第6話 教室で独り

「もう流石に帰っただろ」

 そんな独り言を呟き、浩太朗は教室の扉を開けた。人気は無く、静かさだけが漂っている。先程までの賑わい具合がまるで嘘のように感じた。

 教室は夕陽が差し込んでオレンジ色に染まっている。そんな教室に足を踏み入れ、自分の荷物を取りに行く。

 すると、教室の隅の席になつめが座っていた。

 なつめの存在感が薄すぎたため、近づかなければ彼女がいることに気付かなかった。

 なつめも浩太朗に気がつき、コミュニケーションを取ろうとしたが、浩太朗は目ですら合わせてくれることはなかった。

 浩太朗は、机の中の用具を引っ張り出し、リュックの中に詰めていく。

 リュックを背負い、教室から無言で立ち去ろうとすると、背中からなつめの声が聞こえてきた。

「きょ、今日はごめんなさい...」

 浩太朗は驚きながら後ろを振り返った。話しかけられるとは思っておらず、そのまま時が過ぎると思っていたのだ。

 なつめは緊張しすぎて、喉に言葉がつっかえ、思ったように喋れない。

「……い、いや、俺は何とも思ってないよ」

(え……よく考えれば二人っきりの状況なんて初めてだし、めっちゃ緊張するんだけど)

 浩太朗も同様、義妹との初めてのちゃんとした会話に動揺を隠すことができず、まともに喋ることができない。

 なつめは、話しかけたのにも関わらず、何を話せばよいかわからずにいた。とりあえず謝っておこうと、何も考えずに謝罪の言葉を述べただけ。

「……な、なつめは、なんでこの学校に来たの?」

 目が合っているだけの時間が気まずく感じた浩太朗は、何か話さなければ、の一心で質問した。

 浩太朗の質問に対して、なつめは俯き、声を小さくして答えた。

「……それは、言えない。でも、ここに来たのは私の意思。親は関係ない」

 浩太朗には、なつめのその態度が、不機嫌なことを表しているかのように見えてしまったので、さらに機嫌を損ねる前に早く教室から去りたかった。

 しかしそれは間違いで、本当はこの高校に来た理由が恥ずかしくて言えないだけだった。

「そうか……答えづらい質問して悪かったな。また月曜日。……もともと俺となつめの関係なんてバレるし、それが今日になっただけだ。謝られても困る」

 なつめは小さく頷き、浩太朗が教室から出るのを見送った。

 浩太朗が教室を去り、また1人になると、なつめは拳を軽く握って、小さくガッツポーズをした。

「やっと、やっとおにぃと話せた……!」

 生まれて初めてちゃんと義兄である浩太朗と話せたことで、なつめは歓喜に満ち溢れていた。

 教室に残っていたのは偶々で、クラスメイトに浩太朗との関係がバレたことで放心状態になっていただけ。

 荷物を取りに来る浩太朗を待っていようだなんて思ってはいなかった。

「おにぃってどこでどうやって暮らしてるんだろう……ちょっと追ってみようかな」

 なつめは両親から仕送りを受けているが、浩太朗に関しては、この高校に進学したことぐらいしか聞いていないため、生活に関しては何も知らない。

 まだ浩太朗は教室を出てすぐ。なつめは自分の荷物を急いでまとめて、浩太朗を追って行くことにした。

 後ろからなつめが追ってきていることを知らない浩太朗は、普段通りにバイト先に向かっている。

 まさか追ってきているとは思っていないので、警戒心ゼロの状態で電車に乗っていた。

「やばっ!もうこんな時間じゃん!もう開店しちゃってるし!」

 ふと視界に映り込んだ時計は、開店時間をゆうに越していた。

 バイトのことなんかすっかり頭から抜けており、随分な余裕を持って電車の椅子に座っていたのだが、焦りの感情が芽生える。

 電車を出ると、早歩きでラーメン屋まで向かった。

 そんな浩太朗を見失わないように、なつめも足の回転を早める。

 たまたまなのか、両親が仕組んでくれたのかは分からないが、浩太朗が向かって行った先はなつめが暮らしているマンションの近くだった。

 しかし、浩太朗が商店街に入っていくのをみて、少しの違和感を覚える。

(商店街……?こんなところに家なんかあるの?)

