Rhapsody 5

「…面倒だから単刀直入に言うけどさ、僕は今、あいつを騙してるんだよね」

 

 私は予想外の言葉に驚いた。騙している、とはどういうことだろう。ますます疑問が膨れ上がる。相沢君は、まるでくだらない日常会話でもしているかのような素振りだ。

 

 「騙してる…って、どういうことですか?」

 「そのまんまの意味だよ。僕はあいつを利用しつつ、消す機会を狙ってる」


 私は呆然とした。そして頭の中で言葉を繰り返した。消す。けす。つまり、この世から存在を無くすということ。あの少年の命を、相沢君が狙っている?


 「で、でもあの子、アインのメンバーなんですよね?仲間なのに、どうして…」

 「メンバーだからって完全に味方って訳じゃない。最初は信仰心を持って入会するとはいえ、裏側の事情を知った人間が途中で気が狂ったり裏切るなんてのはよくある話だし」


私は上村君の顔を思い出す。彼は見るからに気弱そうだったし、そんな風にはとても見えなかった。そんな私の疑問を察したのか、相沢君は補足した。


「実際にアインを裏切ったのは、あいつじゃなくて、あいつの父親なんだけどね」

 「…上村君のお父さんが、何か裏切るようなことをした…ってことですか?」

 「そういうこと。簡単に言うと、あいつの父親がアインの現状を内部告発しようとした。それを見抜いたメンバー達が僕を駆り出したってわけ」


 

 アインの現状…とはどういうことだろう。

相沢君のような暗殺部隊がいるということ?私はてっきり、暗殺が行われていることは組織内で当たり前だとされているのかと思っていたけれど、もしかしたら一部の人間にしか知らされていない…なんてことがあるのだろうか。

 それとも、私達一般人が知らないだけで裏社会側では、何か揉め事的な問題でも起きているのだろうか。

悶々と考えてはみるけれど、そんな裏社会の事情よりも私の頭には、さっき会った上村君の顔が浮かんでいた。

相沢君が訪れた時、嬉しそうな顔をしていた…きっと彼は何も知らないはずだ。私は何だかとても切ない気持ちになった。

 そんな私の表情から考えを察したのか、相沢君は浅い溜め息をついて言う。

 


 「お前もしかして、あいつが可哀想だとでも思ってるの?でも仕方ないことなんだよ。親子共々消えてもらわなくちゃ、組織内の諸々が世間に露呈しちゃうんだからさ」

 「だ、だって…」

 「引きこもりだし、女性恐怖症だし。どうせ生かしておいても、あいつにとって生きづらい世の中だってことには変わりないよ。それに、あいつが死んでも、僕もアインも困らない。まだまだ代わりになる人間は大勢いる」

 

 …確かにそうなのかもしれない。アインは世界中から厳選した優秀な人材をメンバーに加えているという噂を聞いたことがある。

こんな衰退気味の日本のハッカーを一人消したところで、アインの権力は1ミリも揺るがないのかもしれない。だけど...

 

 「…悲しいですね」

 「なにが悲しいの」

 「なにがって…ついさっきまで一緒に話してた人を消さなきゃいけないだなんて、悲しまない方がおかしいですよ」

 「ふーん…お前にもそれくらいのまともな感情はあったんだ。人の生死にあんまり興味無いのかと思ってた」

 「えっ…ええっ!?な、なんでそんな風に思われちゃったんでしょう…」

 「だって、この前死体見てもあんまり驚いてないみたいだったし。耐性があるのかと思った」

 

相沢君は普通に笑っている。

何だろう、このやたら気の抜けた空気は。私は妙な気持ちになった。何だか拍子抜けというか、まるで深刻に捉えていた自分がおかしいみたいに思える。こんな話題なのに、相沢君の態度があまりにも普通すぎるから違和感があるのだ。


