今日で終わりを迎える。
「そう……あなたがそういうのなら。もし何かあったのならすぐに家に帰ってくるのよ?」
「安心して、アパートが消滅でもしない限り、ここに帰ってくる気はないから、じゃあさよなら、正月に一回戻ってきてあげる。……その時はおにぃも連れてね」
なつめの口から浩太朗の名が出るとは思っていなかった母。少し驚きながらも、寂しそうな顔をしてなつめを見送った。
母の助けがなくても生きていけると言っていたなつめであったが、電車にも一人で乗ったことのないので、内心はものすごく緊張していた。
「どど、どっちの電車に乗ればいいの?名古屋行きの電車なんてなくない!?」
最寄りの駅に入ったものの、どうすれば目的地の駅に行けるかが分からなく、改札口の前でモタモタしている。
なつめが目指しているのは、名古屋の手前の「金山」という駅なのだが、そこに行くには佐屋行きの電車に乗らなければならない。
なつめは重度の方向音痴で、自分が今どこにいるのかもわかっていない。
「と、とりあえず!ググれば解決するわよね!」
なつめはポケットからスマホを取り出し、目的地に方法を調べた。
「えっと……2番線?やばっ!後7分で出発しちゃう!どこにいけばいいのよ!」
乗るべき電車はわかったが、そもそもなつめは、2番線への行き方がわからない。ググっても何も解決しなかった。
「何かお困りでしょうか?」
なつめの様子を見ていた駅員が、困り果てているなつめに声を掛けた。
「あっ、えっ、その……2番線ってどうやっていけばいいですか?生き方がわかんなくて!」
「2番線でしたら、あそこの階段の上ですよ」
「あ、ありがとうございます!」
なつめは駅員に教えられた通りに階段を登り、なんとか佐屋行きの電車に間に合うことができた。
高校生が電車の乗り方がわからないというのは恥ずかしかったが、電車に乗れ、浩太朗のもとへ行けるうれしさの方が勝った。
「『まもなく、2番線に電車が参ります。黄色い線までお下がりください』」
アナウンスがかかり、スマホから目を離す。
電車がなつめの目の前までやってきて、扉が開く。なつめは、なんの躊躇いもなく電車に乗った。
今いる友よりも、名古屋にいる兄の方がなつめにとって大事だったのだ。
「待っててね、おにぃ」
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