 そしてなつめは、浩太朗がとあるラーメン屋の裏口のドアを開けて入っていくのを確認した。


 浩太朗は裏口からラーメン屋に入り、店長であるめぐに挨拶をした。

「めぐさん。すいません、遅れました」

「あっ!ようやくきたー!もう少しで電話しようとしてたところだったんだからね!もうお客さん来てるからすぐに準備して!」

 スマホを確認するとめぐからのメールが数件来ていることに気づいた。

『もうすぐ回転するけど間に合いそう?』

『今日金曜日だから部活なかったよね?』

『遅れそうなら迎えに行こうか?』

(まじか……めぐさん回転してたのかよ……この目で見たかったなぁ)

 めぐの心配症にはいつも驚かされている。

 意味のない返信は後回しにして、荷物を置いて急いでエプロンに着替える。

「こうくん!来たばっかりで悪いけど厨房入ってもらっていい!?」

「了解です!」

 浩太朗はバイトではあるが、一年もやれば厨房も任されるようになった。

 交代を命じられる理由はただ一つで、単に作るのが疲れたからである。

 厨房で行う仕事は料理を作ること。こちらの仕事は単純なので、ただ忙しいだけ。

「しょうゆ1、味噌1、どっちもネギ無しで」

 めぐが注文を取り、浩太朗が注文通りにラーメンを作る。

「ギョウザ2と塩が2、あと生中2」

 作っても作っても、新たな注文がすぐに入る。忙しく無くなる時は、閉店間際の30分間くらいだ。

「よしっ!気合い入れるか!」

 これから待っているであろう重労働に備え、頰を叩いて集中力を高めた。

 そして、浩太朗が厨房でラーメンを作っている中で、1人の女子高校生が一つのラーメン店の前で佇んでいた。

「おにぃはここに入って行ったよね。ここで働いてたりするのかな。行ってみたいけど、迷惑じゃないかな……もしかしたら、一緒に働けたりして」

 ここ数十分間、なつめは顎に手を当てて、早歩きでその場をくるくるしている。

 悩みに悩んだ末、店に入るという覚悟を決めた。一度深呼吸をおいて店の扉を開く。

「いらっしゃいませー!一名様ですか?でしたらカウンター席へどうぞー!」

 中に入ると、柑橘色のポニーテールが目立つめぐがなつめの接客をしてくれた。

 なつめは流されるままにカウンター席に座り、案内をし終えためぐはすぐに厨房に入っていった。

(ここのバイトさん……?すごく美人。……そんなことより、おにぃはどこにいるの)

 なつめは店内を見渡して浩太朗の姿を探すが、店内にはめぐ以外の店員は見当たらない。それも当然、浩太朗は厨房でラーメンを必死に作っているので、表に姿を見せるわけがない。

 どうしても浩太朗のことが気になるなつめは、注文を取りにきためぐに、浩太朗のことを聞いてみることにした。

「ご注文承ります!」

「あっ、豚骨ラーメン1つください。……あの、すいません。このお店に金髪の神崎浩太朗っていう男の子って働いていませんか?」

「いますよ?今は厨房にいるからこっちには出てこれないけどね。もしかしてお知り合いさん?」

(やっぱりいた!)

 浩太朗がこの店で働いているというなつめの予想は見事に的中した。

 なつめも校則でバイトが禁止されていることは知っているが、浩太朗がこうしないと学校に行けないこともなんとなくわかる。

 いつもはルールに忠実ななつめだが、今回ばかりは擁護するしかなかった。

「はいそうです。……でもあんまり仲は良くなくて、話したことは、そんなにないです」

「なんだか訳ありだね、もしよかったら代わってこようか?こうくんとお話しでもする?」

「いえそこまではしなくても大丈夫です!ありがとうございます!」

「いいよいいよ!話したくなったらいつでも声かけてね!こうくん、追加で豚骨1」

 注文を取り終えためぐは、厨房に入り、浩太朗にオーダーを伝えに行った。

(こうくん!?一体この女の子は何者?まさか彼女ってことはないよね?彼女いない歴=年齢のおにぃに限ってそんなこと……)

 浩太朗があだ名で呼ばれていることに動揺するなつめ。

 そのことが頭に残りすぎて、ラーメンの味が分からなくなってしまっていた。

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