 「ま、お前が気にすることじゃないよ。この任務は僕一人で充分だし、最初からお前に手伝いは頼まないつもりだったから」

 「そう…ですか」

 「それにお前、まだせいぜい死体遺棄くらいしか出来ないじゃん。暗殺の手伝いなんて頼んでも、逆に足でまといになりそうだ」

 「………」


 確かに、私には難しいかもしれない。運動は苦手だから多分動きも鈍いし、そんな現場に耐性があるわけでもない。せいぜい私に出来るのは、事が済んだあとに燃やすことくらいだ。

力になりたいとは言っても、私はまだまだ無力なのだなと思い知る。それと同時に、動かなくなった上村君の姿をぼんやりと想像してしまい、薄暗い気持ちになってしまった。

 

「ほらね?たいした話じゃなかったでしょ」


 「……」


 「あいつ、最近やっと僕に懐いてくれたからさ。殺すの楽しみなんだよね…どんな顔してくれるんだろうなあ。このごろ任務少なくて暇だから、早く準備に取り掛かりたいな」


「どうして今日、私と上村君を会わせたんですか?すぐに殺すつもりなら、そんな必要は無かったのでは…」


「ああ、それはだって、消すまでにはまだ時間があるから。その日まであいつには僕の役に立ってもらうつもりだし、その期間はお前ともいずれ話す事になるだろうから、早めに紹介しておいてもいいかなって思っただけだよ」


 

 そう言って彼は珈琲を一口飲み、暇そうに端末を弄り始める。その退屈そうな表情からは、悲哀なんてものは微塵も感じられなかった。

 

 ああ、この人は、感覚が麻痺しているんだな、と私は思った。日常会話に過ぎないんだ。こんな話は当たり前程度に思っている。それはそうだ。相沢君にとっては、殺人はお仕事なんだから。友人を殺せと命じられても、難なくこなしてしまう。時が来たらあの少年を、表情ひとつ変えずに消してしまうのだろう。それは至極当然の事で、日常の一部に過ぎなくて。

 

 さっきの話を聞いた時、私は上村君のことを可哀想だと思ってしまった。

私にとっては相沢君の意見が全てで、彼に向かって反対意見を述べるつもりなんて毛頭無かったというのに。私は相沢君の成そうとしている暗殺に、否定的な考えを抱いてしまった。そんなのは助手として有るまじきこと。私の信条に反すること。


 どうして、可哀想だなんて思ってしまったのか。その理由が今分かった。私は、上村優太という少年に微かな親近感を抱いていたのだ。

相沢君のことを慕って、彼のために何かしたいと思っている。上村君からはそんな雰囲気が感じられた。「また会いに来てほしい」と言っていた。そんな彼が消されてしまう。よりにもよって、相沢君の手によって。


それなのに相沢君ときたら、表情ひとつ変えずに計画をあっさり語り、しまいには大した話ではないと笑っているではないか。



──私は上村君の姿を、自分に重ねてしまったのだ。


相沢君はいつか私のことも、もし上に命令されたら容赦なく殺すのだろうと。

何の感情も抱かず、同情もされず、ただ容赦無く、切り捨てられる日が来る。

どんなに尽くしても、きっと彼は必要とあらば私のことを棄てる。殺して、もしかしたら死体になった私をついでに犯して、何も無かったことにするのだろう。彼らの使う言葉通り、私を"消す"はずだ。



 要するに相沢君は、利用出来るものは利用する。要らなくなったら棄てる。問題が起きれば存在ごと消す。任務なら、それが身内だろうが友人だろうが容赦なく殺す。そして、忘れる。

そんな具合にこれからも突き進んでいくんだろう。様々な犠牲を生みながらも、振り返りもせずに。


 私もこのまま彼の傍に居続ければ、その残骸になる日が来る──



 そう考えた途端、あまりの彼の異常性に脳がぞわぞわした。恐怖よりも、謎の心地良さを感じた。むしろ快感に近い何か。

ああ、もうこの人は気が狂ってる。なんて酷い人なんだろう。思考も嗜好も常人とはかけ離れている。そんな彼だからこそ、私は好きなんだ。


 上村君はそのうち、彼に殺される。なんて可哀想なんだろう。

私もいずれは犠牲になる。可哀想で、無様だ。


 でも私は可哀想な自分が好きだ。人の為に身を削り、犠牲になるのが好きだ。そして私は相沢君の事が好きだ。顔も声も、異常な性格すらも、その全てを愛している。そんな彼の犠牲になって消えることが出来る。


それって、すごく幸せなことじゃないか。


珈琲に角砂糖を落とす相沢君の整った顔を見つめながら、私はこの上ない幸せな気持ちで満たされていた。やっぱり彼に出会えてよかった。傍に置いてもらえて本当に良かった。


 「あいつは僕のこと、たった一人の友達だと思ってるみたいだけど。僕にはターゲットの一人としか思えない」

 「…かわいそうですね、上村君」


 沈む夕日を窓越しにぼんやり見つめながら私がそう言うと、彼はまた浅く溜め息をついた。


 「同情出来るだけ、お前の方が余程心が綺麗だよ」


 ───私の方が心が綺麗。本当にそうだろうか。相沢君の異常な性格を好意的に思っているのだから、私も同じくらい気が狂っているように思える。


 死体遺棄の手伝いをした時点で私は同罪であり、逃げられない。その上こうして心までも囚われている。彼から離れることは物理的にも精神的にも、完全に不可能だと思った。


「暗くなってきたな。話も済んだし、そろそろ帰る?」

「は、はい!」

「うん。じゃあ帰ろうか」

 

 会計を済ませ、私達は中心街を去った。建物から出ると外は薄暗くなっており、駅方面の目印でもある大きなデジタル時計を見ると時刻は9時を過ぎていた。


 「もうこんな時間…結構話し込んでたんですね」

 「そうだね。けど夏だからかな。まだ少し明るい」

 

 そんなことを言いながら空を見上げる相沢君。何だか少し名残惜しいな、なんて思いながら俯いていると、彼が突然目の前まで近づいてきた。

驚いて顔を上げると、彼はふっと笑ってみせる。

 

 「ど、ど、どうしたんです?」

 「僕はこのまま帰るつもりだけど…そういえばお前、家に来たいって言ってたよね。今から一緒に来る?」

 「え!?」


 予想外すぎて心臓が激しく跳ねる。…今から相沢君の家。勿論行きたい。というか興味しかない。

けどこんな微妙に遅い時間に異性の家に行くことなんて私したことない。しかも、さっきまであんな物騒な話をしていた上に今度人を一人消す宣言までされた後だというのに。


そんな人殺しの家に上がり込む勇気があるのか?と自分に問いかけてみる。そんなの、勿論大丈夫に決まってる。だって相沢君なんだから。

いや、でも、それとは別の色んな意味でまだ心の準備が…!


 「何あたふたしてんの。冗談に決まってるでしょ」

 「……で、ですよね!そうですよね...!!」


 私が慌てふためいていると、相沢君はくすくすと笑った。


 「今期待したでしょ。ほんと馬鹿だなあ」

 

 …ああ笑った顔が天使みたいに可愛い。私はクラクラする頭を抑えて深呼吸する。

 本当に、この人はどこまで私を翻弄するつもりなんだろう。照れと困惑が入り混じった何とも言えない気持ちになって私はまた俯いてしまう。



「そ、それじゃあ相沢君…また明日、学校で」

「うん。また明日ね、あんず」


 そう言って彼はさっさと立ち去ってしまった。私は呆然と後ろ姿を見つめていたが、しばらくしてハッとした。


 「今…初めて下の名前で呼んでくれた」


なんだろう。すごく嬉しい。

初めてちゃんと認めてもらえたような気がした。いつ相沢君がそう呼ぼうと思ったのか、何がきっかけだったのか分からないし、ただの気まぐれだったのかもしれないけれど。

とにかく私は堪らなく嬉しい気持ちになった。

 

「明日も会いたいなぁ…」

 

異常な恋心だと分かっている。

けれど、そんなことはもう気にもならない程に、私はどんどん彼に夢中になっていた。

 

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